第154話

side:秋津


 目を開けると……知ってる天井だった。そりゃそうだ、そんなに都合よく異世界転生なんてしていないのだ。

 というか有くんのいない世界に転生なんてしたくない。


 こんなどうしようもないことを考えてしまうのも熱のせいだろう。

 いつもは隣にある温もりが今日はない、昨日どうやって寝たんだっけ……。ご飯を食べて、洗い物して、ソファで寝転んで……そこから記憶がないや。


 勝手に目が覚めてベッドまで歩いていったのか、それとも彼が私を運んでくれたのか。もしそうだったらいいな、覚えていない自分が恨めしいけど。


 ぶるっと悪寒が走る。


「う〜〜。大人になってからの熱はつらい……」


 枕元をごそごそして体温計を手に取る。

 脇の下にひんやりとした無機質な感覚、体温計がなるまでの数十秒が苦手だ。動けないし何かを考えるには短すぎるし。


「いまなんじだろ」


 再び枕元を探って、お目当てのスマートフォンを手繰り寄せる。

 小さな長方形に映った時間は8時30分、やばい遅刻だ……と考えたところで昨日の自分の発言が頭を過ぎる。

 そう、熱が出たら普通は休むのだ。どこかの残業モンスターと違って今からリモートワークなんてやるもんか。


 それでも一旦は上司に連絡を入れるために起きなければ。


 だるい身体をゆっくり動かして布団から這い出でる。さながら虫のように……ってこれはカフカか。

 なんとか水だけでも飲みたいと立ち上がりかけた時、扉がガチャりと開く。


「おい寝てろって」


 彼の声は言葉とは裏腹にとても優しくて。

 浮かしかけた腰をすとんと落とす。


「でもお休みの連絡しないと」


 有くんは無言で近付いてくると、そのまま私の肩を持ってゆっくりとベッドへ倒す。

 布団を肩口まで掛けなおすと、すぐ隣へ座った。


「連絡はしといた、今日のお前は寝るのが仕事」


 細められた目に思わずどきっと心臓が跳ねる。弱ってる時に好きな人の好きな顔は効いてしまう。

 でも鈍感な彼のことだ、そんなこと少しも気付いていないんだろうな。


 その証拠にほら、なんでもない顔をして口を開く。


「なんか食べられるか?」


「有くんのご飯がいい」


「そりゃもちろん」


 彼はふっと笑う。片方だけ上がった口角に視線が吸い寄せられる。


「でも仕事あるでしょ?」


「俺も休み取った。課長が『たまには有給使いなさい』ってさ」


 じゃあ今日はずっと甘えていいってこと?何してもらおう。


「それじゃとりあえず……」


 彼の服を指で摘む。


「おかゆたべたい」


 ぶふっという音ともに彼が吹き出す。失礼な、朝ごはんを食べたいのだ。……自分で作るのはちょっと面倒だけど。


「わかったわかった、それまで寝てられるか?」


「ん」


 短く返事して肩口にあった布団を頭まで上げる。

 視界が暗くなる、それだけでまた睡魔が押し寄せるのだ。彼の温もりを感じながら、徐々に落ち着いてきた自分の心臓の音に耳を傾ける。


「あーあ、毎日有くんといられるならそれだけでいいのにな」


 ぽろっと漏れ出た言葉は残念ながら本音。


 勘違いじゃなければ目を閉じる直前、「俺もだよ、ひより」なんて甘い言葉が聞こえたけど都合が良すぎかしら。


 頭に乗せられたほんのりとした温もりと、心地良い重みに安心感を覚えながら、私は意識を手放した。

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