第152話

 いつものようにクラゲのキーホルダーが揺れる。出勤前にも開けたドアだが、会社に行く時よりも軽く感じる。


 自動照明がぱっと俺を照らす。これのおかげで「帰ってきた感」があるんだよな。


 ぼふっとお腹に衝撃、次いで香水のさわやかな香り。


「おかえりなさい、有くん」

 

 掴んだ俺の腰をむにむにと触る秋津。


「最近太ったかもって気にしてるんだからやめろ。ただいま秋津」


「もう!ひよりでしょ」


「はいはい、ただいまひより。もう仕事はいいのか?」


 リモートだったら無限に仕事ができてしまうからな。オンオフの切り替えがしづらいのが難点だ。


「仕事なんて置いてきたわ……前世に……」


 これは終わらなかったのに無理やり切り上げたな。


「俺焼肉の準備するから続きするか?」


「ぜっっったいに嫌。労働より肉よ!」


 流石食欲モンスター。

 まぁ途中で(推定)サボって肉買いに行ったこいつも悪いけど。


 何はともあれ晩ご飯の準備である。

 ダイニングテーブルにホットプレートをセットする。1人だと使わないこれも、2人なら使いこなせる。というか2人分焼かないと、洗う時の苦労に見合わないんだよな。


 彼女がPCを片付けている間に野菜を切っていく。

 今日のスタメンはピーマン、玉ねぎ、茄子である。結局肉が主役になるものの、それだけだと口寂しいのだ。


 ホットプレートの電源を入れて温め始めたところで軽快な音楽が流れる。

 当初言っていたみたいに、ちょうどご飯が炊けたみたいだ。


 俺か秋津のどちらかが在宅していると、炊きたてのご飯が食べられるって、一生これがいいな。


 炊飯器から流れる音を口ずさみながら秋津が登場する。


「あれ、お前着替えたの?今から焼肉食べるのに」


 よそ行きのワンピースに首を傾げる。

 この後予定は無いはずだけど……匂いの問題とかもあるし。


「そりゃねぇ……仕事終わりの彼氏が帰ってきましたから」


 まったく。昔からそうだが、こう、恥ずかしげもなく……。


「ん〜?照れてるの?今更?かわいいわね、社畜のくせに」


 近寄ってきてうりうりと肘で小突かれる。他の人がいるところでは論外だが、2人だとしても恥ずかしいもの恥ずかしいわけで。


 というか一言余計だろ。なんだ「社畜のくせに」って。まるで人権がないみたいじゃないか……いや、人権がないのか。


 前を向くと彼女と目が合う。

 ぱちっとされたウィンクに心臓が跳ねる。


 口下手な俺に代わって2倍、いやそれ以上彼女に言葉を託しているのは不公平だよな。


「恥ずかしいんだよ」


 目を合わせるのすら俺にはハードルが高くて。

 冷蔵庫から取り出したパックから牛肉を箸でつまみ上げて、誤魔化すかのようにホットプレートへと並べていく。


 じゅうっという音ともに鼻にダイレクトに伝わる香ばしさ。

 しばし無言の時間。


 やがて赤から茶色になった肉を彼女の皿にほいほいと入れていく。


「今日は俺が肉奉行ってことで」


「是非もないわ。食べる方は任せなさい」


 既に何枚かは彼女の口元へ。


 このままだと全部あいつの胃袋に消えていくか……?

 彼女の食欲に戦慄しながらも、俺は次の肉を箸で掬いとった。


 


 

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