第145話
「ねぇ〜2人で仕事するのも久々じゃない」
夜も深まってきたというのに、秋津の声は元気そうだ。体力無尽蔵かよ。
深夜オフィスのフリースペースに並ぶ。
彼女はリングファイルとPC、そして分厚い箱に入った洋菓子、俺は珍しくタブレットのみ。
どこで仕入れてきたのか、買ったばかりのコーヒーを啜りながら彼女は席に着く。
今日の秋津は髪を上げている。
「あれ、あんた今日事務作業ないの?」
「溜まった申請の承認がな……どこかの課が計画的に契約の調整しないから」
ぴゃーぴゃーと鳴らない口笛がフリースペースを駆け抜けていく。
幸いというか当たり前というか、彼女の案件はひとつも無い。2人でいる時には仕事のできるバリキャリだということを忘れてしまいそうになる。
「んふふ、私の出し忘れは無いでしょ」
「あぁ、残念なことにな」
両手を上にあげて降参のポーズ。
やれやれと頭を振っていると口元にフィナンシェを突きつけられる。
「はい!優秀な私からあんたに、今日来てくれたお礼」
ありがたくひと齧り、口の中を砂糖の甘みが満たしていく。
疲れた頭に糖分は効く。こんな残業まみれの状況を避けたいところではあるんだが。
「これが無くても来たって」
一応弁解しておく。
「嘘おっしゃい」
背中の最後のひと押しになったことは否定できないが。
にやにや笑いながら彼女は俺の齧ったフィナンシェをそのまま自分の口へ運ぶ。
これが家のソファだったらなんの問題もないんだが、ここは深夜といってもオフィス、もう少し社会人の自覚を持って欲しいところではある。
「あんた、『社会人なんだから』とか考えたでしょ」
「……ノーコメントで」
「私にはわかるんだからね〜〜!」
左手でファイルを捲りながら、器用に右手で頬をつつかれる。
まるで中身のないやりとり、これが残業という果てのない砂漠に降る雨になるんだから不思議なもんだ。
どれだけ時間が経ったろう、辺りにはPCのキーボードを打つ音と資料めくる音だけが響いていた。
俺の申請承認の仕事ももう終わる、彼女も同じだろう。
晩ごはんはどうしよう、なんて考えていると秋津が口を開く。
「そういえば有くん、今度の結婚式行く?」
「有くん言うな」
「それはいいじゃない」
もうそんな時期か。
俺と秋津の共通の知り合いが結婚するとのことで、2人とも式にお呼ばれしたのだ。当然別々に。
「行くって返事したぞ」
「良かった良かった!日曜日に式だから月曜はお休み取ってゆっくりしない?」
確かにありだな。なんだかんだ結婚式って体力が要るのだ。新郎新婦程ではないにせよ。
せっかくだし家で映画でも見ようか。
「よし、それでいこう。なんだかいいように踊らされてる気がしないでもないが」
「まっさか〜!」
けらけら笑いながら彼女はPCを閉じる。
「お、終わったか?」
「おかげさまで!さっさと帰りましょ」
2人して立ち上がるとエレベーターホールへ向かう。彼女となら深夜の電車も悪くない、なんて思いながら俺は上方向のボタンを押した。
「10分後、下でいいか?」
「はーい!」
元気に返事をすると、彼女はポニーテールを揺らしながら階段へと消えていった。
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