第127話

side:鈴谷 隼


 同じ部署の同期が髪を短く切っていた。これだけ聞けば別におかしい話じゃないはずだけど、様子も普段と違っていた。


 以前は熱に浮かされたような、遠くを見るような表情をしていた彼女が、最近は落ち着いて瞳に光を湛えるようになったのだ。


 まぁ自分には関係ないか、と鞄を机に置いてPCをたちあげる。


「うぃーすおはよう」


 小峰さんが頭をガシガシ掻きながら事務部屋に入ってくる。

 課長は在宅だし、あとは先輩だけ。


 いつもの光景だが、鹿見先輩が入ってきた時に春海さんが顔を上げる。


「おはようございます、先輩」


 彼女が立ち上がって声をかける。


「あぁおはよう春海さん」

 

 昨日も残業だったんだろう、目の下にはくっきりと隈が浮かんでいた。

 眠そうに目を擦ると、鹿見さんは着席して直ぐに仕事を始める。プライベートと仕事の境目とかないんだろうか。


「名前でいいって言ったのに……」


 え?

 隣から耳を疑うつぶやきが聞こえる。


 確かに傍から見ていたら彼女は先輩のことが好きなんだろう。普段の言動からもそれが窺えるが、もうそんな段階なのか。


 靡かないで名を馳せている鹿見さんって結構難攻不落だと思うけどよく頑張るなぁ。

 他人の恋事情に口を出すほど空気が読めない訳じゃないが、今度同期で集まった時にでもこっそり聞いてみよう。


 今日も今日とて膨大な処理が俺たちを待っている。

 ひとまず隣に座る同期の恋愛の行く末は頭の隅に追いやって、キーボードと向き合った。



 数時間後、というかもう外は真っ暗、珍しく自分以外の事務課メンバーは退勤している。

 んん〜っと伸びをひとつして帰り支度。


 鼻のムズムズ感を覚えて春の気配を察知する。


 会社を出ると、横断歩道を早歩きで渡っていく人が。

 あれは……秋津先輩か。


 自分たちのような入社して間もない人間からすればレジェンドである。

 仕事の成績はもちろんのこと、数多の我が社社員や取引先の男性を二つの意味で落としてきたスーパーウーマン。


 いつもはキリッとした表情で仕事をしている先輩が、今日はどこか嬉しそうに脚を動かしている。

 別に気になるからとかじゃないけど、その先に目線を動かすと、先程どこか急ぎ足で退勤した鹿見さん。


 肩を寄せあって歩く2人を見て、色んなことに納得してしまう。

 明日はチョコでも買っていこうかな。


 隣の同期に優しくしようと心に決めて、自分も横断歩道を渡った。



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