第111話 営業課の美人同期とご飯を食べるだけのはずだった非日常
「なぁやっぱり好きだわ、ひより」
にこにことご飯を口に運んでいく彼女を見ていると我慢できなくて。
ため息をつくように言葉が流れていく。
一方彼女は状況を把握できていないのか、それとも頭が理解を遠ざけているのか先程の表情のまま動かない。
「あんましこういうこと言うの柄じゃないんだけどさ」
真っ直ぐ目を見つめて口から出ていく言葉たちを、緊張がぐいぐい後押しする。
「好きだって、お前が。ずっと」
カランカランと箸が床に落ちた。
彼女の手は箸を持っていたときのまま固まっている。
時が止まったかのような感覚、目をゆっくりと開くひより。
彼女が返事をする前に先手を打つ。
「給料3ヶ月分はまた今度としてさ、これホワイトデーのお返し。ガトーショコラほんとに美味しかった。ありがとな。」
我ながらよく舌が回るもんだ。
固まったままの彼女に小さな箱をそっと手渡した。
俺も彼女も指が震えている。
ひよりが口をパクパクさせながら箱を開けると、そこにはそれぞれ濃い赤と黄色で彩られたピアスが。
指で摘むと隠れてしまうほど小さなそれは、よく見ると紅葉のモチーフが象られている。
彼女はピアスを大事そうに持ち上げると光に透かした。
両の頬に一筋、涙が伝っている。
その光景は、普段過ごす家の中だというのに言葉にできないほど美しくて、どくどくと脈打つ心臓がきゅっと鷲掴みにされる。
照れくさくなって彼女の落とした箸を拾い上げるとキッチンへ持っていく。
手だけでなく膝も震えている、情けないな。
数秒、部屋には蛇口から流れる水の音だけが響いていた。
頬に熱が集まるのがわかる。自分から想いを告げるってこんなに苦しいものなんだな。
「それはそうとさ、」
ダイニングテーブルから動かないひよりに声をかける。
全然それはそうとじゃないんだが、いつもみたいに上手く感情が言葉になってくれない。
ただ何か言わないとこの瞬間がしぼんでしまう気がして、無理やりにでも口を動かす。
「明日と明後日の休みに予定無かったらさ、次一緒に住む場所も決めようぜ。もちろんひよりさえよければ」
かっこ悪いと分かっていつつも予防線を張ってしまう。
こんな赤くなった自分の顔を見られたくなくて、でもあの食欲モンスターがどんな顔してるのかも見ていたくて。
秋津は弾かれたように立ち上がるが、どこか動きがぎこちない。
ピアスを丁寧にしまうと慌ててこちらに駆け寄ってくる。イノシシかよ。
むぎゅっと俺の身体を掴むと慌てたように口を開く。
「え、夢じゃない?」
「夢じゃないよ」
いやいやと頭を振っている。
「ほんとにほんとに?」
「だからほんとだって。何回でも言ってやるよ」
彼女のおでこにでこぴんを一発。
「あでゃっ」
いつもの鳴き声に思わず笑ってしまう。
「ねぇ有くん、この瞬間を、私が、どれだけ待っていたと、思ってるの……!」
最後の方は嗚咽に呑まれて言葉になっていない。でもそんなところが愛おしくて。
綺麗な茶髪を俺の胸に擦り付けながら、噛み締めるように一言ずつ絞り出していく。
俺の服を掴んだ手はまだ小刻みに震えていて、俺の心臓まで揺らされているかのようだ。
「遅くなってごめんな」
顎に手を添えて彼女の顔を持ち上げると、目元が涙でぐしょぐしょになっている。
「なぁ、返事がまだでずっと怖いんだけど」
もらい泣きしそうになりながら、冗談っぽく笑う。
「そんなのいいに決まってるでしょ。ずっと、ずっと言ってるじゃない」
何を当たり前のという顔ですんっと放たれるOKの返事。
なんだか悔しくて柔らかい頬をつねる。
「いはいいはいやめへよぉ」
指を離すと、頬をさすっている彼女の唇を奪う。不意打ちに開かれた目と甘い感触、腰にぎゅっと回された手に力が入る。
初めてがキッチンだなんて風情がないな、なんて的外れな考えが頭をよぎった。
窓から流れ込む風は春の暖かさというには少し肌寒くて。
季節外れの匂いは外からかそれとも彼女からか。
今だけはそんなことどうでもよくて、ただひたすらにお互いの隙間を埋めるよう身体を寄せあった。
春夏秋冬変わらない、いやどこかの誰かが秋だけは自分の季節だって言ってたっけ。
営業課の美人同期とご飯を食べるだけの、たったそれだけの。
されど本来は非日常だったはずの日々は、真っ直ぐな彼女が絶えず丁寧に積み上げてくれたおかげで、日常となってこれからも続いていくんだろう。
嘘じゃない確かに、今確かに金木犀の香りが部屋を通り抜けた気がした。
◎◎◎
こんにちは、七転です。
当初書きたかったところまではひとまず、と言ったところですかね。完結じゃないです。
実はカクヨムコン完走してました、10月からの長い長い果てしない4ヶ月の持久走にお付き合いいただきありがとうございます。
初めて小説を書くのに毎日投稿は正直キツかったです。
4500人あまりの人と一緒に走ったこの思い出は一生ものだなと。
(カクヨムコンの存在を途中で知ったとは思えないコメント)
えぇ、えぇ、気になるのは続きですよね。
ここから先は蛇足だって思われる方もいるでしょう、私だって読者だったら一度ここで読むのをやめます。
でもまだまだ日常は続きますし、ペースは落としながらもそこはかとなく書いていこうかなと思いますので、これからは一緒に歩いてくださると嬉しいです。
ここでお別れの方はいつか、もしいつか何年後かにこの作品が書籍化するなんて幸運があれば、本屋さんでぜひ手に取ってくださいね。
後悔はさせませんので、きっと。
毎日更新で自分を縛ってたせいで、思いついても他の作品は書けませんでした。なんてったって私も鹿見くんに負けず劣らず社畜なので。
私の一日のタイムスケジュールを知りたい方は近況をぜひご覧ください。
どこかで皆さまが好みの作品を見つけた時、その作者が七転なんていうふざけた人間だったら、これ以上はない幸せだ。
今日も今日とて残業中のオフィスより。
読んでくださった方全員への愛をこれ以上ないくらいにこめて。
七転
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