第110話 秋、燦々
金曜夜、なんとか定時に仕事を終わらせた。まったく…週の最初に金曜は定時で帰りますって宣言したのに、水曜あたりから雲行きが怪しくなってきて危なかった。
年度末最終月、今年度の数字にしたい営業課はそりゃ必死だろうけど。
加古と秋津は3月に入ってから新規の案件を取りに行くのやめて、既存客のアフターケアと他の人の手伝いしてると聞いて笑ってしまった。
あいつらは今年前期終わりの時点で年内目標達成していたもんな…恐るべし。
荷物の少ない俺は鞄を早々に閉じると秋津にチャットを飛ばしておく。
『今日定時退勤だから先帰るぞ、うちで食べるなら返信しといてくれ』
スマホをジャケットの内ポケットに入れようとスリープにした瞬間返事が来る。
『鹿見くんが定時…?年度末の金曜日に?明日は雪どころか桜が舞って台風までくるのかしら、私は紅葉担当するわ』
紅葉担当するってなんだよ。
でもいいな、一日で春夏秋冬を体験してみたい。
『失礼にも程があるだろ』
『自分の普段の退勤時間を見てみなさいよ…』
ぐうの音も出ない。
『私もあと1時間で帰れるから晩ご飯お願いしてもいい?』
『了解、明日休みだけど泊まってくのか?』
『泊まる〜〜!映画観ましょ映画』
強制的に決まる俺の金晩のスケジュール、拒否権は…無いだろうな。
さて、気を取り直して今日の晩ごはんは何にしようか。
うーん、魚が食べたい気もするし肉を食べたい気もする。
冷蔵庫の中身をあれこれ思い浮かべていると、昨日の肉じゃがが余っていることを思い出す。
久しぶりにコロッケにでもするか。
自宅に着くと手早くジャケットを脱いで手を洗う。冷蔵庫を開くと案の定作りすぎた肉じゃがが。
昨年のいつかみたいにレンジで水分を飛ばすと、フォークで潰していく。
出汁の匂いがキッチンに充満する。
金曜日の夜にする料理ってなんでこんなに心安らぐんだ。
彼女が帰って来るであろう時間目掛けて炊飯器をセット、あとは…。
簡単なサラダでも作っておくかと大根を細切れにすべく包丁を入れる。
あとはタネを揚げるだけというところで、玄関がガチャガチャと鳴った。
エプロンを外して迎えに行く。
「おかえり、秋津」
「ただいま〜有くん!金曜日!帰ったらご飯がある幸せ!」
テンション高めな彼女は靴を脱いで揃えるとばたばたとこちらに駆け寄ってくる。
「あ、またネクタイつけたままじゃん」
慣れた手つきで結び目が解かれていく。せめてものお返しとしてジャケットと荷物を預かると、リビングの方へ足を進めた。
「なんかこう、ジャケット脱がされるのもいいわね」
「馬鹿なこと言ってないで手洗ってこい、今日はコロッケな」
パタパタとスリッパの音を鳴らして洗面台へと消えていく食欲モンスター。俺は荷物をいつもの位置に置くと、寝室のクローゼットに彼女のジャケットと自分のネクタイをしまい込む。
キッチンに戻ると、彼女は腕まくりをして準備を始めていた。
「食器出しといたけどこれでいい?」
「おう、完璧。コロッケ揚げちゃうから他頼むわ」
俺も負けじと腕まくりし、油を準備する。
「わ〜い!さては昨日肉じゃがだったわね?」
パチパチと弾ける音をBGMに秋津の話を聞く。鼻歌でも歌い出しそうなくらい上機嫌の彼女は、そつなく手を動かしている。
やがてテーブルには今日の晩ごはんたちが所狭しと並ぶ。
「「いただきます」」
さっそくコロッケに手をつける。
肉じゃがでしっかり味付けしているから何もつけなくてもご飯が進む。
さくさくっとした食感にじゃがいもやにんじん、肉の旨みの洪水。
秋津の口にもあったのか、ほくほく顔でコロッケを食べている。
そりゃそうだ、もはやこれは実家の味と言っても過言ではなかろう。
仕事の愚痴やらを駄べりながら十数分、やがて大皿に盛られたコロッケも大根のサラダも俺たちの胃袋に収まっていった。
むふーと満足げな顔をしながらも、残ったおかずに手を伸ばす彼女。
自分の作った料理で喜んでくれるのは素直に嬉しい。
そしてこんな毎日が。
「好きだなぁ」
ぽろっとこぼれ出した言葉は止まらないし止められない、多分ここで止める必要さえないんだろう。
非日常を感じるための日常なんかじゃない。こんなくだらなくも愛おしい毎日と、それを確かにしてくれる彼女を離したくなくて。
「え……?」
ゆっくりと顔を上げて動きを止めた食欲モンスターに一発お見舞い、もといお返しする時が来たようだ。
◎◎◎
準備はいいか。
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