第107話

 どことなくそんな気はしていた。

 いつだって自分の気持ちを表に出すのは勇気のいることだ。

 誰かからもらった気持ちをそのまま投げ返せるほど、俺は強くなかった。


 だからせめて覚えておこうと思う。

 あったこと、できたこと、そしてできなかったことを。


 スマホを横に構えると川沿いの景色を画面に収めるが散る桜にピントがあって、背景がぼやけている。


 そんな写真もいいかとシャッターを切った。


 ポケットにスマホをしまうと振り返り、真っ直ぐ駅に向かって一歩踏み出す。

 春の陽気は思考を鈍らせるらしいが、跳ねる心臓と目に焼き付いて離れないあの景色が頭をかき回していく。


 行きと違って帰りはひとり、俺は今どんな顔をしているんだろう。


 20代後半のたった1年でこれほどまでに心をぶつけられるとは思わなかった。

 

 住宅街を抜けて大通りへ。


 そろそろ今いる心地の良い空間から一歩外に出なければいけないのかもしれない。

 いずれはそうなるんだろう、と風任せにしていたことを自分で進めなければ。


 再びスマホを取り出すと、ブックマークしていたサイトを呼び出す。


 覚悟なんてとうの昔にしてたはずなんだけどな。どうにもだらだらと甘えてしまった。

 いくつかめぼしいのをスクショするとフォルダに保存する、そのうち出番もあるだろう。


 駅までもう少し。

 暖かな気温に包まれていたくて遠回りしようかと考えるも、家を出る前に早く帰ってこいと釘を刺されていたのを思い出し、そのまま横断歩道を渡る。


 日常が非日常になるのは一瞬だ。


 並べたドミノに指先で触れるように、出来上がった料理にナイフを入れるのと同じように、ほんの少しの衝撃で関係は変わってしまう。


 あの時煙草に火をつけさせた夏芽のように、桜舞う川沿いで春海さんが振り返ったように。


 足を止めている気分になれず、階段を上っていく。


 揺られること十数分。


 秋津はこうなることをわかっていたんだろうか。まぁ考えても仕方の無いことだが。


 今頃部屋のソファでごろごろしている彼女を想像してふっと笑う。


 最寄り駅に着いたとアナウンス。

 この駅で降りる人はそう多くない、休日の昼間だしな。

 

 プシューっと音を立てて開く扉、ホームに降り立つと陽気が身体へと降り注ぐ。

 これからまだまだ気温が上がる、どこかそんな報せのようなものを肌で感じとった。

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