第101話

 階段を降りてカーペットの敷かれたフロアに向かう。

 昼間のこの時間にオフィスのフリースペースに入るのは久しぶりだな。


 ざわざわとしているここじゃあ事務の仕事なんてできやしない。


 俺が足を踏み入れると視線が集まるが、直ぐに元の喧騒に戻る。

 ランダムに設置された不思議な形のテーブルを通り過ぎる度に声をかけられる。


「鹿見さんじゃん、ここまで降りてくるの珍しい」


「ちょっと会議がありまして」


 同期の横を通り過ぎるとお菓子が飛んでくる。

 こいつらここで遊んでるのか?


 タブレットをのぞき込むと、しっかり営業用のパワポを作っている。

 まぁなんだかんだ優秀だしな、この人たち。


「鹿見、秋津か?」


 営業課の課長がよく通る声で話しかけてくる。どうしてあいつの名前が出てくるんだ。おかしいだろ、探すならチャットするって。


「いや、違います断じて」


「めっちゃ否定するじゃん、後で本人に言っとこ」


「やめてください、あいつ拗ねるとだるいんすよ」


 軽口を叩きながら奥の部屋へと進んでいく。今日は相澤さんから会議室に来るようにとチャットがあったのだ。

 小峰さんと俺が呼ばれていることを考えると、異動か?結構今の事務課好きだから変わって欲しくないんだが…。


 はたまた新人が入ってくるとかだろうか。

 もしそうなら業務の割り振り考えなきゃなぁ、恐らく教育係になるのは俺だろうし。


 とまぁ色んな可能性を考えてはみたものの百聞は一見にしかず、緊張しながらドアのノブを捻る。


 3人で使うにはあまりにも広い会議室、奥に相澤さんと小峰さんが座ってる。


「いらっしゃい鹿見君」


「ごめんなさい、遅くなりました!」


「遅いぞ!鹿見!」


 あーあ、そうやってちょっかいかけるとほらまた…。

 相澤さんのデコピンが小峰さんを襲う。仲良いよなぁあそこも。

 まぁ2人とも上司と部下ではなく先輩と後輩の期間の方が長いからなぁ。


「ところで2人を呼んだ理由なんだけど」


 改まって相澤課長が話し始める。


「実は異動通知が上から出てね」


 やっぱりそうか。

 誰だ、俺も小峰さんも異動圏内だろうし、鈴谷君や春海さんもありうる、なんだったら相澤課長も別の課になんてことも考えられる。


 固唾を飲んで待つ俺たちを見て、課長は笑っている。


「安心しなさい、誰かが出ていくわけじゃないから」


 そう言うと、俺たちの前にそれぞれ紙を置く。


「おめでとう、小峰君は昇進で課長補佐、鹿見くんはなんだか異例の昇給ね。事務の課長として鼻が高いわ」


 驚いて声が出ない。課長補佐ってなんだ。今までそんな役職なかっただろ。

 小峰さんと顔を見合せて首を傾げる。


「あー、課長補佐の役職は来年度から新たに作られるのよ。うちの会社も大きくしていくなら必要だろって部長が言ってたわ。当然責任は重くなるけど、その分給料も、ね」


「よっしゃあぁぁあ!」


 今にも踊り出しそうな小峰さんに再びデコピンが飛ぶ。学習しないなぁこの先輩も。

 というか俺も給料上がるのか。あれかな、忘年会の時のやつかな。


「という訳で2人とも来年度もよろしくね」


「「はい、ありがとうございます!」」


 3人でぞろぞろと会議室を出ていく。

 フリースペースでは事務課がここに来るなんて何事なんだとわいわいしている。


 これは相澤さんの誕生日だけでなく小峰さんの昇進も祝わなければならないな。なんて考えながら俺は足早にエレベーターに向かい、上の階行きのボタンを押した。

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