第100話 雪降るチョコは舌の上
ノブを捻って後ろに引くと、重いドアが開く。
玄関には見慣れた女性もののパンプスが1つ。いや、見慣れたってなんだよ俺のじゃねぇ。
いつもの場所にいつも通りクラゲのキーホルダーが付いた鍵を置くと、手を洗いに洗面所へ。
ダイニングへと続く扉を開けるとテレビを観て笑いながらフライパンを振る秋津がいた。
こちらに気が付いたのか火を止めて近付いてくる。
「今日もお疲れ様、おかえり」
「あぁただいま…なんでこっちにいるんだ」
「さっきメッセージ送ったじゃん!嬉しいでしょ?完全無欠な美女がご飯作って待っててくれるなんて」
むんっと上体を反らして威張る彼女、エプロンの隙間から見える服に思わず眉間に指を当てる。
こいつ寝巻きに着替えてやがる。
「どこかの誰かが泊まることが確定してなければな…」
家に着いたらさっさと着替えたい。いつもより少し急ぎめでジャケットを脱いでスウェットを身に纏う。
ダイニングに戻ると、机の上には豪華なメニューが並んでいた。
鮭のムニエルにブロッコリー 、じゃがいものガレットとどこかフランス風だ。ご丁寧にパンまで添えられている。
お、このパン近くの美味しいパン屋さんのじゃないか。気合い入ってんな、ありがてぇ。
「晩ごはん、ありがとうな」
「おやすい御用よ〜」
カトラリーをふりふり振りながら秋津が応える。
いつも2人で食べる量より少なめなのは、期待していいんだろうか。
席に着くと手を合わせる。
「「いただきます」」
いつもの通り、2人で暮らすには手狭だが1人で暮らすには広すぎるこの部屋に声が響いた。
料理の味は言うまでもない。ほくほくのムニエルにパリッとしたガレット、口をリセットさせるブロッコリーが一皿にのってるだなんて贅沢だ。
もちもちふわふわのパンもそれだけで食べられるほどだ。
残業で遅くなってお腹が空いていたからか先ほど少し腹に入れたからか、秋津の作ってくれた料理もぺろりと平らげてしまう。
洗い物でもしようと食器を台所に運んでシンクに水を流していく。
秋津が後ろでごそごそしている。
これだけ作ってもらったんだ、洗い物くらいはさせて欲しい。
この時期はまだお湯を出さないと手が冷たい。鼻歌でも歌えそうなくらいの充足感を覚えながら、スポンジを走らせる。
皿洗いも終わりかけ、音もなくダイニングテーブルに戻った彼女が手招きしている。
「ねぇ、晩酌しようよ晩酌!」
でんっと机に置かれたのはウィスキー。
また取引先からの貰い物かと思いきや、見たことあるなこれ。
「お前これキッチンの棚奥にあったやつだろ、どうやって見つけたんだ」
「料理してたら見つけた!私に隠れて飲もうなんて100年早いのよ」
いや、普通に料理してたらあんな奥まで見ないだろ。こいつ漁りやがったな。
というか自分の金で買った酒くらい1人で飲ませてくれよ。
「100年後も一緒にいるのか、食費がかかるなぁ」
「そのつもりだけど?」
ふふっと彼女は笑う。
おかしい、煽ったはずが上機嫌だなこいつ。
「あ、そうだ。今日は何の日でしょう!」
思いついたかのように彼女は声を上げる。
「バレンタインだな、営業課のみなさんのおかげで明日から血糖値との勝負だ」
「そして残業した鹿見くんには私からのチョコもあります!」
パチパチパチ、嬉しさ7割恥ずかしさ3割で手を叩く。こいつは堂々と…。家で2人とはいえ恥ずかしくないんだろうか。
「その前に、白状してもらうことがあります」
「なんの罪もねぇよ」
白くて細い指を突きつけられる。なんだなんだ、ものものしい。
「それで?学生時代からなんやかんやと女子からの人気がまぁまぁある鹿見さんは?どーれくらい貰ったんですか、チョコを!!」
「言い方に棘しかないな、ないない」
「どうせ帰り道に黒髪ゆるふわ後輩とあーんとかしてたんでしょ!」
こいつ、千里眼の持ち主かよ。食べさせてもらったのはチョコじゃなくて肉まんだが。
「あーんとかまでしてないって」
「あー!じゃあやっぱりかわいいかわいい春海さんからチョコ貰ったのね!浮気者が〜!」
「くれるってのに拒否するのおかしいだろうが、というかお前も他の人に渡してるだろ」
「私が他の人に渡したのは超絶怒涛の義理!買ったやつ!あの子のは本命!」
「へぇ〜ありがたい話やでほんまに」
右斜め上を向いて口笛を吹く。俺はこいつと違って音出るからな。
「そっぽ向いてエセ関西弁喋るのやめなさい、あと無駄に綺麗なその口笛も。怒るわよ」
もう怒ってるじゃないか。ええやないかい。
ぷりぷりしながらも彼女は冷蔵庫からお皿を取り出す。
真っ白のお皿に映える黒色の三角形、粉雪を散らしたかのように白い砂糖が振られたそれは、ふんわりと甘い匂いを放ちながらテーブルへと運ばれた。
「これは……すごいな。」
売り物かと錯覚するほど綺麗なガトーショコラが、小さなテーブルの上でその存在を主張している。
「味見したけどとっっっても美味しいから」
「疑ってないよ、お前の料理は」
差し出されたフォークで三角の先っぽを切り取る。
しっとりと程よい弾力で俺の手を押し返すチョコの塊は期待感を高めてくれる。
一口。
ふわっとした生地にとろけるチョコ、甘さとともに少しビターな味わい。
普段は腹出して寝てるモンスターが作ってくれたとは思えないほどの上品さ。
頬と同時に思わず目元まで緩む。
「うまっ」
早く食べたい気持ちとまだまだゆっくり味わいたい気持ちが混ざりあって、それでもフォークをガトーショコラに突き刺すのを止められない。
「美味しいでしょ?」
「ほんと、すげぇよ。美味しすぎる」
チラッと彼女を見ると満足気な顔。
目が合うと不敵に笑った彼女の口から言葉が紡がれる。
「それ、正真正銘の大本命、大物一本釣りの予定だから。お返しは給料3ヶ月分で手を打ちましょう」
ドヤ顔でうんうん頷く彼女を見て、思わず笑ってしまう。んなあけすけな。
とはいえお返しをしないわけにもいくまい。
「期待はすんなよ」
そう言うと俺は小さなグラスに注がれた黄金色のアルコールを一気に呷った。
◎◎◎
こんにちは、七転です。
気がつけば100話、皆様のおかげでこんなところまで書いてしまいました。
改めてありがとうございます。
この先もお付き合いいただけると嬉しいです。
そのうち気が向けば別の作品も書きます、ところで皆さんは社会人ラブコメと学生ラブコメどっちが好きですか。
私は両方手当り次第無差別問答無用で読むんですが…。
せっかくのバレンタイン回、当社比会話多めです。
仕事やら作業やら執筆やらで目が回る毎日ですが、なんとか更新ペースを保てています、えらい!
ほんと、早く付き合えばいいのにね。
100話にして言うの忘れてましたが、このお話はフィクションです、残業時間以外は……。
これから社会人になる皆さんは仕事よりも健康を大事にしてくださいね(1敗)
週末はランキング上位の作品でもばーっと読ませていただこうかなと考えてます。たのしみ。
ではまた!
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