第90話
本日のお宿にチェックイン、濡れたキャリーケースを見兼ねたホテルの方がタオルを貸してくれた。
いやこれは自分のせいと言うかなんというか……申し訳ない気持ちになる。
「有くん、エレベーターこっちだって」
当の原因は楽しそうに俺の前を歩いている。
6機もあるエレベーターホールは柔らかなオレンジ色の光で照らされていた。
明るいところで改めて秋津を見ると、長い茶髪が濡れている。
「部屋着いたらシャワーな」
勢いよく彼女がこちらを振り向いた。
「えっち」
自分の身体を守るように腕を交差させている。
「ちげぇよ、風邪ひくから温まってこいって言ってんの」
「えーー」
唇を尖らせながら顔を近づけてくる。やめろ、髪が服にあたって濡れるだろうが。
「お前明日の着替え持ってんの」
「持ってるわけ!後で飲みに行く時コンビニ寄らなきゃ」
「飲みに行く話は無くなってないのか…」
やはり食欲モンスター、雨に濡れても風に打たれてもご飯への探究心は止まることを知らない。
「そりゃもちろんよ、せっかく遠くまで2人で来たんだから。ここからは旅行よ」
「へいへい」
マットが敷かれているお陰か足音がひとつもしない廊下を進んで鍵に書かれた番号の部屋に。
扉を開けると細い通路が迎えてくれる。右手には御手洗と広めの風呂、洗面台が設置されている。
そのまま奥へ行くと開けた空間には重々しい大きなベッドが鎮座していた。
今日ここで寝るのかよ…こいつと?
横でそわそわしている秋津の気配を感じて急いで腕を掴む。これはまずい。
「待て、濡れたままベッドダイブはなしだ」
「うっ…どうして分かったの…」
今にも飛び上がりそうな彼女を抑えられたことに一息つく。キラっとした目であれだけうずうずされるとそりゃあなぁ。
「何年一緒にいると思ってるんだ。毎回俺の家でもベッドに飛び込みやがって」
「フカフカしてるの見るとどうしても身体が勝手に!」
「難儀な身体過ぎる…いいからシャワー浴びてこいって」
「あ、それグッとくるわね。もう1回シャワー浴びてこいって言ってよ」
「何が望みか知らんが言わない」
彼女の着ているジャケットから無理やり腕を出し、くるりと身体を風呂の方に向けさせる。
髪だけでなく服まで水を吸っていて寒そうだ。
「じゃあお先にいただくわ」
ひらひらと手を振って紡がれたその言葉を最後に、彼女は風呂場に消えていった。
さて、シャワーを浴びているモンスターのために晩餐会の会場でも調べようかね。
外が見える位置に置かれた椅子に深く身を沈めると、まだ充電に余裕のあるスマホを机に置く。
土砂降りの雨が透けて見える窓に映っていたのは、疲れて目尻は下がっているものの、口の端だけは少し上がった自分の顔だった。
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