第89話
side:秋津ひより
コインロッカーに寄って無事キャリーケースを回収した私たちは、次の宿へと向かって歩いていた。
天気予報で雨が降ることは知っていたが、こんなに土砂降りになることまでは予想できなかった。
交通機関が麻痺しているから困っている人もいるだろうが、私にとっては僥倖。今度お参りにでも行こうかしら。
前を歩く有くんに目を向ける。
昔は私と変わらない背丈だったのに、見ない間にこんなに背中が広くなっちゃってさ。
体格云々ではなくて人間として。
「ねぇ〜もう仕事じゃないんだし今日飲みに行こうよ」
「こんな大雨でか?」
面倒そうな顔してるけど私は知っている、この後の言葉を。
何回聞いていると思ってるんだ、彼の人の良さに甘えて早数年。
「「仕方ないなぁ」」
やっぱり。
「言うと思った、ありがとね」
「お前なぁ……」
肩を竦めて前を見る彼の口の端が上がっていること、入社した時にはかなり違っていたはずの歩幅が今は同じなことはもう少し黙っててあげようかな、私優しいし。
普段はしっかりしてるくせに頑なに天気予報を見ない彼は当然傘を持っているはずもなく、密着しながら私の折りたたみ傘に入っている。
屋内にいた時は前を歩いていた彼も今は隣に並んでいる。
あーあ、会社でもこれくらいの距離感で話せたら楽なのに。
でもそれを嫌がるところも好きだから、あんまり意地悪はしない。
会場から電車で数駅行けば今日泊まるビジネスホテルに着くはず。
よくもまぁ金曜日のこんな時間に部屋が取れたものだ……まぁ1部屋しか取ってないから有くんはぶつぶつ言ってたけど。私のスーパーラッキーに感謝して欲しいものだわ。
周りに人気はない、こんなに降ってればそりゃそうか。
目の前には歩道橋、どうやら信号は結構奥まで歩かないとないらしい。
私一人だったら登ってしまうけど、有くんは今キャリーケース引いてくれてるしあんまり無理も言えない。
そんなことを考えながら肩の感触を楽しんでいると、ふとこちらを向いて彼が話し始める。
「秋津、歩道橋渡っていいか?信号結構遠そうだ」
やっぱり普段から一緒にいるから考え方も似るのかしら。
「もちろん。傘貸してよ、キャリー引いてくれてるし」
「悪いな」
「んーん!」
先程私の手を掴んで連れ出してくれた長い指から折りたたみ傘を受け取る。
この傘はずっと有くんに握られてたのか…そう思うとちょっと嫉妬しちゃうな。
歩道橋の階段に足を掛けて登っていく、彼が濡れないよう少し傘を後ろに傾ける。
一瞬、ほんの一瞬気を抜いただけ。
ふらっと私の体が宙に浮く。あぁヒールだから滑るよね、とかこのまま下まで落ちたらやばいかな、とかスローモーションに感じる時の中で様々なことが頭を流れる。
軽い衝撃の後、目の前に彼の胸が。咄嗟に手を離したからか彼が引いていたキャリーケースは雨に打たれている。
意外と胸板しっかりしてるんだ、なんて場違いな感想も抱きとめられた衝撃で吹っ飛んだ。
「大丈夫か?」
耳の近くで低くて甘い声が響く。
このままずっと彼の腕の中にいられたら他には何も要らないのに。
「うん、ありがと。助かったわ」
彼は自分が雨に濡れることも厭わず私に傘を差してくれる。
数秒後、腕を解こうと彼が身じろぎした。
「ごめん、後ちょっとだけ。ちょっとだから」
胸元のワイシャツをきゅっと握る。せっかく2人きりなんだから、これくらいはいいよね。
「仕方ない、ちょっとだけな」
いつものように優しく微笑んだ彼は、私の身体に回した腕に少しだけ力を入れた。
◎◎◎
滑り込み更新!!!!!!!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます