第88話

 とりあえず順路に沿って進む、所狭しと並べられたのはオフィス家具のモデルたちだ。

 それぞれ同じ会社の製品を使っているため区画ごとの統一感が素晴らしい。


 こんなライトあったら集中できないだろというものから、うちで使っているものの上位互換のような製品まで、目が疲れるくらいに机や椅子、ロッカーや備品がひしめき合っている。


 お、ここは個室ブースか。うちの会社にはないんだよなぁ。

 フリースペースで各々仕事してるしいらないと言えばいらないが、個人で集中して作業する時用に少し設置してもいいのかもしれない。


 デザインからアイディアまで参考になるものばかりだ。


「どう、これとか良くないか」


 隣で品定めしている秋津に声をかける。俺が指さしたのは曲がりくねったテーブルだ。


「うーん……営業課ならいいかもしれないけど」


 あまり反応は芳しくない。目線を下に向けている彼女に釣られて俺も下を見る…あぁ納得。


「そうだな……事務とか経理は収納が命だしなぁ」


 そう、足元の収納がないのである。日々書類に埋もれる俺たちとしては、なるべく普段から使う書類を足元のすぐ取り出せる場所に収納して、処理しなければならないものを机の上に広げたい。


 製品そのものに関しては言うまでもないが、展示の仕方やその説明文も参考になる。

 実際に家具をデザインするのはもちろんデザイナーだ。だからといって他の社員が審美眼を磨かない理由にはならない。

 実際、企画を通す際には流行を押さえた上で他社との差別化が課題になる。


「こんにちは、ご無沙汰しています。」


 声色が営業モードになった秋津が、ある区画で担当者らしき人に歩み寄る。

 後ろから着いていき相手の名札を見て合点がいく、取引先だ。

 

「あぁ秋津さんこんにちは、来てたんですね」


 どことなく砕けた様子の彼は、何度か秋津と会っているようだ。


 目を向けられたので頭を下げる。


「お世話になっております、鹿見と申します」


「よろしくお願いします。秋津さんにはいつもお世話になってます」


 同い年くらいだろうか。話し方が少し幼い気もするが…。


 名刺を交換して軽く話す。

 どうにもガツガツ来る感じで、うちにはあんまりいないタイプだな。


「こちらこそうちの秋津がお世話になっております」


 最近の業界の動向の話もそこそこに、この辺りの美味しいお店の話やら雑談が目立つ。


 ずっと同じスペースに居るわけにもいかないので、キリのいいところで次へと移ろうとする。

 取引先の彼はまだ話したそうだったが…。


 ふと窓から外を見ると雨が降っていた。


 次の区画に向かうべく彼女と歩幅を合わせる。人と話したからか、頭がようやく仕事モードに切り替わってきた。


「いつもあんな感じなのか」


 小声で秋津に水を向ける。


「そうなのよね…大きい声では言えないけどちょっと面倒というか…」


 少し元気を吸われたのか、展覧会ブースに入った時よりしんなりとした様子の秋津。


「今日はもう金曜日だ、後ちょっと頑張ろうな」


「うん、、今日はあんたの家に泊まる」


「おいどさくさに紛れてなんてこと言うんだ」


 人前だからあまり大きな声も出せない。もちろんその綺麗な茶髪に手刀を入れる訳にもいかない。


 軽く取引先以外の展示も見て回る。

 おしゃれさの中にも機能がしっかりしているものばかりで、本当に勉強になる。


 どの業界でもそうだが、各社が自信を持って提供しているサービスや製品は珠玉の一品である。それこそ規模は小さくても展覧会やショーともなればまるで宝石箱だ。


 あらかた見終わったか、時刻は14時。

 そろそろお暇しようと出口へ向かう。


「すまん、ちょっとお手洗い行ってくるわ」


「この辺で待ってるわね」


 この会場に来て初めて秋津と離れる。

 数分後、髪とネクタイを整えて会場へ戻ると誰かが彼女と話していた。


「秋津さん、さっき言ってたお店とかこの後どう?俺もうすぐ上がりだし」


「いえ、会社に戻りますので……」


 げんなりした秋津が目線を彷徨わせている。眉がへなっと下がったあんな顔初めて見たな。


「そんなこと言わずに〜ここで会えたのも何かの縁だし、前にランチお誘いした時は予定があるとかで行けなかったから!」


 先程名刺を交換した何某さんが秋津に絡んでいる。あいつモテるって自分でも言ってたし、顔がいいのも考えものだ。


 まぁただ……面白くはないよな。


 早足で近づくと秋津の手首を掴む。


「すみませんね、秋津はうちのですんで。ではまた。」


 目をしっかり合わせてそれだけ伝える、秋津ひよりは間違いなくうちの人間だから。


 足早に会場を後にしてエスカレーターへ。俺も彼女も口を開かない。

 自分が少しいらいらしていることに、どこか俯瞰した別の自分が驚きを感じている。近くに居れば居るほど気が付かないものである。


「もう!有くんってば!」


 物思いに耽っていたら何度か呼ばれていたようだ。

 目線を下に移してやっと自分がずっと彼女の手首を掴んでいたことに気が付いた。


「あぁ悪い。ずっと掴みっぱなしだったな」


「それはむしろ良くて!あの……ありがとね」


 顔の横で揺れる髪を白い指でくるくるともてあそぶ彼女は少し顔が赤かった。


「いや、余計なお世話だとは思ったんだが、」


「んーん実際困ってたのよ、いつも断ってるのに。しつこいのは嫌い」


 彼女は逆に俺の手を掴むと指を絡める。今は咎めるのも違う気がして。


「やっぱりモテる人間は大変だな」


 頬をかいて自分の気持ちが悟られないよう誤魔化す、勘のいい秋津にはバレてしまっているんだろうが。

 どうにもぶっきらぼうな口調になってしまう自分が嫌になる。


「えへへ、私嬉しかったんだから。ちょっと強引な有くんもいいわね、たまにはそんな感じで振舞ってみてよ」


 展覧会のブースから離れたからか、彼女はいつもの声色に戻る。


「意図的にはできないだろ」


「へ〜じゃああれは意図的じゃなかったってこと〜?」


 にやにやしながらこちらをのぞき込んでくる頬をつつく。

 昼前のしんなりした秋津はどこへやら、今は上機嫌で鼻歌すら歌いそうだ……歌わないよな?ここ家じゃないぞ。


 オフィスビルで手を繋いでいるのもおかしい、エスカレーターを降りると同時に離そうとする。俺はTPOを弁えた男。


 しかしそんな願いも儚く、がっちりとホールドされた手は離れない。


 いつの間にか取り出したスマホを見ている秋津がこちらを向く。


「ねぇねぇ、今大雨で新幹線止まってるって」


 は…?突然の話に頭が真っ白になる。

 確かにガラス張りのビルから見える外は、バケツをひっくり返したかのように雨が降り注いでいる。


 展覧会に夢中で全然気が付かなかった。雨が降っているのは知っていたがここまでとは。


 というかイレギュラーなのにどうして楽しそうなんだこいつは。


「じゃあもう一泊するしかないね〜明日は土曜日でお仕事ないし!」


「飛行機は…」


「止まってる!さっき見た!」


 まじかよ。選択肢を潰されていく。

 実際帰れないならさっさと空いてるところ探さないと。


 俺も自分のスマホを取り出して急いで検索する。ええい繋いでいる方の手がここに来て邪魔だ。なんで離してくれないんだ。


 この際泊まる場所が別の宿になってもいいだろ、これ後で会社に請求できねぇかな。


 あわてて探す俺をからかうように、ステップを踏んで彼女は俺の前に躍り出た。

 繋いだ手はそのままで、雨が地面を打つ音をBGMに形のいい唇から言葉が紡がれる。


「ここからはもう休日ってことでいいんだよね、私が誰かに奪られそうで嫉妬してくれた鹿見くん?」


 1部屋分の予約完了画面をこちらに向けて、彼女はにっこりと微笑んだ。

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