第86話

 控えめなエレベーターの音が目的の階に着いたことを教えてくれる。誰もいない廊下を2人で進む、この静けさ、靴を鳴らす音さえ響かない空間はホテルならではだ。


 寒かった外とは対照的に、ロビーだけじゃなく廊下まで暖かい。


 綺麗に2つ並んだ扉に鍵を差し込んでそれぞれ中に入る。


 あ、荷物どうするんだこれ。俺のキャリーケースに秋津の分も入ってるはずなんだが。


 別れてから数分、ドアが控えめにノックされる。流石に天下の秋津様と言えどもホテルでは静かにするらしい。俺の家でもそうあってくれ。


「はいはい」


 鍵を開けて出張モンスターを迎え入れる。コートは脱いでるから白いふわふわのニットに綺麗な茶髪が映える。


「荷物もらいに来た!」


「だよな、どうするのかと思ったわ」


「んー私としてはこのままこの部屋で過ごすのもいいなって思ってるんだけど?」


 自室の鍵をぶんぶん振りながら挑発するようにこちらを向く彼女。ただ今日は仕事で来てるんだ、負けてなるものか。


「今日は会社の金で来てるからな、ちゃんと自分の部屋に帰れよ。せっかく整ったベッドあるんだから」


「むーケチね、社畜のくせに」


「社畜を悪口に使うな。あとお前も社畜な」


「じゃあじゃあ!晩ご飯は一緒に食べましょ」


 そう言うと俺が答える暇も与えず、自分の荷物が入った袋をキャリーケースから取り出すと足早に帰って行った。


 出張、ホテルとくれば晩ご飯はもう決まっている。その土地の名産?ちょっと良さげなレストラン?いいや違う。ビジネスホテル付近にあるコンビニだ。


 これが新卒や2年目の若い頃なら夜の街に繰り出したんだろうが、ある程度年齢を重ねるともう部屋でゆっくりしたくなるのだ。

 またさらに歳を重ねると変わっていくものなんだろうか。


 という訳で明日必要な荷物を鞄に詰めたりと準備を整えたらスマホで秋津を召喚する。


「呼ばれたので来たわよ!!!」


「はええよ」


 準備できたらコンビニいこうぜ、とチャットすること数秒、再びドアがノックされた。召喚士もびっくりな速度である。


「レストランとかのがよかったか?」


「んーん、私もコンビニのつもりだった〜こういう時にお高いとこ食べに行く元気なくなったのよね」


 さらさらの髪をくるっといじりながら彼女は応える。会社では見せない幼い仕草も、私服を着た彼女ならば見慣れたところだ。

 ……心臓に悪いので不意打ちはやめて欲しいが。


「まったくもって同感だ。昔は飲みに出たりしてたんだがな」


「明日も仕事だしね!」


 再びエレベーターに乗って1階へ。やはり到着を知らせるのは控えめなチャイムだ。


 夜も深まったビジネス街を並んで歩く。吐く息はしろい。さすが社畜達の住処、見える範囲だけでも3軒ほどコンビニが見える。


 手袋を忘れたのか何も言わず手を取られる。細くて柔らかい感触が指を撫でる。

 まぁ誰も見ていないし。誰へ向けたものかわからないこの言い訳ももう何回目か。


 信号を渡った俺たちは導かれるように、こうこうと輝く光へと吸い込まれた。

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