第73話 残火
夏芽と並んで扉を開けると、そこは薄暗いラウンジだった。
シックなデザインのソファやテーブルがまばらに並んだおしゃれ空間に思わず二の足を踏む。
スーツ着てなかったらこんなとこ入れないな。
「ほら、しゃんとしなさい。あんたは昔からこういうとこ苦手よね」
背中をぱんっと叩かれる。
「悪かったな、陰キャで」
「そうは言ってないでしょ。ほらみんなを待たせてるんだから」
「それはお前のせいな」
こいつが煙草を買いたいとか言い出したせいで、せっかく近くに降ろしてもらったのにコンビニまで行くはめになったのだ。
おずおずと奥に進むと、大学時代の同期たちから声をかけられる。
「あれ、遅かったねー寄り道?」
「夏芽ちゃんと来てるじゃん、より戻したのか?」
中々空いている席が無く、みんなと話しながらフロアをうろうろする。こいつといるといたる所で同じ話をされるから、毎回否定するのも疲れるな。
「もう、そんなに淡々と別れたままとか言わなくてもいいじゃない」
「こういうのはしっかりしとかないと後々面倒だからな」
かわいく眉間に皺を寄せる夏目は、やはりあの時から変わっていない。
ようやく空いている席を見つけて腰を下ろした。
1人用のソファが4つ並んでるうち、2つを俺たちで占拠する。
スマホでそれぞれ個別注文する方式なのはありがたい、後で会計割るやり方だと時間がかかってしかたないからな。
慣れない注文UIに苦戦しながらジントニックを頼む。すぐに運ばれてきた透明な液体をくっと口に含んだ。
「ちょっと、乾杯くらいしようよ」
「えぇ……さっき披露宴で散々しただろ、気楽に飲ませてくれ」
彼女はハイボールを注文していた。あれだけコース料理食べた後にまだそんな味の濃い酒が飲めるのか、恐るべし夏目。
キリッとしたジントニックを飲むと、何か甘いものでもつまみたくなる。カシューナッツでも頼むか。
注文を悩んでいると入口近くで歓声が上がる。
どうやら新郎新婦のご到着らしい。
色んなコミュニティの人間が結婚式に参列していたというのに、こうやって二次会を回っているのは本当にマメというかなんというか……2人も疲れているだろうに。
やいのやいのと揉まれながら真ん中に立つと、披露宴の時よりもカジュアルに話し始める。
「どうする?話しに行くか?」
「各席回ってくれるらしいし待っとこうよ、席2つちょうど空いてるし」
「それもそうか」
やがて新郎新婦がうちのテーブルに。
「やっぱりそこって付き合ってんの?他のテーブルでも言われてたけど」
にやにやしながら新郎が話しかけてくる。
「付き合ってねぇよ、別れたってお前らも知ってるだろ?あ、本日はおめでとうございます」
「ありがとな、堅いのは抜きでいこうぜ。その距離感でそれは無理あるって」
卒業した後の話やら他の奴らの進退の話、結婚式の裏側なんかも教えてくれる。
そんなにかかるのか、式って……。
15分ほど喋ると話を切りあげる。そうだよな、ここだけじゃなくて他の会場にも行くもんな。本日の主役は大変だ。
「また飲みに行こうぜ!こっちだろ2人とも」
「あぁまたな、そのうち行こうぜ」
残された俺たちはグラスを傾ける。披露宴で飲んだワインやビールが効いて来たのか、ほんのり酩酊感を覚える。
新郎新婦が最後に挨拶、拍手と共に見送られる。あぁ良い式だったなぁ。
「有、このあと何かあるの?」
「いーや、知っての通り明日からまた仕事だからすぐ帰るわ」
「そ、なら混む前に私たちも出ましょっか」
言うが早いか小さなバッグを手に取った彼女は俺の腕を掴んで立たせる。
足早に会場を出ると、もう外は暗かった。
店から歩いてすぐの所でようやく俺の腕は解放される。
「なんでそんなに…あぁそういう」
どこからか取り出した赤いパッケージから煙草を一本。先程コンビニに付き合わされたやつだ。
艶やかに咥えるとこちらを向く。
「ん!」
また点けろってか。これ指が痛くなるから好きじゃないんだよな。
「面倒くさそうな顔しながらもやってくれるんだ」
「ほら、もっとこっち来い」
頭がくらっとする。酒かそれともこいつの香水か。
昔の癖で頭が近くに来るのを待ってしまう。
カチッカチッ。金属製のダイヤルを回すと、火花が散る。
「吸わないの?」
「吸わない」
あいつがこの匂い好きじゃないし。
手を口元に寄せると、そのまま夏芽に指を確保された。
無事煙草の先端に火が灯る。なんとも、最初の一吸いが格別らしい。ビールと同じだな。
ピンクのぽってりした唇から灰色の煙が吐き出される。俺の指はまだ離されない。
「あのさ」
夏芽と目が合う。仕事で会う時より濃いめのメイク、ドレス姿なのも相まって、心臓が跳ねる。
「こんなこと言うのってずるいの分かってるんだけど」
離された指が空を掴む。
正面に立った彼女は、別れたあの時よりも綺麗な顔をしていた。
「今だったら私たち、上手くいくと思うんだ」
急に周りの音が聞こえなくなり、まるで一眼レフで撮った写真のように夜の街がぼやけていく。
「おい、夏芽」
「ほら、今は私がしゃべってるんだから」
幾度となく触れた指が、俺の唇に添えられる。
「やっぱり好きなの、もう一度あなたの時間をくれないかしら」
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