第65話 忘年会とはやらかすもの

 パチパチパチパチ、拍手の音と共に社長の挨拶が終わる。上司の話と面倒な会議は短い方がいい。ビールの泡もほとんど消えていない。


 社内大忘年会。去年は確か会社のワンフロアで賑やかに開催したが、今年はお店のお座敷貸切らしい。いやぁ自分が幹事じゃない飲み会ってなんて楽しいんだ。


 お偉い様方もいるしどこかの会場を貸し切ってケータリングでもお願いするかと思いきや、まさかのちょっといい飲み屋。


 年度末の締めみたいにお堅いのも悪くないが、普段は話せない管理職や他部署の人と話すとなると、部屋が一望できる座敷もいいな。


 例によって事務課の面々は末席である。相澤さんは役員の近くだが管理職だから妥当だろう。


 とはいえ飲みが進むとみんな各々席移動しだすから関係ないがな。


 乾杯の音頭はまさかの加古、あいつ凄いなぁ。話を聞きながら役員を見ると幹部勢もうんうんと頷いている。同期の活躍を見て込み上げるものが。もう俺もおっさんの仲間入りか。


 賑やかな座敷にグラスの合わさる音が響き渡る。会社の金で酒だ!

 ビールをひと口、大掃除で疲れた身体に黄金の液体が染み渡る。さてさて、社会人の責務を全うするか。


 グラスを持って上座の方へ並ぶ。もちろんお偉い様方に挨拶だ。


「本年もありがとうございました。今回もご馳走様です。来年もよろしくお願いいたします」


 前の人に続いて幹部の面々と話していく。こういうのなんだかんだ大事だからな。


「おぉ鹿見君。今年も君のおかげでなんとか回ってるよ」


 コンペの会議で俺を壇上に引きずり出した役員さんからお褒めの言葉をいただく。というかそこそこ社員数いるのになんで俺を覚えてるんだよ、事務だぞ。


「とんでもないです。営業課が仕事とってこそですので」


「謙遜しなさんな、よくやってる。来年の昇給は期待しなさい。これオフレコだがね」


 内心のガッツポーズを必死に抑えて真顔を保つ。


「痛み入ります。これからも粉骨砕身で…」


「堅い堅い、いつも通り頼むよ。それはそうと営業課に怒ってるみたいな話を小耳に挟んだが…言っといた方がいいかな?」


「い、いえ!お気遣いありがとうございます……!」


 恨みますよ、相澤課長。

 何とか取り繕って社長たちお偉い様方との挨拶を終える。どっと疲れる、なにもかも見透かされているような。

 やはり会社を大きくした人達なだけある、胆力が俺とは大違いだ。


 事務課の後輩たちはせっせと刺身を小峰さんに献上していた。既に先輩の顔は赤い。会社の金だからって遠慮ねぇな。


 俺もたこわさやだし巻きたまごに手をつけていく。


「2人とも食べなよ」


「ありがとうございます!僕は揚げ物が来たらガッツリいただきます!」


 相変わらず元気な鈴谷君。来年はもしかしたら後輩ができるかもしれないし頑張ってもらわないとな。


「春海さんも飲むペース合わせなくていいからね」


「ありがとうございます、あの、ビールってそんなに美味しいですか…?」


 初めて飲むなら飲みにくいと思う。この悪魔の液体はそのうち突然美味しく感じる時が来るのだ。


「うーん、最初は不味かったけど大学生の時に慣れちゃった。今では美味しく飲めるようになったなぁ」


「私も飲んでみようかな…」


 お品書きを手繰り寄せながら呟く。


「あー……じゃあちょっといる?」


 無礼講だしいいか、別にこれくらい。しゅわしゅわと上っては消えゆく泡に、彼女の目は釘付けだった。


「んじゃ、はい」


 まだまだ汗をかいているグラスを渡す。

 どこか緊張した面持ちで受け取った春海さんは透明なそれに口をつける。


「う……」


 刹那、顔をゆがめて舌を出す。


 まぁ普段飲まないならそりゃ苦いだろう。小さなコップに水を注いで手渡す。


「にがいです、、」


 彼女はくっとコップを傾ける。見れば半分以上減っていた。


「まぁ普段飲まないとなおさらね。まるまる一杯頼まなくて良かったでしょ」


 少し顔を赤くした彼女はこくんと頷く。そんなに飲んだか?まだ始まって30分も経ってないけれど。


 ゆるりとした時間が流れる。喧騒の中でもここ一帯だけ切り取られたみたいだ。

 と、そんな穏やかな空間を邪魔する輩が。ご存知営業課の人間たちである。


「すみませんでした!!!!!」


 普段はきっちりスーツを着こなして、客先で雄弁に語る彼ら彼女らが眉を下げて正座でこちらを向いていた。しかも後輩から同期、先輩まで。

 なんなんだこれは。


 他のテーブルからもなんだなんだと様子見されている。恥ずかしいからやめてくれ。


「来年は気をつけますのでここはお許しを…!」


 これ相澤さんが俺をダシに圧をかけたアレだな。忘年会でわかるってこういうことか。


「あー、怒ってないので顔を上げていただいて…」


 一部先輩が混ざっているのでなんとなく敬語で話す。こんな年末まで謝らなくていいのに…。

 どうやってこの場の収拾をつけようかと考えあぐねていると、予想外のところから助け舟が。


「ほらほらこんなとこで溜まってないで散った散った」


 騒ぎを見てこちらに歩いてきた秋津がしっしっと手を振る。食欲モンスターが珍しくまともである。


「あんたたちは経理にも頭下げないとでしょ」


 いそいそと営業マンたちが散っていく。何人かはこの辺りで飲むようだ。

 みんな今年あった大きめのイベントやら来年のノルマについて話している。まぁ会社の人と飲み会だとそうなるか。


 いつの間にか春海さんも鈴谷君も同期たちのところで笑っていて、小峰さんも相澤さんに引っ張られていった。あー、南無。


 ということは今は目の前に座る秋津と二人なわけで。これじゃあいつもの家と変わらない。


「さて、俺も同期に挨拶しとくか」


 グラスを持って立ち上がろうとした。


「まぁまぁまぁまぁ」


 顔の赤い秋津に腕を掴まれて座らされる。なんなんだ。というかこいつさっきまで持ってたグラスの中身がほとんど空だ。


「なんだよ。あ、今年も今のところ営業成績加古とトップらしいな、おめでとう」


「ありがとう!……じゃなくて!」


「ん?」


「会社の飲み会じゃ話さないしさ、たまにはね」


 周りに人がいるからか声のトーンが落ちる。


「家で喋ってるだろうが」


「むー違うじゃん!こういうところで喋るのがいいのよ、外堀を埋めていけるし」


「どこのなにを埋めてんだよ」


 梅酒を飲み干した彼女に合わせて、ハイボールを注文する。薄いグラスで濃いめを飲むのがいいんだよな。


 いつも通りじゃない場所でいつも通り、グラスを合わせる。飲み会特有の喧騒が少し遠くなった気がした。


「あ、このだし巻き美味いぞ、食べてみ」


「ほんと好きね、それじゃあいただこうかしら」


 綺麗に並べられただし巻きを一切れ、大根おろしを少々取り皿に移して秋津に渡す。


「あ、有くん醤油とってよ」


「ほらひより、かけすぎんなよ」


 さっきまで騒がしかった周りがすっと静まり返る。その時間ほんの1秒にも満たなかっただろうか。


 どうしたんだと見渡すも、原因はわからない。


 近くで喋っていた営業課の同期が遠慮がちに口を開く。


「今ひよりって……ん?有くんって、え?」


 やらかしたことを自覚する。


 まずいまずいまずいまずい、完全に秋津に乗せられた。いくらほろ酔いだからといって、事務課の面々がいないからといって気を抜きすぎた。


 眉間に手を当て高速で脳を回転させるも、アルコールにどっぷり浸かった俺の頭は使い物にならない。


 おいどうするんだよと秋津の方に目を向けると、してやったと口の端を上げながらこちらを見ていた。


 どうにもその顔が綺麗で、こんな状況なのに心臓がどくんと響いた。

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