第58話

 俺は知っている、秋津のこの顔を。

 会社から家に向かう道すがら、現在21時と30分。

 むんっと膨れた頬につり上がった目、腕を組んで臨戦態勢の食欲モンスターと対峙していた。


「有って呼ばれてたんだ、へぇ〜〜いいわね〜〜」


 言葉に棘が込められている。そもそも俺が怒られる筋合いはないのだ。普通に外部の人間に丁寧に接していただけだろうが。


「別に。今は違うしな」


「私も有って呼ぼうかしら」


 もっと話がややこしくなるだろうが。


「やめてくれよ、秋津さん」


「今はひよりでしょ」


 秋津が吠える。もう遅いんだからご近所さんに迷惑だろ。というか怒るところそこかよ、付き合いは長いものの未だにこいつのツボがわからん。


 あぁ残業モンスター様、その怒りを鎮め給え。


 というか最近下の名前で呼ぶことを強制されすぎて、仕事関係で話す時に思わず口から出そうになって危ないんだよな。


 そういえば夏芽がやらかしたあの後、小峰さんがひたすら俺をいじってきたのはイラッとしたな。やってくれたな、絶対忘年会でネタにされるじゃねぇか。

 くそっ、ゆるやかに年を納めようと思っていたのに。


「何を怒ってるのかわからんが別にあいつとは何も無いって。大学卒業してから会うのこれが初めてだぞ?」


 膨らんだ秋津の頬を指で突くと、ぷしゅ〜と息が漏れた。

 思っていたよりも冷たい頬に手の熱が奪われていく。


 街の喧騒から遠ざかる。ぼぅっと淡く光る街灯と半月になりきれない少し太った月だけが俺たちを照らしていた。


 近くの家からいい匂いが鼻をくすぐる。この時間に肉々しい匂いは腹に効く。


 珍しく俺よりも早いテンポで足音を刻む秋津。


「まぁ別に?今は私が隣にいるからいいですけど?」


 まだまだ機嫌を直してくれそうにもない。仕方がない、ここは24時間空いているコンビニエンスストア大先生に手伝ってもらおう。


「よし、コンビニでも寄るか」


 自分でも白々しいとは思うが、誰かこの状況をどうにかできるならそのやり方を教えてくれ。


「1番高いケーキのやつと、温かい紅茶と、それからそれから、」


 おいおいまだ注文つけるのかよ。こんな薄給労働者に無茶させないでくれ。


 コートの裾を揺らしながら彼女はこちらを振り返る。えーっと、と数えた指が折りたたまれ、形のいい唇から言葉が紡がれていく。


「クリスマスイブはさ、定時で帰ろうよ」

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