第53話

 俺は今扉の前に立っている。毎日朝と晩に1回ずつ見るよく知っている光景だ。

 ただひとつ、いつもと違うことといえばその番号である。


 時刻は10時、清々しい土曜日の朝だ。9時に来るはずの秋津が来ないからスマホに電話してみたが出ない、おそらく寝ているのだろう。

 本来ならばここでインターホンを押して起きなかったら連打、なんてことになるんだろう。だが俺は持ってしまっているのだ、この部屋の鍵を。


 クラゲのキーホルダーが揺れる。いつもとは違う方の鍵はすんなりと入り、その役目を果たす。


 中にお邪魔して扉を閉める。一応鍵をかけることも忘れない。


「おーい起きてるか」


 お隣さんに怒られない程度に声を上げるが、物音一つしない。俺の部屋とは左右対称の廊下を進む。このまま突き当たりまで行けば俺の部屋より広いリビングが広がっているが、今日は手前のドアに手をかける。


 コンコン、とノックしてみるもののやはり返事はない。寝付き良すぎだろ、昨日遅くまで残業でもしたか?もしそうなら言ってくれれば集合時間を昼にしたのに、


 意を決して中に入る。普段彼女と過ごしていると時たま香るあの匂いがたちこめていた。部屋にはセミダブルのベッドとナイトテーブルが置かれている。

 ベッドの真ん中で眠る彼女はもぞもぞと布団を手繰り寄せている。寒いよな、冬だし。


 ナイトテーブルに置かれたスマホに通知が来て明るくなる。おい、なんでロック画面がまた俺の実家のねこで前回と違う写真なんだよ。もしかして俺が知らない間に俺の実家に帰ってるのか…?


「秋津」


「ん〜〜〜」


 いやいやと首を振る27歳営業職女性。旅行に行った時もそうだったが、こいつは本当に起きない。


 しゃがみこんで布団に手をかけると、うにゃうにゃ言ってる秋津が俺の腕を掴んで抱きかかえようとする。


「ちょ、危ないから」


 なんとか枕元に手をついて体勢を保つ。

 タイミングとはやはり悪いもので。


「おはよう、有くん。朝から襲いに来たの?」


 彼女と目が合ってしまう。


「んなわけ。寝坊してるすやすやモンスターを起こしに来たんだよ」


「えへへ、朝一番に見るのがあんたの顔っていいわね」


 そう言うと秋津は掴んだままの腕を引っ張り、俺を布団に巻き込む。最近遠慮なくなってきたよなこいつ。

 俺は諦めてされるがまま布団へダイブ。


「今日はもうこのまま寝るのか?」


「諦めが良くなって私嬉しいわ、それもいいわね。でもせっかくのデートだからあとちょっとしたら朝ごはん食べましょ」


「駅前のショッピングモール行くだけだろ」


「それがいいのよ、わかってないにゃ〜」


 キュッと抱きつかれる。冬の朝は陽が昇っているとはいえ寒い。寝起きの秋津、なんでこんなにあったかいんだ。

 ぐりぐり押し付けられた頭を背中で感じながら目を閉じる。本当にこのまま寝てしまいそうだ。


 おそらく数分間、静かな息遣いだけが部屋に響く。カーテンの隙間から漏れる光は穏やかに朝を主張していた。


「ん、まんぞく」


 秋津は一声放つと勢いよく飛び起きる。暖かそうなスウェットにもこもこのパーカー、冬の毛を纏った動物のような出で立ちをしていた。


 こう、冬用の寝巻きっていいよな。


「ご迷惑をおかけしました!準備したらおうち行くから待ってて」


「あいあい、ゆっくりでいいからな。適当にブランチでも作って待ってるわ」


 ひらひらと手を振りながら部屋から出るべくドアに向かう。


「やっぱあんた一緒に住まない?毎日朝ごはん食べたいわ」


「金とるぞ」


「生憎稼いでるのよ、まかせなさい」


「冗談だわ、本気にするなよ」


「冗談で済ませないようにしてやるわ」


「お手柔らかにな」


 カーテンを開けっ放しにしているのかリビングから廊下にまで光が入ってきている。

 普段深夜まで働いているんだ、こんな休日も悪くないだろ、頭の中で言い訳しながら俺は秋津家の扉に手をかけた。

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