第47話

 けぷっと小さく息が漏れる。ドーナツもあるしと晩ご飯をうどんだけにしておいて正解だった。

 年々胃が小さくなってる気がする。


 お風呂まで入ってくると言っていたから秋津が来るのはまだ先だろう、軽く掃除でもしておくか。

 食器を洗い部屋に掃除機をかける。


 流石に風呂を沸かして入る時間はないだろうし……パッとシャワーを浴びる。


 着替えて髪を乾かしているとドアの開く音、はやいな。


「きたわよ!」


 パジャマにコートという異様な出で立ちの秋津がリビングで待っていた。


「いらっしゃい、すごい格好だな」


「手荷物を減らすにはこれが一番だったの」


 勝手知ったる顔で棚を開けると、彼女はコーヒーを入れ始めた。

 その間に俺はドーナツを皿に盛ってテーブルへ運ぶ。


「「いただきます!」」


 先程までは1人だった部屋に2人分の声が響く。


 最初に手に取ったのはチョコのリングドーナツ。そのままかぶりつくとチョコのパリッとした食感にサクッとした生地。

 口の中でチョコが溶けていきまるでケーキを食べているみたいだ。昔子どもの頃、学校から帰ってきたら親が買ってきてくれたドーナツを思い出す。


 ほくほくと思い出にひたっていると視線を感じる。口にドーナツを入れたまま抗議の視線を向けると、目を細めた秋津が口を開いた。


「ほんと食べる時だけは幸せそうな顔するわね」


「普段は理不尽と戦ってるからな」


 手が伸びてきて眉間に触れられる。シャンプーだろうか、ふわっと甘い香りが漂う。


「どうした」


「いや、頑張ってるなぁと」


 そのままぐりぐりと眉間を押し込まれる。


「このまま眉間を突かれるのかと思ったわ」


「あんたの中で私はなんなのよ……」


「食欲モンスター」


「失礼しちゃうわ、まったく」


「あでっ」


 手を離す時にデコピンされる。これは無罪だろ俺…。

ぷんすかしながら秋津が手にしたのはクリームドーナツ。しっかり食欲モンスターしてるじゃねぇか。


 あむあむとドーナツを頬張る彼女の頬にクリームがついている。本当に20代後半なんだろうか。


「おいクリームついてるぞ」


「とってとって〜」


 仕方なくティッシュで口元を拭くべく対面に近づく。すると秋津はクリームドーナツをちぎってこちらに差出してきた。


「はいあ〜ん」


 ここで引くのも負けた気がする、そう思ってぱくりと指で差し出されたドーナツを口にする。

 生地にかけられた砂糖がほんのりとした甘さかと思えば、食べ進めるとクリームのとてつもない甘さの暴力に殴られる。

 ただ、しつこいかと言われればそんなこともなく、うどんでさっぱりとした口内にはちょうど良かった。


「ん、うまい。次行く時はこれ買おう」


「遠慮なく食べるようになってきたわね、これも進展……?」


 なにわけのわからんことをごちゃごちゃと。あ、そうだ。


「そうそう、お前夏祭りの時俺といたこと春海さんにバレてたぞ」


「あらそうなの!それはよかった」


 あれ、もっと動揺して「私の完璧な変装がー」とか言うかと思ったが。


「これで会社の人にバレちゃったから隠さなくていいわね、明日から職場でも有くんって呼ぼうかしら」


「やめろやめろ、今まで苗字呼びだったのに名前呼びになったらそれこそ疑われるだろ」


「いいのよ〜疑ってもらっても〜私はそのつもりだし?どこかの誰かさんが返事待たせてる状態だし?」


 流石に分が悪い。早くこの話題を終わらせなければ…。策士策に溺れるとはこのことか。


「この勝負、俺の負けでいいからもうこの話やめにしない?」


「いいでしょう!私は許せる優しい女だから」


「くっ…」


「あ、話変わるけど今度お買い物行きましょ」


「何か欲しいものあるのか?」


「これと言って〜って感じだけど、色々見て回りたくて」


「おっけー、駅前のショッピングモールでいいか?」


「そうしましょ。デートだからね!」


「はいはいデートデート」


 最近何も隠さなくなってきたなぁ。

 明日の仕事を思いげんなりしながらも、口に含んだコーヒーはちょうどいい苦さだった。

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