第40話 旅行といえば温泉だが異論は認める③

 手にはタオルと着替えの浴衣、もう温泉に行く準備はバッチリだ。

 外湯ももちろんあるが、この旅館にも大きめの温泉があるということで、今日は中でゆっくりすることにした。


「そんじゃいきますか〜!」


「あんた本当テンション高いわね」


 そりゃテンションの一つや二つ上がるだろう。温泉だぞ温泉!

 1階まで降りて男女の暖簾前で別れる。


「多分俺が先あがるから鍵持っとくな」


「はーい、ゆっくりしてくるわ」


 意気揚々と青色の暖簾をくぐる。すでに温泉特有の匂いが立ち込めており気がはやる。


 カラカラカラ、と軽い音で扉を開けた。もうもうと立ち込める湯気、カポーンというあの音。

 ばしゃばしゃと掛け湯をしてまずは身体を洗う。どうせもう一度洗うことになるだろうが、一旦はな。


「おぉ……」


 露天風呂に出て思わず声が漏れる。光を取り込んだ温泉は、日々の疲れを癒すかのように美しかった。まぁ裸のおっさんが何人もいるわけだが。


 俺も多分に漏れずお湯に浸かる。少し肌がピリッとするが、これがいい。鉄分を含んだお湯は独特の匂いがする。

 肩まで浸かること数分、身体の芯から温まってきた。


 次はサウナ、なんと外に備え付けられている。身体の水分を拭き取ると、むわっとしたオレンジ色の空間に足を踏み入れる。


 入って十数秒で全身から汗が吹き出る。

 外に出て水を身体に掛け、またサウナに入る。汗と一緒に残業で溜まったストレスも一緒に排出されている気がする。


 満足した俺は最後再び身体に水を掛け、屋内に戻る。丁寧に身体と頭、顔を洗う。……一応髭も剃っておくか。近くで寝るからとかじゃないけど。


 さっぱりして温泉から出る。


 身体を手早く拭いて髪はタオルドライ、服を着ると洗面台に向かう。化粧水を顔に染み込ませて歯も磨く。どうせこれから夕飯なんだけど、お風呂で綺麗になったらとことん寝る準備を進めたくなるよな。


 髪を乾かして暖簾をくぐる。目指すは瓶の自販機。

 普段外では見ない自販機に小銭を入れる。キャッシュレス化が進んだ現代でこうやって小銭を入れて瓶の牛乳を買うのが好きだったりする。


 この身体がほかほかの状態で冷えたの牛乳が飲みたいと、フィルムを剥く手が焦る。

 ようやくキャップに手をかける。


 口にした瞬間、牛乳特有の甘さが喉を滑っていく。これ、これを求めてたんだ。

 ひと口で瓶の半分ほど空けてしまう。後味までしっかり堪能して残りはちびちびと飲んでいく。

 休憩スペースに備え付けられたテレビをぼーっと見ながら時々瓶に口をつける。こんな時間が毎日あればいいのに。


 やがて真っ白な牛乳は姿を消す、それを合図に重い腰を上げて部屋へ戻る。

 鍵を差し込んで回す、いつもの揺れているクラゲは今日はいない。


 畳の匂いに包まれた部屋は「癒し」を体現したかのようだった。

 そろそろ秋津が帰ってくる頃だろうか、少し緩んでいた帯を締め直してだらだらと過ごす。


 普段の疲れか、旅の疲れか、久しぶりに一人の時間を過ごしたからか、気が付けば俺は意識を手放していた。

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