第41話 旅行といえば温泉だが異論は認める④

 カチャ、パタパタという音で意識が浮上する。目を開けるとすぐ近くに微笑んだひよりの顔があった。


「ひより……」


「うん、ひよりだよ。おはよう、有くん」


「おはよう……浴衣綺麗だぞ」


「え゛っ…ありがとう、どうしたの突然」


 ぼーっと宙を見つめること数秒、意識が完全に引き上げられる。


「すまん、寝てたわ今のなしで」


「言質とったからなしになりません〜普段から素直にかわいいって言えばいいのにね〜」


「はいはいかわいいかわいい」


 本当にかわいいんだから困ったもんだ。浴衣を着たひよりは髪をお団子にまとめて、タオルを首から掛けていた。すらっとした脚がチラチラと見えるので心臓に悪い。

 思わず目を逸らしてしまった俺は悪くないはずだ。


「それにしても寝息までたてて、よっぽど疲れてたんだね」


「やめてくれ恥ずかしい」


「いつも私の寝顔みてるしおあいこ様でしょ」


「それはお前が俺のベッドを占拠して起きないからだろ」


 ひゅーっと鳴らない口笛を吹く、その様子が外での彼女と違いすぎて思わず笑ってしまう。


「なによ、有くんは口笛上手いわけ?」


「人並みだが」


 ぴゅーっと最近流行りの曲の一節を吹く。ひよりはぐぬぬと拳を握って震えている。


「悔しい……!」


「んな口笛1つで大袈裟な」


 そんなこんなで畳の上でだらだらと過ごす。備え付けのテレビを流してはいるが、結局はすぐ彼女と喋ってしまう。



 ゆるっとした空気の中あっという間に夕食の時間になる。

 コンコン、とドアを控えめにノックしたかと思えば、最初に受付してくれた仲居さんが入ってくる。


「失礼いたします、夕食の準備を始めてもよろしいでしょうか。」


「「あ、お願いします」」


 テキパキと目の前で準備が進んでいくのを眺める。ひよりも思わず「おぉ……」と言葉が漏れていた。


 みるみるうちに豪華な御膳がテーブルに並ぶ。今日の晩ごはんの中心メニューは魚らしい。

 足音は立てず、されどさっと仲居さんたちがドアの向こうに消えていく。


 用意された食卓につく。ご飯が用意されるって本当にすばらしく、そしてありがたい話だ。


「「いただきます」」


 ぱんっと乾いた音を鳴らして手を合わせる。俺と同じでひよりも、相当お腹が空いているらしい。


 まず初めに手をつけたのは煮物だ。椎茸と蓮根、ニンジンがつやつやと輝いている。しっかりと火を通してあるからかホクホクの根菜は口に含んだ瞬間、身体が痺れるほどの美味さが駆け巡る。


「うっま……なにこれ」


 思わず口から声が出る。それほどまでに、やはりプロの作る和食は絶品なのだ。じゅわっと溢れ出るだし汁が口の中で渦巻いていく。


 続いてお刺身を口に運ぶ。ぷりっぷりの身にわさび醤油が絡んでこれまた絶品、思わずおひつから入れた米をかき込んでしまう。


「有くん有くん、これもこれも!すんごいから!」


 ひよりが指差すメインの魚に箸を持っていく。白身のあっさりとした身に淡白な脂、そして魚特有の濃い旨みが口から鼻を抜けていく。

 うますぎる……。朝獲れの新鮮な食材を旅館に持ち込むや否や調理したらしい、ここが家ではできないところだよな。


 米の一粒、魚の骨についた身さえ少しも残さない勢いで食べ進めていく。

 お酒は注文式のこと、2人でグラスに入ったビールや地酒を次々空けていく。


「おい顔赤いぞ」


「それは有くんもじゃん〜」


 呂律の回っていないふにゃふにゃとした返事がかえってくる。なんなんだこのかわいい生き物は。外には出しておけんな。

 ……俺も酔いが回っているか。


 温泉地で周りにビルがないからか、普段生活しているコンクリートジャングルよりは湿度が低い気がする。酒による身体の火照りもそこまで不快じゃない。


 デザートの杏仁豆腐までしっかりと食べ切り、再び手を合わせる。


「「ごちそうさまでした」」


 ここに来てよかった、こんなに満足な晩ご飯は久しぶりだ。

 少し膨れたお腹を擦りながらぐだっと身体の力を抜く。


 酔いが多少醒めたのか、顔色を普段通りに戻したひよりが声をかけてくる。


「お酒で汗もかいたしさ、」


 誘うように手を伸ばしてくる。


「お風呂、もっかい入ろっか」




◎◎◎

こんにちは、七転(残業のすがた)です。みなさんがこれを読んでいる頃、私はばりばり働いています、きっと。

温泉回、長いですがお付き合いください……!これ元々1話で書こうとしてたってまじ?

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