第38話 旅行といえば温泉だが異論は認める①

 長旅で疲れた腰を捻りながらバスから降りる。まぁ長旅と言っても自分の住んでいるマンションから電車で30分、そこからバスで20分の割と近場ではあるんだが。


「ん〜〜〜やっとついたわね」


 隣で伸びをしている秋津も同じような感想を抱いているらしい、良かった口に出さないで。


「よし、宿まで早速行こうか」


 現在土曜日の午前11時、俺たちは温泉旅行に来ていた。前飲みながら行き先を決めていたアレだ。


 飛行機とか新幹線で遠出しても良かったが、とりあえずは近くがいいということでこの温泉に来た。まぁ1泊だしこういうのも気軽でいいな。

 残業まみれの俺に代わって宿をとってくれたのは秋津。まぁ敏腕営業ウーマンだしその辺の心配は無用だろう。


 大きくは無いが小綺麗な旅館が目の前に現れる。温泉街特有のいい匂いに包まれながら俺たちは中に入った。


「いらっしゃいませ。長旅お疲れ様でした。」


 和服を着た仲居さんが迎えてくれる。入口は広く、内装も明るい木目が綺麗でテンションもあがる。


「受付してくるわね」


 秋津の荷物を預かって後ろに続く。


「予約していた鹿見です」


「おい、」


 俺の名前で予約取ったのかよ。


「鹿見様、ようこそおいでくださいました。こちらにサインをお願いします。お部屋の案内図と温泉に入る際に必要なチケットは……」


「あ、夫にお願いします」


「かしこまりました。本日はお部屋で夕食と伺っております。19時頃を予定しておりますがよろしいでしょうか?」


「はい、その時間には戻るようにします」


 口を挟む隙もなくトントン拍子で話が進んでいく。差し出された案内図とチケットを受け取る。今俺はどんな顔をしているのだろう。

 おい、お前もノリノリでサインするな。「鹿見ひより」は虚偽じゃねぇか。


 今は仲居さんの目もあるし何も言うまいと、夫婦で予約をとられていることとか、何故か部屋が1つなこととか、腕を組まれていることとかを無の心でスルーしつつ案内された部屋に向かう。


「有くん、いいとこね〜!」


 部屋の中に入って奥に見えたのは山の景色だった。扉から窓まで一直線に空間が広がっており、まるで自然の中にこの部屋が紛れ込んだかのようだった。


「お前俺に黙って色々やってくれたな……」


「お祭りの時にも言ったけど、こういうのは雰囲気が大事だから!」


「まぁもう諦めてるからいいが」


「あら、じゃあ年末年始は結婚の挨拶ね、任せて!有くんのお義父さんとお義母さんと連絡先交換してるし!」


「まてまて旅行でテンション上がってるのは分かるし俺もだが、取り返しのつかないことするのはやめてくれ」


 急いで秋津からスマホを取り上げる。

 こいつロック画面をうちの実家のねこ様にしてやがる…!いつ撮ったんだ。


 荷物を畳に置くと、備え付けのテーブルに鍵やらスマホやらを並べていく。今回の旅行は有名な場所やらを観光するのではなく、ひたすら温泉に入ってだらだらしようと決めた。そのために晩ご飯も奮発して旅館で食べることにしたのだ。


 日々残業で酷使している体を休めたい。その話をした時、今度は観光する旅行にも行くことを約束させられた。指切りまでする意味あったのか……?


 気を取り直して部屋を見渡すと、秋津は既にぐでっと横になっていた。


「畳気持ちいいわね、将来和室一室は欲しくなる」


「わかる、この匂いが遺伝子に効くよな」


「なんかその言い方やばそうでやだ」


「曖昧なうえに厳しすぎる…」


 15分ほどだらだらして重い腰を上げる。そろそろお昼ご飯を食べに行こうと思う。


「晩は旅館で食べるしこの辺でお昼探そうぜ」


 ぴょんっと跳ね起きると彼女はるんるんと準備を始めた。

 今日はTシャツに薄めのカーディガン、デニムパンツと動きやすそうだ。長い髪はバレッタで後ろに留めている。


「なによ、見惚れてた?」


「いーや、カジュアルなのもいいなと思って」


「見惚れてんじゃん!もっと見る?」


 うりうりと腕を当ててくる秋津がうざい。


「はいはい、お腹すいたし行くぞ」


「それは同感、何食べよっかな〜!」


 靴を履いて扉に手をかける。いつもとは違うドアの音に高揚感を覚えながら、俺たちは旅館の外へと繰り出した。

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