第36話 夏霞

 目の前には焼き鳥とビール、きゅうりの浅漬けにいかの塩辛、とんぺい焼きにどて煮、いかにも飲み会なラインナップである。

 今日はスタートアップ懇親会だ。以前顔合わせした例のプロジェクトが実際に動き始めるため、仲良くしましょうということで実働部隊で飲み会が開催された。


 ……開催されたというのは語弊があるな、幹事は俺と夏芽だ。仕事でやる飲み会ほど面倒なものはない、しかも知らない人間だらけだ。

 店探しから予定調整、セッティング等々本来の仕事に加えての業務のためストレスが止まることを知らない。夏芽に聞いたところ先方も同じようなものである。 

 まぁお偉い様方が協力的なところは大変助かったが。


 というか夏芽はちょっと業務外の話になるとすぐに会社間チャットじゃなくて個人スマホに連絡してくるのやめて欲しい。お前は恋人だろうが。


 飲み会はというと恙無く進んでいる。初めはやんわりと話していたところ、酒も入ってきて所々で人の塊ができている。


 ちなみに俺は1番端の襖に近い部分に陣取っており、店員さんを呼んだり空いたお皿を下げてもらったり追加で注文したりなんやかんやとしている。この後のお会計やら締めやらで気軽に酔うこともできない。

 まぁ裏方があの塊の中に入るのもなぁ。


「ねぇちょっと」


「はい!……なんだ、夏芽か」


「失礼ね。仮にも取引先よ」


「取引先にねぇちょっと、とか声をかける人間に失礼も何も無いだろ夏芽さん」


「ちょっと外付き合ってよ、有」


「はぁ、煙草か。あの辺のお偉い様方と行けよ、俺は吸わないんだから。というか下の名前で呼ぶな、取引先の担当だぞ」


「細かいことはいいから。あんたと話したいっつってんの」


 このつっけんどんな話し方は大学時代から変わってないな。そして飲みの途中で煙草を吸いたがるところも。


 その場を加古に任せ、カラカラとドアを開けて店の外へ。夏とはいえもう外も真っ暗だ。


 円柱型の灰皿に近づくと彼女はどこからか四角い箱を取り出す。あぁ銘柄も変わってないのか。


「変わってないな。」


「なにが」


「いーや何も」


 慣れた仕草で咥えるとライターを投げてくる。点けろってのか。

 しぶしぶ手を口元へ持っていきダイヤル部分を勢いよく回す。右手の親指の先を犠牲にパチパチと火花が散る。


 吐き出された煙を見るとあの頃を思い出す。


「最近どうなの」


「何も無い、毎日残業残業」


「大学時代から何も変わってないのは有の方じゃない」


「うーんそうか?」


 煙草はまだ1/4しか減っていない。


「夏芽は何かないのか、変わったこと」


「私もないわ。仕事が忙しいくらい」


 暑くて首元のネクタイを緩める。外なら誰も見ていないしいいだろう。


「そういえば彼女とかいるの?」


 とかってなんだよ。


「いや、はいない」


 こんなところで強がる意味もないがな。酒も回ったか。

 不意に手が近付いてくる。


「ならさ、もう1回…」


 反射的に手を掴んで下ろす。なんとなく、なんとなくだがネクタイを触られるならあいつがいいと思ってしまって。


「そろそろ戻ろうぜ、幹事だし俺たち。」


 彼女の顔を見ないで済むよう、店のドアに手をかける。夏特有のじとっと湿った空気が俺と夏芽の間に重くのしかかった。

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