第34話 お礼はビーフシチューで(後編)
ガチャリ、とよく聞くドアの音。続いてカタ、と鍵の閉まる音。
ご存知我が家の勝手知ったる秋津ひより様がお越しになった。
「しーかーみーくーん!きーたーよー!」
「小学生かお前は」
呆れながらドアまで迎えに行く。そこには妙におしゃれした秋津が立っていた。
「なんというか、どうした」
「いやぁ学生の時以来?に鹿見くん、いや有くんにお家にお呼ばれしたのでおめかししてきた!」
言葉を紡ぐ唇はぷるっと紅く光り、家では普段下ろしている髪も今日はまとめている。黒いワンピースは彼女の真っ白な肌によく似合っていた。
「似合ってる…と思う、いらっしゃい秋津」
「そこは似合ってるでいいのよ!あとひよりね」
「はいはい」
照れくさくて顔を逸らす。いつも家に来る時は部屋着だからか妙に緊張する。
横長のテーブルにお皿を並べていく。秋津はどうやらカプレーゼとにんじんのグラッセを作ってきてくれたらしい。
寝起きですぐにこれができるの凄いな…。今度から家に来る時は何か作ってもらうか。
今日は向かい合って座るらしい。対面で座ったり並んで座ったり、その日の彼女の気分で決まる。
「「いただきます」」
手を合わせて口を開く。学生の時から変わらないこの瞬間も、思い返せばあたたかい気持ちになるな。
やっぱり自分が作ったものを誰かに食べてもらうのは恥ずかしい。彼女に目を向けて反応を見る。
ぱくっと銀色のスプーンが口に吸い込まれていく。
「ん!おいし〜〜!有くんって天才?」
目をまん丸にした秋津が嬉しそうに頬をゆるめている。
よかった、ちゃんとできていたか。
安心した俺もビーフシチューに手をつける。野菜本来の味がぎゅっと詰め込まれたソースが口の中を染めていく。
ほろほろの肉は舌で溶け、赤ワインのほんのりとした酸味が引き立っている。
思わず二口目を、と思ったところで秋津が何やらテーブルの下をごそごそしている。
「見て見て!せっかくビーフシチューだから持ってきたの」
手に取ったのはいつぞや会社の表彰式で優秀者に配られたお高いワインだった。
「いいのか?これ貰った時1人で深夜に飲むぞ〜!って言ってたのに」
「やっぱりあんたと一緒に飲んだ方が美味しいし、快復祝いってことで!」
「その節はお世話になりました、ありがとな」
「んーん、困った時はお互い様ってことで」
なんとまぁ光栄なことだ。学生時代から今までいつだって人気者の秋津にそう思ってもらえるなんて。
グラスにワインを注ぐとふわっと芳醇な香りが部屋に漂う。
「本当はお礼に何か買おうと思ったんだが、何がいいかわからなくてな」
「ううん、物が欲しくてやったわけじゃないから。それでもって言うなら、今度一緒に何か買いに行こ?」
「そうだな、また今度休み合った時に駅前のショッピングモール行くか」
「そうしましょ、お揃いのお箸とかいいわね…」
「お前ほんとに、俺の家にいる時間の方が自分の家にいるより長いんじゃないか?」
目を背ける彼女、おいこれ確信犯だな。気を取り直してグラスをカチン、と合わせる。
「「乾杯」」
口に残ったビーフシチューの旨味たちをワインの洪水が流していく。
やはり肉と赤ワインは合う。
「そういや夏頃に旅行いくみたいな話あったけど、ほんとに行く?」
「え!覚えててくれたの!いくいく!先予定だけ合わせよ!」
「俺は繁忙期じゃなければ基本土日空いてるからお前に合わせるぞ」
「いやあんた年がら年中繁忙期じゃない」
「誰のせいだと思ってんだ、営業課の秋津さん」
「うっ…それを言われると分が悪いわね…あとひよりね」
「強情だな…まぁ今月は全部空いてるはずだ」
「じゃあ再来週の土日にしましょ!弾丸で!」
「よし、決まりだな。どこ行こうか」
「えーっとね〜実は色々あって…」
少し酔いも回って、楽しいことがどんどん決まっていく。たまになら贅沢するのも悪くない。
減っていくボトルと鍋のビーフシチューは、旅行の行先をかけた長い議論を予感させた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます