第11話 終わらない仕事に乾杯を

 週が明けて水曜日。普段ならば週の中で1番絶望を味わう日である。

 どうして水曜を休みにしないのか。5日間の労働に対して2日の休みは釣り合いが取れないだろうが。


 しかし今日の俺は気分がいい。何故ならば事務課で飲み会だからだ。先週金曜日のどデカい案件による残業も落ち着きを見せてきた頃、今日こそは定時で退勤する。


 社内カレンダーに事務課の人間が予定を入れるのは珍しいが、今日に限っては縦に5人全員に色がついている。

 課長の相澤さんが「水曜日は事務課飲み会、仕事持ってきたら分かってるな?」と他の課に睨みをきかせていたらしい。聞いた時は思わずガッツポーズしてしまった。


 定時直前に営業から帰ってきてそのまま資料をぶん投げてくる輩のなんと多いことか。相澤さんが以前営業1課2課の課長と飲み(殴り合い)に行ってからはマシになったが…。


 営業→事務→企画→経理と流れる処理のうち、事務→企画部分を俺と先輩の小峰さん、あとは別支社の何人かで回してるの本当におかしい。


 それを全部チェックしてる相澤さんも相当おかしい。


 だが今日に限ってはそれもない。後輩たちも早く18時にならないかと時計をチラチラ見ている。


ーーー


 先週よりも確実に暖かくなった外の風を受けて予約した居酒屋に向かう。

 課内の飲み会なんて無礼講もいいところだから上座とか下座とかそういうのはいいよ、なんて相澤さんは言うけど、ここで学ぶと後々楽だってことで。


 後輩2人を引き連れて店へ入る。予約していた鹿見です、と伝える。

 ふとあの食欲モンスターの顔がチラつくが、今日に限っては大丈夫だろう。なんせわが社からギリギリ乗り換えが無いくらいの居酒屋なんだから。


ーーー


「それでは改めまして。地獄の残業週間、お疲れ様でした!」


 いつもは厳しめの相澤さんが満面の笑みで音頭を取る。


「乾杯!」


「「「「乾杯!!!」」」」


 俺たち平社員の渾身の乾杯が個室テーブルに響き渡る。

 ここはちょっとだけお高い居酒屋である。ちゃんとした所に行こうかと相澤さんに提案したところ、後輩たち2人が気持ちよく飲めるように割と入りやすいところにして欲しい、とのことだった。


 やはり人格者は違う。自分の食べたいものをチャットで送り付けてくるだけの人間と器の大きさが違うことを思い知らされる。 


 さて、目の前に運ばれてきたのはサラダとつきだしの酢の物だった。

 体育会系の鈴谷君はせっせとサラダを取り分けている。えらいな。


小峰さんのグラスが空くや否や春海さんがメニューを見せて注文している。後輩力が高すぎる……。


「今回もお疲れ様、鹿見君」


「ありがとうございます、皆さんのおかげで何とか乗り切れましたね……」


「おい鹿見!お前この前俺のこと置いて帰っただろ!」


 既に顔が赤い小峰さんが乱入してくる。


「いやあれは仕方ないでしょ!突然先輩寝るんですもん。」


「しかも丁寧に爆音の目覚ましまで置いて帰りやがって……!」


「あ、やっぱりあれうるさいですよね」


 きょとんとしている後輩に、以前あの爆音目覚ましを使った時の動画を見せる。

 けたたましく鳴り響く目覚ましに彼らはびっくりしている。


 ビールを口に運び、蛸の酢の物を一口。うーん酸っぱいものって疲れた体に沁みる。

 酢と蛸だけでも美味しいのに、食感と味を変えるかのごとくワカメが登場する。このつきだし、メニューにないかな。もう1回食べたい。


 宴は進み注文したごはんが運ばれてくる。刺身もぷりっぷりで厚いし、チキン南蛮もタルタルが美味いのなんのって。今度あいつ連れてくるか。

 これはわざわざ家とは逆方向の電車に乗って来る価値がある。


ーーー


 宴もたけなわ、相澤さんの営業課への愚痴が一通り済んだところでお会計に入る。今日は事務課に割り当てられた親睦会費をつかっていいとのこと、俺たちの財布は痛まない。


 それにしても沢山食べて飲んだな……。バインダーに挟まれたレシートを見て思う。小峰さんなんか春海さんに言われるがままずっと飲んでたもんな。


 さて、お店にお金を払うと個室に戻る。まぁ案の定酷い有様だ。

 鈴谷君と小峰さんは机で寝息をたてている。小峰さんに関しては言い逃れできないが、鈴谷君はここまでの疲れが出たのだろう。


 春海さんも他の人のペースに釣られてかなり飲んでいたからかフラフラである。ぽわぽわとした雰囲気を振りまきながらも、どこか手元がおぼつかない。


 相澤さんと言えば、流石である。寝ている2人は放っておきながら春海さんの介護をしている。

 どうしてこうなった…。手を頭に当てる。


「鹿見君、悪いんだけど春海さんを送ってあげてくれない?」


「え゛っ…女性の相澤さんの方が良くないですか?」


「私はこのバカ2人をタクシーにぶち込んでくわ。家の方向同じだし。春海さんと鹿見君も同じ方向でしょ?あ、これタクシー代ね。」


 ひらひらと諭吉さんを渡されては断れない。


「わかりました。駅でタクシー拾って帰ります。」


「それじゃ、今日は幹事ありがとう。この残業週間も鹿見君のおかげで乗り切れたわ、これは本当。」


 こういうことを卒無く言ってのける、そしてそれが嫌味に聞こえないところが相澤さんのいいところだ。


「恐縮です…。」


「くれぐれも春海さんの家に上がり込んだりしないように!」


 それだけ言い残すと2人を叩き起した相澤さんは、出口へと進んで行った。

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