第6話 昼から和食ってちょっと贅沢した気になる
「あら鹿見ちゃん、いらっしゃい。」
いつもの穏やかな声に迎えられて、店に入る。ここはこじんまりした個人経営の和食居酒屋である。
本来は夕方から開いているが、昼からランチをやっている場合もある。
女将さん曰く「仕込みのついで」らしい。開いている日も不定期なため、隠れ家的ランチスポットとして密かに人気を誇っている。
4人がけのテーブルにつくと、後輩たちにメニューを見せる。
「鹿見先輩はいつも外で食べてらっしゃいますが、こういう所に来ていたんですね…!」
事務部屋にいた時より幾分目に光が戻った、後輩の春海さんが話しかけてくる。周りを見渡してポニーテールが揺れている。
「そうそう、ここはお昼から営業してるの不定期だから今日は運が良かった。」
「そんな秘密のお店、僕たちに教えて大丈夫なんですか?」
元気を取り戻してきた鈴谷君が心配そうに口を開く。大学ではしっかりスポーツをやっていたらしい彼は実直で真面目、たまにミスはするけどカラッとした性格で好ましい。
「2人とも働きすぎで潰れそうだったからね。いいお店紹介するのも先輩の務めってやつよ」
ぱぁあと顔を明るくした2人はメニューを食い入るように見る。写真のない文字だけのメニューは想像で補完されるからか、お腹が空いていれば空いているほど美味しそうに感じる。
俺はサバの味噌煮定食にしようかと考えていると、カラカラという音ともに扉が開き、一人の客が入ってくる。
「あら!いらっしゃいひよりちゃん!」
「女将さん〜お久しぶりです!今日は残業になりそうなのでお昼にお邪魔します。開いててよかった。」
「げ。」
聞き馴染みのある、というか最近毎日聞いている声を耳にして悪態をつく。このタイミングは無いでしょうに。
「「秋津さん!こんにちは!」」
顔を顰めた俺を見て怪訝そうな顔をすると、後輩ズたちが挨拶する。
「こんにちは。あなたたちも来てたのね。」
こいつ、社内で知らない人はいないどころかえらい人気なもので後輩たちからも憧れの眼差しを向けられている。
「せっかくだしご一緒していいかしら?」
「「ぜひ!」」
さっきから声がよく揃うなぁと詮無きことを思っていると、秋津まで同席することになってしまった。
「ほら、そこの顔の死んだ鹿見君も」
「俺課長から営業課の人間見つけたら殴っていいって許可もらってんだよな。秋津さん」
「物騒なこと言わないの。あなたどうするの、サバの味噌煮?」
「エスパーかよ。頼もうとしてるやつ当てるのやめてくれ、こわいわ。」
「これが営業課の力よ。」
俺達のやり取りを見て後輩ズがぽかんとしている。あ、やべ、疲れてるからか素でこいつと接してしまっていた。
「俺たち同期なんだよ、実は。」
「そうなんですね…!普段からお話されるんですか?」
「いや、しないな。研修とかで会う時くらいだよ」
ノリノリで要らんこと言おうとしている秋津の足を自分の足で小突く。
高校の話はするなよ。絶対面倒くさいことになるんだから。
そうこうしているうちに、俺の前にはサバの味噌煮定食が、鈴谷君の前にはカツ丼、春海さんは蕎麦を頼んだようだ。
秋津はといえば冷奴に切り干し大根、唐揚げにだし巻き玉子、茄子の揚げ浸しだ。こいつ1人だけ御膳を頼んでやがる…。
全員で手を合わせて食べ始める。食事中の話題はといえばやはり明日の商談。店に俺たちしかいないのもあり、話に花が咲く。
「明日の案件、取れそうでしょうか……?」
入社2年目でも今回の案件は雰囲気が異なると感じとれるのか、春海さんが心配そうに聞く。
「任せなさい、絶対に取ってくるわ」
会話を聞いている鈴谷君は今年度の数字が安泰なことにほっとした顔をしたかと思えば、明日以降の処理に思いを馳せて遠い目をしている。
おい、俺の足を蹴るな秋津。おおかたサバの味噌煮の味見をしたいんだろうが、今日は屈しない。後輩の前で情けないところを見せてたまるものか。
ゲシゲシと蹴られる足を無視しながらサバの味噌煮を口に運ぶ。ホロホロに崩れる身と濃い味噌が混ざって新天地すら見える。
魚特有の匂いは味噌によって寧ろ白米を進める能力を獲得していた。刻まれた白髪ネギは味としても触感としても新鮮味を醸し出していた。
白米を口に運ぶ手が止まらない。途中3人の話を聞いて黙々と食べていたら、視線を感じてそちらを向く。いつものように優しく笑った秋津がそこにはいた。
どうやら後輩ズは席を外しているようだ。
「あんた、ほんと美味しそうに食べるわよね。ほら、これも食べてみなさいよ。」
そう言うと彼女は俺の皿にだし巻き玉子を一切れ置き、交換条件とばかりにサバを奪っていく。
固い玉子焼きではなく、出汁がじゅんじゅんとでる柔らかいだし巻きは酒も進むが白ご飯にも抜群に合う。
「ん〜やっぱりサバも美味しい!次夜来た時は頼もうかしら、ねぇ?」
「知らん。営業課で打ち上げにでも行ってくれ。俺たちはお前たちのおかげで、もといお前たちのせいで無限残業編が始まるんだから」
「分かってるわよ。ごめんって」
いつになく素直だな。こういう時、こいつは緊張している。まぁ明日社運をかけた大口案件があるんだから、さすがのエース様も緊張するか。
励ましの言葉を紡ぐ前に後輩ズが帰ってくる。思わず噤んだ口は後悔してももう開いてくれない。
「わかってるから、ありがとう」
嬉しそうに顔を綻ばせた彼女は後輩二人分の伝票もかっぱらうと颯爽とお会計を済ませて出ていった。
今回は俺の負けだな。こいつにどきっとさせられるのももう慣れたもんだ。まぁ慣れないから心臓が早鐘を打っている訳だが。
焦る気持ちはジャケットの内側に隠して、俺は後輩2人を連れ立ってコンクリートでできたわが社、もとい戦場へと足を進めた。
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