第032話 来ちゃった

「来ちゃった」


 え、え、えぇえええええええっ!?


「ど、どどどど、どうしてここに!?」


 僕の病室に如月さんがいる。その事実に僕の脳みそが混乱する。


「そんなのお見舞いに決まってるじゃん」

「それはそうかもしれませんけど、すぐに退院しますよ?」

「いいの。来たかったんだから。それとも私が来るのは迷惑だった?」

「い、いえ、そんなことはありません」


 いつもいつも言い方がズルいと思う反面、それを楽しんでいる自分もいる。


 退院するまで如月さんの顔を見れないと思っていたからとても嬉しい。


 それにしても、今日も如月さんの優しさが天元突破している。


「よろしい。お腹空いてる?」

「え、あ、そういえば、そうですね」

「それじゃあ、リンゴ、剥いてあげるね」

「あ、ありがとうございます」


 お見舞いのリンゴの皮むきイベント!?


 僕がこんなに何度もラブコメイベントに遭遇してもいいのだろうか。


 明日にでも死んでしまうのかもしれない。


「は、はい……」


 しばらくして如月さんが恥ずかし気に差し出してきたもの。


 それはリンゴだった何かだった。


 おっと、完璧超人の如月さんにも意外にも苦手なものがあったらしい。学校であれだけ完璧なんだ。少しくらい苦手な物がある方が親しみやすいよな。


 恥ずかしさを堪える如月さんは可愛すぎてもうマジ「K・M・T(如月さん、マジ、天使)」。


「あぁ~!!」


 リンゴの残骸を見てしばらく呆然としていると、如月さんが突然声をあげて僕の方をニヤニヤと見つめてくる。


「え、えっと、如月さん、どうしました?」

「しらばっくれちゃってぇ。このこのぉ」


 僕が困惑していると、ニヤニヤしながら僕を肘でつつく。


 え、いやいや、何を言いたいのか全然分からない。


 推しが何も言わずとも理解するのは、ファンとして当然の義務かもしれないけど、僕はまだファン歴一カ月程度のにわか。


 如月さんの全てを理解できているとは言いがたい。


「シて、欲しいんでしょ?」


 ――ドキッ


 如月さんが艶めかしい雰囲気を出して急に何かを言い始めた。


「な、何を……」

「まったく、欲張りさんなんだから」


 さっきから本当に何も分からない。


 ベッドから少し離れた場所にあった丸椅子に座っていた如月さんがおもむろに立ち上がって僕に近づいてくる。


 え、なになになに!?

 な、なんで僕に近づいてくるの!?


「ほら、貸して?」


 如月さんが僕からリンゴの乗った皿とフォークを奪い取った。


 近い、近いよ如月さん!!


 如月さんと数十センチしかない距離に目を合わせられなくて顔を逸らそうとする。


「動かないで」


 しかし、それは如月さんの言葉で封じられてしまった。


 な、なんなんだ、僕は一体何をされるんだ!? 

 も、もももも、もしかして、キ、キス!?


 いやいやいや、それはありえないだろ!? 

 僕と如月さんは推しとアイドルのような関係。


 そんな僕に如月さんがそんなことをするはずがない。


 如月さんの行動の意味が理解できなくて全身から汗が噴き出してくる。


「はい、あーんっ」

「え?」


 そこで突然フォークに刺さったリンゴもどきを差し出された。


 えっと、これってもしかして……伝説のあーんイベント!?

 そっち!? そっちかぁ!?


 僕は安堵しながらも少し残念なような、少し恥ずかしいような、何とも言えない気持ちになった。


「ほら、早く食べて……」

「それは如月さんに申し訳ないんですが……」

「いいから早く」


 僕が丁重にお断りしようとすると、如月さんが有無を言わさない表情でリンゴをグイっと差し出してくる。


「わ、分かりました……あーんっ」


 僕は意を決してパクリとリンゴを口に含む。


 ちょっと歪だけど、如月さんが切ってくれただけで普通のリンゴの百倍美味い。


 これが女神の力か……。


「どう?」

「お、美味しいです」

「そ、そう。それは良かった。そ、それじゃあ、もう一回、あーんっ」


 はぁ……はぁ……一回だけで僕の心臓が締めあげられそうなのに、もう一回だって!?


 分かった、分かりました。いってやろうじゃないか、ピリオドの向こうへ。


「あーんっ」


 その後、僕は限界を超えた。


 もしかしたら、僕は勇者なのかもしれない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る