第008話 今日も一緒に帰ろうね

 いつもより早く目が覚めた僕は、早めに家を出た。


 それだけなのに、すれ違う人や空気が少し違って見える。如月さんのことを考えていたら、あっという間に学校に着いてしまった。


 教室に入るとまだ誰も来ていない。僕がクラスで一番乗りだ。なんだか一人で教室にいると、なんとなく罪悪感と背徳感が混ざったような気持ちに襲われる。


 これってなんなんだろうな。


 僕は席に腰を下ろして、そんな気持ちを消し去るようにソシャゲのデイリークエストをこなす。


 暫くすると、教室の扉が開く音がした。


「えぇ~、昨日のドラマ、マジでヤバかった」

「目が離せないですよねぇ」

「美遊も見て」

「三人がそういうのなら、見てみようかな」


 聞こえてきたその声は、如月さんとその友達の吉川真奈美よしかわまなみさんと川村紗季さかわむらさきさん、そして田代莉那たしろりなさんだった。顔を上げると、四人が楽しそうに談笑しながら教室の中に入ってくる。


 クスクスと口元に手を当てて笑う如月さん。


 はぁ……今日も可愛いなぁ……。


 自然と頬が緩む。彼女の顔を見ただけで晴れやかな気持ちになった。


「あっ」

「えっと、誰?」

「どなたでしたか?」

「ん? 眞白君だよ」


 吉川さんが僕に気づくなり声を上げ、それに釣られるように田代さんと川村さんが僕を見るなり、不審者を見るような視線を送ってくる。


 それだけで自分のモブっぷりが良く分かる。


 でも、他のクラスメイトが覚えてくれなくても、如月さんさえ覚えていてくれるならそれだけで嬉しい。


 僕は幸せな気持ちに包まれた。


 あ、いやいや、また浮かれてしまった。パーフェクトな如月さんにとってクラスメイトの名前を憶えているのなんて当たり前のことだ。


「美遊、覚えてるの?」

「クラスメイトの名前くらい全員覚えてるよ」

「すっごーい。私まだ分からない人結構いるよ」

「私もまだまだ顔と名前が一致しません」

「私も」


 それにしても、如月さんはいつも僕よりも早く来ているけど、これほどとは思わなかった。


 四人は僕から視線を外して自分たちの席の方に向かう。


 無意識に彼女たちの姿を見ていると、吉川さんたちの後ろをついていく如月さんの顔が僕の方を向いた。


 そして、ニッコリと笑って声を出さずに口元に手を添えて「お・は・よ」と口だけ動かして僕に挨拶をする。


「うっ……」


 そ、それはズル過ぎるでしょ……。


 如月さんのあまりの可愛さに心を撃ち抜かれて、僕は胸を押さえて机に突っ伏した。


 この教室には僕と彼女たちしかいない。つまり、如月さんが幽霊が見える人でもない限り、間違いなく彼女の視線と言葉は僕に向けられていた。


 その事実があまりに嬉しくてついつい顔がにやけそうになる。


 いやいや、しかし、勘違いしてはいけない。あの挨拶も如月さんならきっといつもやっていることに違いない。


 平常心、平常心だ。


 僕は何度も勘違いしそうになる気持ちを押さえつけ、再びソシャゲを進める。しかし、ホームルームが始まるまでの記憶が全くなかった。


「なぁ……」

「どうしたんですかな、同士ヒッキー」

「だからヒッキーは止めろ。高嶺の花の美少女が自分にだけ挨拶してくるってどういうことだと思う?」


 昼になると、今日も昨日と同じようにマギーにぼんやりと質問する。


「そうですなぁ、気のせいではないですかな?」

「だよなぁ……」


 どうしても調子に乗ってしまいそうな気持ちをマギーが冷やしてくれる。


 朝からずっとあの顔がリフレインしてしまう。


 あぁ……なんて可愛いんだ……。


「ちょっと、お花摘んで来るわ」

「沢山摘んでくるのですぞ」

「五月蠅いよ」


 いくら冷静になろうとしても浮ついた気持ちになってしまうので、気持ちを切り替えるために用を足しに行き、トイレの外に出る。


「あっ」

「あっ」


 しかし、僕の目論見は脆くも崩れ去る。偶然如月さんもお花を摘みにきていたらしく、トイレを出たところで出くわしてしまった。


「僕、教室に戻るね」

「う、うん」


 ただ、ここは沢山の同級生がいる場所。彼女が変な風に思われないように僕はすぐにその場を離れる。


「今日も一緒に帰ろうね」


 でも、彼女の横を通り過ぎようとした瞬間、僕にだけ聞こえる声量で彼女はそう言った。


「へぁっ……」


 あまりに現実離れした言葉に、僕は耳を押さえて間抜けな声を漏らす。呆然とする中、彼女の方が先に何事もなかったかのように歩いて去っていった。


「え、なんであいつここで立ち止まってるの?」

「女子トイレの前とかヤバくない?」

「キモいんだけど」


 周りの不審な視線が向いていることに気付いた僕は、急いで教室へと戻る。そこでは如月さんは何事もなかったように友達と楽しそうに話をしている姿があった。


「おかえりですぞ、同士ヒッキー。沢山出ましたかな?」

「あぁ」

「……どうしたのですかな、ぼーっとして」


 僕の生返事に不思議そうな顔をするマギー。


「美少女が自分と一緒に帰ろうって言ってくる理由ってなんだろうな?」

「またですかな? それはやっぱり勘違いさせて弄ぶためではないですかな?」

「そうだよな。そうじゃないとおかしい」

「いい加減、妄想から戻ってきてくだされ」


 僕は今日も使いものにならなかった。


 それはともかく、明日から一番に学校に来ようと思う。

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