失踪3

 三雲から折返しはなく、また連絡しても繋がらない。ついに電源が切れているようでコールすら鳴らなくなった。失踪という二文字が頭に浮かぶ。やはりまた仕事終わりに彼女の職場へ向かったが無断欠勤中で連絡が取れないらしい。小幡に問い合わせたが彼は今日は休みのようだ。連絡先を知らないので職場から連絡してもらうことが叶わず、なす術なくトレジャーメディアを出る。

 雨が降ってきた。逢魔が時、霊が蠢く。あまり視ないようにしながら家路へ向かう。傘を忘れたので激しい通り雨の中で歩けば当然ずぶ濡れになった。なぜか急に彼女を思い出す。

 出会った頃の彼女は女優として輝いていた。ある日、霊として蘇るヒロインの役を演じることになった彼女は僕と付き合うことで霊のことを知りたがった。憑依型女優の彼女は役のすべてを徹底的に調べなければ気がすまず、その強い意思と狂気的な熱意に負けて話をした。それから彼女は僕の話を元にその役を憑依させ、見事演じきった。公演は盛況で、あれを超える観客動員数もそうないだろう。当然、三雲眞純は大学内外で有名となり、僕は彼女の輝きに隠れるように生きていたものだが、その頃にはすでに付き合っていたので悦に入ることもなくはなかった。

 しかしその後、プロダクションからの誘いもあったらしいが彼女はすべて断った。舞台にこだわりがあるのかと思いきやそういうわけではなく、テレビに出て表の華やかな舞台に立つことや女優として生きていくことに関心がなくなったそうだ。そして、その役をやったばかりに彼女は怪奇現象を好むようになった。テレビ局に入社し、バラエティ番組のディレクター志望だったがドラマ部に配属されてすぐに辞めた。彼女の怪奇愛は今も昔も常軌を逸している。それは僕にとって都合のいい話ではなかった。ただ少し非日常で普通の生活をしたいだけなのに。

 彼女は僕にとって良き理解者になってくれるのかもしれない。最初はそんなことを考えた。だって僕は普通じゃないから、普通になろうとしても難しく、きっとこの先も普通を装って生活しなくてはいけない。いつしか本当の自分を大事な人にすら明かさず秘めて生きていこうと思っていた。僕のせいで相手を傷つけたくないし、怖がらせたり不安にさせたりしたくない。霊は死と直結し、生あるものは死を怖がる。そういうものであり、人の心理を知れば知るほど相手の心を読めば読むほど自分を偽ることに決めた。十代の頃はそんなふうに考えたこともあった。

 けれどそれでは僕自身が寂しいままだ。それに気がついたのが二十代になってからだった。だから僕は彼女が必要だった。必要としていた。彼女も僕を必要としたが、それは自分の欲求を満たすためだけのことであり、共に支え合って生きていくという意味ではない。だからといって僕は彼女を手放そうとは思わない。

 大丈夫、忘れていない。僕は彼女のことを忘れていない。彼女を守るために離れることに決めただけのことだ。たとえそれが彼女にとっての本意じゃなくても。


 再び廃校の鉄扉が目の前に立ちはだかる。すべてはここから始まった。

 それは二年前のこと。僕は三雲と『天使ちゃんの呪い』について調べていた。そして彼女は単独で『天使ちゃん』を行い、敗北した。三雲は重度の怪我を負い、僕もかなり体力を消耗した。その後、互いに体は回復したが三雲には呪いが残り、ただ『お迎え』を待つだけとなった。『天使ちゃんの呪い』は幸せを感じたときに死ぬ呪い。幸せになったとき、『天使ちゃん』が迎えに来る。しかし、三雲にとっての幸せなときがなんなのか僕も彼女も当初は分からなかったので、あらゆることをリスト化して検証した。結果、僕と過ごす時間が彼女にとっての幸せだったらしい。そのため僕は彼女を幸せにしないことに決めた。彼女の願いは叶えない。離婚の理由も適当に告げたが半分は本心であり、大喧嘩もして最終的には円満に別れたのが一年前のこと。ここだけは書き換えのない記憶のままだった。

 さて、あの時は『天使ちゃん』の実態がつかめず、何を目的としていたのかが分からなかったので敗北したもので、今後何が起きるか分からなかったので、僕が離婚を決断して弐支に記憶を封印される直前に彼女は僕を呪った。それがあの〝Mさん〟である。本当の怪異名は〝呪いの顔〟。

 あれもまた三雲が手掛けた恐怖都市チャンネル第25回『見るな!SNSアプリに出る呪いの顔』にて編集された通りのものであり、数年前からSNSで度々目撃されていた呪いの顔と呼ばれるもの。よく似たものを作ったのが三雲の職場のグラフィックデザイナーで、僕も何度か拝見したことがある。それは溌剌そうな女性の顔というアイコン専用の写真で、一見すればなんの変哲もない代物ではあるがこれを見つけてしまった人はこの顔にずっとつきまとわれるというもの──ここ最近、僕が見舞われた呪い現象である。

 三雲はこのアイコンを使用し、僕を再び『天使ちゃん』の案件に呼び戻したのだろう。彼女もまた無意識にそれを行った。あの頃からすでに三雲は横山や城戸、北崎、井原のように末期的な呪いの症状が出ていたのだ。

 リサイクル回収倉庫を一瞥し、中庭の方へ向かう。雨が止んできた。僕は顔を拭って中庭の土を踏んだ。柔らかく湿った土の匂いの中に紛れる異臭を感じる。一歩ずつ踏みしめるごとに異臭があの恐ろしさを呼び起こす。

『天使ちゃん』──高尾天愛はすでに死んでいるが、その姿は怪奇な怪物と成り果てていた。バラバラになった彼女の死体はデタラメにつなぎ合わせたようであり、とても人間と呼べる姿かたちをしていない。思い出すだけで足がすくみそうになる。またアレと対峙しなくてはいけないのか。気が滅入ってくる。

 その感情が伝わったのか背後から冷たいものがヒヤッと首筋をくすぐった。振り返ると両手首がない田澤梨香がいる。

「あぁ……そうだった。あなたはここで亡くなったんでしたね」

 言葉をかけると彼女はゆっくりと頷く。

「お母さんを守れませんでした……申し訳ないです」

 彼女が母親に語りかけていた意味は結局分からない。でも母を呪い殺す必要も動機もない。ただ寂しいから連れていきたかったのだろうか。でも僕は物事を良く捉える質だから、こう思ってしまう。彼女は母親に忘れられないよう話しかけていたのではないか。

「忘れられるのって、怖いからな……」

 つい独りごちると彼女の首がわずかに傾いた。涙を流している。僕は彼女に近づき訊ねた。

の居場所、分かりますか?」

 首肯。

「どこですか?」

 なおも訊ねれば彼女は腕を動かす。指し示すのは校舎の中だった。二年二組の教室。

「ありがとうございます」

 顔を引きつらせて笑うと、彼女は顔を上げて何かを呟いた。そのまま夜の闇に溶けるようにして消えていく。彼女の魂が完全に消滅した。

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