ノイズ5
小幡は僕を爪先から頭まで見つめると困惑気味に口元を緩ませた。両腕で二人の七歳児をそれぞれ抱える姿を見やり、この忙しさを察したのか彼は気まずげに一歩後ずさった。
「あー、やっぱ今はやめときますか。ちょっと話したいことがあったんで来てみたんすけど、仕事の邪魔しちゃ悪いんで」
彼はタブレットをちらりと僕に見せながら言う。そこには【高尾天愛について】と書かれていた。
「もう調べたんですね。さすが有能助手」
「俺はただのADっすよ。まぁAD以上の仕事させられてますけど……探偵に転職しようかな」
「その方がいいかもしれませんね」
小幡の冗談なのか本気なのか分からない抑揚のない声に僕は気まずく返した。子供たちが僕の腕をぐいぐい引っ張る。
「せんせー!」
「あぁ、はいはい。ごめんなさい、小幡さん。またあとで。あ、僕の連絡先は三雲に聞いてください」
「分かりました」
小幡はキャップを深くかぶって会釈し、その場をさっさと立ち去った。
仕事が終わってからようやくスマートフォンを見ることができたが、小幡からの連絡はまだないようだった。三雲から聞いてくれと言ったけどうまく伝わらなかったのだろうか。わざわざ僕のもとに彼がやってきた意味も不可解なので心配になってくる。
「……連絡が取れないんですよねー」
「旅行にでも行ったんじゃないですかねー……あ、浅香さん、お疲れ様ですー」
施設から出る際、年配スタッフと人懐っこい若い男性スタッフの会話の間を通って足早に廊下を歩く。生返事をしながら僕の足は自宅ではなく株式会社トレジャーメディアに向かった。
電車を乗り継いで記憶と地図アプリを照らし合わせながら行く。下町の細い道や児童公園の近くにひっそりとある四階建ての建物。相変わらず雑多に自転車やバイクが停められている駐車スペースをくぐり抜け、ステンレス製の階段を上がってインターホンを押す。
『はいー』
受付の人のものか、怪訝そうな女性の声がした。僕は三雲の元夫であることを伝えるべきか迷う。取り留めなく困惑の声を上げているとインターホンの奥から若い男の声が割り込んできた。
『あ、俺の客です。はいはい、浅香さん、ちょっと待ってくださーい』
そう言うとしばらくしてドアが開いた。明るいオレンジの照明が僕の背後にそびえる夜の中に差し込む。
「いやー、わざわざすみませんね」
「えーっと、三雲は……?」
すぐに出てきた言葉がそれである。キャップ帽の奥にある小幡の目がパチパチしばたたき、僕は急激に恥ずかしくなった。
「……すみません。話を伺いにきました。連絡がなかったもので」
「そうっすよね。まったく、三雲さんってば急にいなくなるし」
小幡は呆れたようにため息をついた。対し、僕は一歩踏み出して詰め寄る。
「三雲が消えた? 消えたんですか?」
「え? いやいや、消えてませんよ。ちょっと家に帰っただけです。ここんところ会社に入り浸りすぎてたし、寝てないしで一旦家に戻って寝てるはず」
聞けばなんとも呑気なものだったのでホッと胸をなでおろす。まったく心臓に悪い。
そんな僕の反応を小幡は訝るように見た。
「なんで離婚したんですか?」
唐突に脈絡のない問いに今度はこっちがまばたきをしてしまう。幸い霊はいなかった。
「あ、すいません。ただ赤の他人になったのに浅香さんたち、意外と仲よさげっていうか……しかも浅香さんの霊能力をあの三雲さんがほっとくはずないのに。もったいないことしてるなぁって……あ、やべ。冗談っす」
小幡は対して悪気もなく言い、僕の困惑を無視して続けた。
「でもまぁそう思いますけどねー。あんな生活ほったらかしにして心霊番組作ってる人間ですよ。夫が霊能者だと都合がいいじゃないっすか」
僕は苦笑いだけした。だが、うまく笑えている自信がない。
小幡は一歩引いて僕を会社の中に招き入れた。彼の根城である編集室へ向かう。
「……三雲から聞いてないんですか」
無音の編集室で僕は静かに聞いた。小幡が「え?」と一瞬すっとぼけ、すぐに合点したように「あぁ」と声を漏らしながら椅子に座る。
「訊いたら『三紀人くんに嫌われたから』としか言わないっすよ、あの人」
「訊いたんだ……」
「そりゃまぁ。気になったんで。誤解しないでほしいのは、俺は別に三雲さんのことなんとも思ってません。私生活とかマジで一ミリも興味ないけど流れでそういう話になったんで。あー、いや、向こうが俺のこと詮索するから仕返しですかね、なんかそういう感じでした」
軽快に言うところ彼は本当に悪気がないようだ。僕は脱力気味に椅子に座った。
「三雲がそう言うんなら、そうですよ」
「そうっすか……じゃ、まずは井原について話しましょう。高尾天愛のこともね」
詮索を諦めた小幡がさっさと本題に入っていく。
「井原についてですが、今は消息不明です」
「えっ」
出だしからインパクトの強い言葉が飛び出し、つい前のめりになった。しかし小幡は表情を変えずに淡々と続ける。
「なんか病院から抜け出してそのままいなくなったそうです。失踪ですね。まぁー、この人の場合は色んな人から恨まれてますからねぇ。詳しく調べていけば、どうも井原を脅したキャバ嬢が遊び半分で『天使ちゃんの呪い』をやったそうで。だからでしょうね、ヤツの症状がここ最近ひどくなったのは」
「……彼は五年前から始まったって言ってましたけど、それはどう説明するんですか」
「あー、それはまぁ追々」
小幡は失笑しながら誤魔化した。
「さて、高尾天愛です。彼女は田澤、横山、城戸からイジメを受けていた。まぁここはもう省きます。家族構成は父、母、弟の四人家族。高尾天愛が犯行に及んだ際、父は蒸発。母は自殺と立て続けに悪いことが起きてます。弟は高校生でしたね。彼の行方は不明です。で、高尾天愛ですが……田澤梨香を襲ったあとのことも省きますが、その後ですね。事故で死にました」
あまりにも淡々とあっさりした言い方をするので言葉の重さに気づくのに遅れた。
「事故?」
「はい。精神鑑定を受けて入院して経過観察して一時退院した時。みんなが目を離したすきにいなくなっちゃって」
「警察は何をやってるんだ」
「仰るとおり。でですね、線路に飛び出して列車に撥ねられて死んだらしいっす。これが高尾天愛の末路です」
以上、とでも言うように話を締めくくる。わざわざ僕に会いにくるほどの情報ではないなと思う。僕は困惑を示すように上唇をなめ、「うーん」と腕を組んで天を仰いだ。
「じゃあ、田澤梨香の死は高尾天愛の呪殺ではないってことですかね……?」
「俺はそのあたりよく分かりませんけどー……霊が呪殺する可能性は? 霊なら超常現象でなんでもできそうな気がしますけど」
そう言って彼は両手で何かをぐしゃぐしゃに丸めるような仕草をした。僕は首を横に振った。
「僕は霊が呪殺できる力を持っているとは思いません。せいぜいやるなら、相手に取り憑いて死へ誘導することでしょうか。霊は生者に強く執着しますから」
「でも貞子はやってましたよ」
小幡はなおも食い下がる。ただ彼の軽薄そうな笑みを見るところ本気で言っているわけではなさそうだが僕は片眉を上げた。すると小幡は「冗談っす」と呟いた。
「言い方を変えましょう。よほど強い霊力や超能力のようなものを持っていない限りできないと思います。生者と同じです。死んだからって異能が身につくわけではない……とにかく現実的ではないと思います」
ピシャリと言うも小幡は怯むことなく前のめりになり、すぐに口を開く。
「じゃあ呪殺じゃないんじゃ? それって人為的なわけでしょ? 手首がスパッとなくなっているってことと暴行の跡があったってことは誰かに拉致られて殺されたわけなんすよ。呪殺とは関係なしに」
「そうか……あー、だからなのかな、三雲も僕に霊を降ろせって言ってきたんです」
田澤梨香が高尾天愛に拉致され、呪殺されたというならともかくそうではないなら、高尾天愛ではない誰かが一連の事件を行っている可能性がある。そう判断していいのではないか。だったら──
「ちなみに、あの紙はどこにありますか?」
僕はおもむろに訊いた。言葉が足らなかったようで小幡が首を傾げる。
「ほら、あの呪具です。平野さんの家にあった呪いの紙」
「あぁ……あれ、三雲さんが持ってますよ。気味悪いし怖いから誰にも見えないところに保管しとこうって持って帰っちゃって」
「あのバカ……!」
つい悪態をつく。そんな僕に小幡は呆れたように腕を組んでふんぞり返った。
「やっぱ、なんで離婚したんですか、あんたたち」
田澤梨香や高尾天愛よりも、そっちが気になるらしい。でも僕は彼に話す義理はないと思うので笑って誤魔化した。
「高尾天愛のことは分かりました。それじゃ、ちょっと僕の話も聞いてください」
話を逸らすと小幡は残念そうに「はぁ」と気のない返事をした。
「ここまでの話を踏まえて思ったんですが……その紙を呪具にするために田澤梨香を殺したのではないかと思うんです」
「あ、だから紙の行方を」
「そうです。呪具にもいろいろあるようですが、あの『天使ちゃん』に使う紙には赤いハートマークが描かれていますよね。その赤がつまり」
「田澤梨香の血?」
素早く僕の言葉を引き継ぐ小幡の察しのよさに思わず舌を巻く。コクリと頷くと彼は「なるほど」と小さく呟いて帽子のつばを握った。そして不意に笑う。
「ふふっ、そいつは面白い解釈ですね。さすが浅香さん。エグいこと考えるなぁ」
こんなに褒められて良い気がしないこともそうそうない。
「やめてください。あくまで可能性の話です。僕だってこんなおぞましいこと想像したくないんですから。小幡さんと話していく中でまとまったようなものです」
「それ、いいセンいってると思います。井原のこともそれで説明つくじゃないっすか。田澤梨香が死んだことでその呪具が作られた。なんらかの理由で井原はその当時に呪われていた。そんでまた呪われることになった。いいっすねぇ。よし、次回はそれでいこう」
何やらベラベラと饒舌になったかと思えば不穏なことを言う。つい口を挟んだ。
「次回ってなんです?」
「え? だから次回の恐怖都市チャンネル、それでいいなって。三雲さんに確認取ってからになりますけど」
当然のごとく言う小幡。さすが三雲の助手だなと僕は感服した。いやまったく呆れるほどに。
「なるほど……つまり呪者はその紙を呪具にしてばらまき、次の呪殺の準備をしているというのが僕の考察ですが」
苦々しく言う。
「その拡散を促したのが君たちの番組じゃないかというのも言いたいわけです。今や呪いは観測不能なほどに広まっていると言える」
瞬間、小幡の表情が無になった。じっと見つめる。しばらく無言が続き、ただでさえ無音の編集室が重苦しくなっていく。
「……あぁ、それは考えたことがなかったな」
やがて彼は神妙に言った。
「いや……でもそれはないんじゃないですか。俺たちだって『天使ちゃん』の話がネットで広がったから取り上げただけっすよ。そんな戦犯みたいな言い方……」
しかし彼はすぐに弁明を諦めた。
「ま、結局拡散の手伝いをしたことは事実か。あー、そんなにヤバいんなら手を引きます。俺はね、俺はそうしようって言いますけど。三雲さんがどう思うかは知りませんし保証できません」
言い逃れではないことは分かるので、僕も表情を緩めて「そうですね」と呟いた。
「その前に僕と三雲は呪いを解かなきゃな……」
ひとりごちると小幡が顔を覗き込んできた。
「呪い? 浅香さんも呪われてんですか?」
「え? はい……でも、僕の場合はなんだかちょっと様子が違うみたいです。だいたい僕はあの紙に触れてないし、三雲の呪いが伝染る意味が分からない」
だんだん愚痴っぽくなってきたので口をつぐんだ。しかし小幡は僕の失言に反応せず、顎をつまんで呟いた。
「それ、三雲さんに呪われたんじゃないですか?」
ぽつんと放たれるその言葉の意味が瞬時に理解できない。僕は「へ?」と間抜けな声を漏らした。小幡はなおも当然のように続ける。
「や、だからー、それって三雲さんが呪ったんすよ。三雲さんの呪いが伝染るとか、なんか考えにくいし。だってそうでしょ? 俺、三雲さんの近くにいますけど呪われてないっすもん」
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