ノイズ4
丈伍が送ってきた資料は各地に根付く呪法が記された書物の切り取り画像だった。そのどれもが呪法であり、今回の『天使ちゃん』関連の呪いを解く方法はなかった。どれも的はずれな気がした。もっとも呪いを解くには呪い返しが有効ではあるが、それは結局相手を呪うことと同義なので僕が理想とする解呪方法とは言い難い。イメージで言えば呪いを超常的な力でねじ伏せる、それこそ祓えの力と同じように祓えたらいいのだが、事はそう簡単な話ではない。まぁ祓えたら僕の力でさっさと祓って終わらせられるんだけども。あとは紙で人形を作って自分の代わりに呪いを受けてくれるようにするなど。
風邪を引いたから薬を飲むみたいな、そういう治療に関するものがほしいのに、どれも曖昧なのでいまいち信じられない。
そうして自宅のソファで資料を読み終え、僕は丈伍に電話を入れた。
『あのな、にぃ。呪いってのは、にぃがよく言う〝気の持ちよう〟なんよ。日本には古来から呪術と密接に関わってるわけで、そこかしこに呪術がある。そんな儀式めいたもんやなくても、例えば〝ちちんぷいぷい〟もそれやな。親が子供にやるあれも呪術の類。ただそれは呪者に力があるかないかの話でさ、なんの力も持たん人がそんな呪文を使ってもなんも起きん。そうやろ』
言いたいことは分かるが前置きはいい。そんなことを考えていると丈伍は電話の奥でクスクス笑った。
『ごめんって。そんな悠長なことしとる場合じゃないのは分かっとうけど、ひとまず俺の話を聞いてくれ』
「分かったよ。それで?」
ため息まじりに先を促せば彼はまた苦笑した。
『えーっとね、そうそう。今回の呪いはこっくりさんやろ。〝天使ちゃん〟ね。総じて〝こっくりさん〟でいいやろ。だから俺はこっくりさんについて色々調べたんよ。まぁこれもやっぱりさっき言った通り強い力を持つ人間が行えば効力を持つが持たざる者にはただの遊びでしかない。にぃも知っとる通り、こっくりさんの十円玉は誰かが動かしよるわけで。〝天使ちゃん〟もそういう遊び──いや、イジメの装置として使われたわけだが。〝天使ちゃん〟の場合は生贄がおるから、その生贄に何らかの霊が入り込んだという可能性はあるよね』
「あぁ。それがつい昨日分かったよ。高尾天愛がその生贄になった。霊を降ろした三人が立て続けに失踪している。しかも最初の失踪者に関してはすでに死亡していた」
ソファに背中を預け、僕は昨日の出来事を思い返した。田澤梨香の霊を見るに横山美春と城戸綾奈も呪殺対象だったはずだ。じゃあ他の事案は一体なんなのか。
『にぃが言いたいのは、その三人以外の人間にまで呪いが及んでいるのは何故か、ということやな』
「うん」
過去に彼女たちが何をしようが誰に恨まれようが呪殺されていいわけではない。しかし恨まれても仕方のないことをしたことも否めない。この場合は因果応報なわけだが、その結論に至れば今度は別の疑問が浮かぶ。僕や三雲、北崎ら広範囲に及ぶ呪い現象はなんなのか。それこそ僕が考えていた『天使ちゃん』と『天使ちゃんの呪い』は別物という仮説が正しいと思う。
『正しいと思うよ。てかそれしか考えられんやろ。もしくはその三人を呪い殺すため、呪法の効力を強める生贄として〝天使ちゃんの呪い〟が生まれたのかもしらんね』
「ん? ん? 待って、生贄? その、僕らもってこと?」
丈伍のサラリとした物言いに危うく流されるところだった。慌てて訊けば彼は『そうよ』とそれだけ軽々しく返した。
「そうよ、ってお前……そんなあっさり他人事みたいに……」
『なん言いよーと。他人事やんか』
「ひっど……身内なのに」
頭を抱えると丈伍はケラケラ笑った。
『なんたってうちは甲斐家ですからねぇ。本来は浅香家なんぞと身内関係であることも嫌なんですけど、まぁしゃーないですからねぇ』
何やら嫌味を含んで言う(しかもこのあたり季四菜と反応が似ているなと感じる)が言い返すのも面倒なのでスルーを決めた。すると丈伍は気を取り直すように咳払いする。
『何も薄情に言っとるわけやないやん。俺はにぃのこと大好きやし、一族の中でも一番こっち側に害されない無垢な人だと思ってるよ。でもそれはそれ、これはこれ』
甲斐家と浅香家の確執については今、あまり考えたくないので僕はやはりスルーした。
まぁでも、丈伍の言いたいことは伝わった。平野詩織がいい例だ。彼女は霊力を持たずに北崎を呪い殺そうとしていた。それは彼女の執念も含むのだろうが、霊力を持たない人間がどれだけ呪いをかけようとしてもそうそううまく呪えるわけがない。つまり彼女は今回の三人を呪殺しようと目論んだ呪者が作った呪具によって人を呪うことができたが、その代償として呪殺の効力を高めるための生贄となっていたのだ。簡単に言えば養分の役割──もしこの仮説が正しければだが、それしか考えられなくなり背筋に寒気が走った。
『天使ちゃんの呪い』はネット上で流行っている呪いだ。今、全国にどれほどの人間がこの呪いにたどり着いて試しているのだろうか。呪いは一気に膨れ上がり、呪殺はもう成功していると言っても過言じゃない。それなのに呪いは止まないどころか連鎖的に各所へどんどん蔓延していくのだろう。あのコロナパンデミックを思い出し急激に虚脱を感じた。すでにそういう類のものなのだ。科学的に解明し治療することが不可能なぶん、病よりも厄介なものである。僕一人だけでは観測は不可能だし、それに僕も三雲も呪殺の養分になっているわけで……
『それならあれか、にぃ、マジで悩んどるんやなぁ、その元嫁に振り回されて』
思考の中に丈伍の声がポンとポップコーンのように浮かび上がる。その軽々しさのおかげで現実に引き戻された。
「は? いや、三雲は別に……まぁそうなんだけどさ。三雲の呪いが伝染って僕にまで変な現象が。ふとした時に知らない女が目の前に視えるんだ」
そう言いながら僕は窓ガラスを見やった。Mさんがじっとこちらを見ている。窓の外ではなく内側にいて、ただニコニコと笑いかけるだけ。もうここまで来たらオブジェのように思った方が気分が楽(驚くのも嫌になってきたし)だが、霊でもないこいつは一体なんなんだ。僕の呪いはどうやったら解けるんだろう。そして三雲も──彼女も確実にまずいと思う。彼女は大丈夫と口で言いながらもあの井原と同じような現象に悩まされているようだが。
そんなことを一気に思い出し、あの田澤由貴子の家での出来事まで脳内に映像を浮かべてしまった。すると電話の向こうで丈伍が小さく呻く。
『おい、いっぺんに色んな記憶を思い出すな。影響受ける』
「あ、ごめん」
『もうー……頭痛くなるからやめてほしいんやけど……でもまぁおかげでなんか分かったかも』
丈伍が思案めいた声で言った。
『その呪い、本当に〝天使ちゃんの呪い〟なん?』
「え?」
厳かに溜めて言うから何かと思えば。
「当たり前だろ。現に他の人たちにも呪いは伝染してる。あの北崎さんの件についても平野詩織が『天使ちゃんの呪い』で呪っていたんだから」
そう言いつつも僕はなんだか違和感を覚えていく。僕はMさんを視た。祓っても祓っても消えないこの呪いは……
『じゃなくて。元嫁や北崎らはそうかも分からんけど、にぃのその呪いはどうなん? それは本当に〝天使ちゃんの呪い〟なのか?』
まるで電話の向こうで丈伍がビシッと指をさしてくるような錯覚をするような力強い声音に、僕は何も返すことができなかった。
それを見かねたのか、丈伍はため息をつくと優しくなだめるように続ける。
『ひとまず
そう言うと丈伍は電話を切った。
***
僕が弐支に相談しないのは確かに丈伍の言う通り、心配をかけたくないのと呪いや霊能力に関する事案に関わらせたくないのが第一ではある。弐支は僕と違って病気もしやすいし、そのどれもが悪霊によるものだった。視えない彼にとって霊の存在は病と同レベルであり災厄そのもの。だからまだ独り立ちする前の僕と弐支は基本的に二人組セットで行動していた。幸いなことに僕らはとても仲がいいので喧嘩もないし、趣味も合うので気楽に過ごしていたのだが、少し問題なのは弐支の情緒不安定さに振り回されることだった。例えば僕が少しでも離れたら不安のあまり取り乱したりすることが月に何度かあった。そんな感じなので、弐支は小学校から高校まで友人の一人も作れなかった。僕の友人と遊び、自分の同級生には見向きもしない。部活も進学先も一緒で休日も一緒にいるのが当たり前。それがなんだか僕としても地味に負い目を感じ、これではダメだと危機感を抱いた。そして僕が大学生になったと同時にコンビを解消した。
つまり弐支は……要するに彼は僕に依存していたのだった。その依存対象から離れたことでなんとか人並みの生活をすることができ、今では優しい奥さんや二人の子供にも恵まれて幸せな家庭を築いているわけで、それを邪魔したくないというのが本心である。あとは三雲と関わっていることがバレたら酷いことになりそうなので連絡しようにもできない。これは壱清と義姉にも強く言っている(それに壱清のメッセージは絶対に無視するほど弐支と壱清は相性が悪い)ので連絡していないはずだ。
休憩中、僕はスマートフォンを閉じて項垂れた。午前中は不登校の子や通信制の高校に通う子が施設にいるのがほとんどで、しかも今は夏休み中ということもあり激務である。しかし今抱えている案件である田澤由貴子の訪問も定期的に行わなくてはならない。明日にでも行ってみるか。でも彼女は具体的にどうしてほしいのかは言ってくれない。ただ話し相手が欲しかっただけのようにも思える。自分を否定しない人に自分を痛めつけてきた言葉を吐き出して同情してほしそうな、自分を肯定さえしてくれればそれでいいというような、そういうカウンセリング案件なのかもしれない。それならそれでもいいのだが。むしろそっちが本業だし。
そんなことをぼんやり考えるうちに束の間の休憩も終わる。施設に戻ってきたらすぐに子供たちから引っ張られ、公園に連れて行かれた。
「元気だなぁ……」
ベンチでぼんやりと子供たちの様子を見ながら呟く。他にも若い職員が付き添っているが、子供たちは僕の方へ群がってきた。
「浅香せんせーがおじいちゃんみたいなこと言ってるー」
四年生の男子たちにゲラゲラ笑われるも微笑むことしかできない。
「せんせー、サッカーしようぜ!」
「うーん。暑いからね……僕はやめときます」
「はー? つまんねーの!」
子供の誘いを断ってしまうと酷い悪態をつかれたが、それを注意する気力も沸かない。
「せんせー、じゃあ愛莉たちとお店屋さんごっこしよー」
三年生の女の子たちに囲まれる。日陰の砂場に連れて行かれると、サッカー男子チームに「せんせーのバカ!」とまたもや悪態をつかれた。まぁこういうのは日常なのでさほど気にしない。
「そういえば、雅言くんがまたお休みなんだよねー」
「そうだねー。愛莉ちゃん、雅言くんと仲良しだから気になってるんだ、ふふっ」
横で紬さんがコソコソと僕に耳打ちしてくる。なんとも微笑ましい。僕は「そうなんですねー」と流すように相槌を打つ。女の子たちは泥団子作りに勤しみながら話を続けた。
「やさしいよね、愛莉ちゃん。雅言くん、早く帰ってくるといいよねー」
「ねー」
「風邪引いたのかなー。何日来てないんだっけ?」
「分かんないなー」
そんなことをのんびりと言う子供たちの声を聞く僕は、砂場でただただぼんやりと座っておくしかできなかった。子供たちはそんな僕のことをあまり気にしない。ただすぐに男子チームに連れて行かれ、サッカーをしなくてはならなくなったので、強い日差しの下で汗だくになる頃には僕の思考は停止していた。こんなことをしている間にも呪いは各地に蔓延しているというのに、まったくそんな素振りも感じられない平和さにほだされていく。
だから突如彼が視界に入った時、瞬時に反応することができなかった。公園の外を歩くキャップ帽男が僕に向かって手を振っている。
「だれー?」
一年生の子たちが懐っこくその男の方へ向かった。それに気づいてハッとし、すぐさま子供を回収しに走る。
「大変っすね」
キャップ帽が馴れ馴れしく話しかけてきた。顔がよく分からなかったので彼が誰だかすぐには思い出せない。でもその様子は覚えがある。
「えーっと……」
思考が溶けていたせいもあり、一拍置いて思い出した。
「あ、小幡さん」
「どもっす。元旦那さん」
この夏空に似つかわしくない不健康そうな体躯の彼は愛想笑いをした。間違いではないけれど、その呼び方はやめてほしい。
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