ノイズ
ノイズ1
田澤梨香については割とすぐに情報が手に入った。それなのに三雲からの連絡は一向にない。
あの井原の件から三日後、しびれを切らして連絡を入れてみる。一年前、手続きの関係で彼女の番号はしばらく残していたのだが、離婚が成立したしばらくしてすべての連絡先を消した。だからスマートフォンには彼女の情報を極力入れないようにしていたのだが、この件のおかげで入れざるを得ない。だが、いくら連絡帳を探っても彼女の名前が見つからなかった。
「あれ? あ、そうか。登録してないから名前がないんだ」
呪いのせいだろうか。思考力が落ちている気がする。僕は一人で苦笑しながら三雲眞純と名前を入力して彼女の電話番号をスマートフォンに登録した。連絡を入れる。何度目かのコールで繋がる。
「あ、三雲」
『何よ。あなた、連絡しないってあれほど言ってたくせに』
三雲の声が苛立っている。
「なんだよ、全然連絡くれないからわざわざ連絡したっていうのに」
そう言うと彼女は『あー』と疲れた声を出した。
『そうだ。そうだったわ。ごめんごめん。それで、なんだっけ。三紀人くんはどこまで聞いてるんだったっけ?』
おそらく徹夜明けなのだろう。僕は井原の件と独自で『天使ちゃんの呪い』を調べたこと、北崎と井原から連絡がないこと、田澤梨香のことを一気に話した。その合間で三雲は『あ、うん』やら『そう』やら気のない相槌を打つ。
「田澤梨香って、あれだったんだな。成人式傷害事件の被害者。あれが八年前くらいだろ。それから三年後あたりに彼女は失踪したんだな」
成人式傷害事件──それは成人式に参加していた新成人の一人が参加者に刃物を向けられ切り傷を負ったという事件だった。晴れやかな舞台が突如、阿鼻叫喚を呼んだというニュースはその時期しばらく色んなメディアで報道されたものだ。僕はその頃ちょうど大学院生で臨床心理士の勉強をしていたこともあり、犯人の心理状況などの分析に興味があった。
すると三雲も『あの時期、私が関わってたドラマで殺傷事件を扱ってたから放送延期になったのよね』とよく覚えている様子だ。
『そりゃ失踪もしたくなるよ。何せ被害者は犯人をいじめていた加害者。いじめの報復を受けたとかネットでも叩かれるし、メディアも煽るしで。そりゃ面白いネタだからね、当然よ』
言葉とは裏腹に軽蔑的な声音だった。単に寝不足だから不機嫌だという可能性もあるが。
「ところで、三雲」
少し間があいたので要件を話そうと咳払いする。
「あのさ、呪いのことについて君と相談したいことがあるんだ。そろそろ腹を割って話すべきだよ、僕らは」
お互いに平気なふりをしていたが、僕も三雲も呪いの進行に気がついている。はずだ。色々と調べていくうちに自分たちのことはおざなりにしていたが、いよいよどうにか対処しなければ僕たちも彼らと同じ末路をたどるだろう。すると三雲もわずかに気まずそうな声を漏らした。
『……そうね』
「まぁ、君の都合がいい日でいいから」
『分かった』
三雲はやや不機嫌そうに鼻を鳴らして電話を切った。よほど眠たかったのだろう。そう考える。
するとスマートフォンの画面に通知が入った。丈伍からのメッセージだ。
【メール】
ただそれだけしか言ってこないぶっきらぼうな従弟である。
【今、職場だから無理。丈伍、対応できる?】
休憩時間ではあるが、職場に自分のパソコンを持ち歩いてはいないのですぐには反応ができない。すると丈伍は珍しく電話を寄越してきた。
「はい、もしもし?」
出ると、外気音が強い。工事現場付近で電話しているらしいことを想像し、僕は片方の耳を塞いだ。
『よう、にぃ! おひさし〜』
九州訛りの朗々とした声が耳を通り抜ける。
「相変わらず軽いな、お前は。それで急にどうしたの。電話なんて珍しい」
『や〜、この前はうちのバカ姉が世話になったらしいけんなぁ、そのお詫びをば。この度は誠にうちの季四菜がやらかしやがってすみませんでした』
丈伍はおどけた調子で謝罪した。
「うん、まぁそれはいいんだけどさ……季四ちゃんの行方がまた分からなくなったんだ。せっかく見つけたのに。こちらこそ保護できず申し訳ない」
季四菜はあれから根城である公園からも姿を消していた。金をぶんどるだけぶんどって、どこかへ旅立ったのだろう。そうであってほしい。迷惑な従妹だが、安否だけはやはり心配になるものだ。しかしその弟である丈伍はそうではなさそうだった。
『あ、いいのいいの。ほっといとってー。あいつを縛るのは無理なんよ。にぃは気にすんな』
「そうですか」
『そんなことよりよぉ、なんだかえらい面倒なことになっとるみたいやん? 壱清にぃに聞いたわ。三紀人が呪いに困ってるみたいだから、お前なんか分からんかーって。三紀人にぃ、まーた妙なことに首突っ込んどるんやろ? あの厄介な嫁から自由になったってのに』
……丈伍の声音に悪意はない。
「うるさいな。で、なんなの? なんか僕にしかできない依頼なわけ?」
『何イライラしとんのよ。まぁいいわ。メールの中身はな、なんでも死んだ娘の声が聞こえるってやつやな。要約すればそういう話。名前はタザワユキコ』
「ふうん……タザワ……」
妙に引っかかる名前なのでつい口に出す。すると丈伍がサラリと言った。
『そうそう、田澤梨香の母親ね』
「……僕、お前に言ったっけ。田澤梨香のこと」
『ん? んにゃ、言っとらんよ。でもほら俺はさ、口で喋った相手の考えてることがちょっと分かるから。だだ漏れやったよ、にぃの頭ん中』
丈伍は飄々と言った。僕は思わず電話を離して画面を見た。
『電話もそうよ。つーか、そげん驚くか。まぁいいわ』
どこかで見ているような口ぶりである。僕は再び電話を耳に押し当てた。電話の向こうでは丈伍が考えるように唸っている。
『えーっと、田澤梨香って言ったらあれか……あー、はいはい、なるほどね。それが関係しとるわけか。了解。やっぱ俺の勘は当たるなぁ。こりゃ、にぃが依頼を受けなね』
「おい、ちょっと待て。勝手に全部察するな」
話が早すぎてこっちがついていけなくなる。そうだった。丈伍が電話や対面を嫌がるのはそういう理由だ。彼曰く、波長が合う人同士だと相手の考えていることや記憶や感情がわずかに伝わってしまうらしい。彼はそれを『電波』と呼んでいるがもう少しマシな呼び名はないのかと昔、ツッコミを入れたことを思い出した。その過去を思い出したせいで丈伍が『懐かしいなー』と言い出し、昔話に発展しそうになったのでどうにか会話の軌道修正をする。
「じゃあ察したついでに訊くけど、丈伍は呪いの解呪についてどう思う? どうやって解呪できると思う?」
『あー……そうねぇ……呪いは専門外なので……ちょーっと分からんけど』
たちまち歯切れが悪くなる。そうだよな。僕もお前も霊感は強いけど〝呪い〟や〝妖怪〟には弱いもんな。
『そうそう。俺らはその手のことは不得意やん。あ、でもね、今年の冬に呪い系……や、化け物か。そういう案件に関わったけぇ、その手の分野に詳しそうな人から話聞けるよ、多分』
「おいおい、忙しそうだなって思ってたけどとんでもない案件に関わってたのか? 聞いてないんだけど!?」
『だーって、忙しかったんだもん。師匠は消えるしさぁ、俺の腕は折れるしで大変で』
僕の大声に丈伍が困ったように返す。なんだか色々と込み入っていたらしいがそういう報告をまったくしない従弟の物臭加減に呆れた。それならそうだと言ってほしい。当時はあまりにも連絡がつかないのでやきもきさせられたが……だいたい何をやったら腕を折るんだ。そんな言いたいことを全部飲み込み(どうせ僕の思考は読まれてるだろうし)ただ一言だけ投げる。
「危ないことはするなよ……」
『その言葉、そっくりそのままお返ししますー。はい、じゃあそういうことで! 解呪のことはこっちに任しとき! じゃーね! 依頼のほう頼んだよ! 受けますって言っとくけんね!』
慌ただしく電話が切れる。仕方がない。勝手に依頼を受けられてしまうのは不服だが、メールの対応を頼んだ以上は彼を責めることもできない。解呪のことまで調べてくれるらしいし。
少し考えた後、僕は三雲に連絡を入れた。
『はい? もうなんなのよ、今日はやけにしつこいわね』
「ごめんって。ただ、先ほど僕のところに君も興味深い人から依頼がきたんだ」
イライラした三雲の声を聞いて、僕は少し愉快な気持ちになる。一方、三雲はやや考えて『何?』と疑心を含んだ声音で訊いた。
「田澤梨香の母親から依頼。日程調整したら話を聞きに行く。君も来るだろ?」
すると、電話の向こうでテーブルを叩くような衝撃音がした。
『行く!』
どうやら興奮のあまりテーブルを叩いたらしいことが分かり、僕は思わず噴き出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます