夢遊病2

「ところでよ、せっかくやし、に手伝ってもらいたいことがあるんじゃけど」

 三杯目のビールを飲み干した季四菜がおもむろに言った。その呼び方は随分と久しぶりだなと思い、つい懐かしくなって耳を傾けてしまう。

「ド素人霊能者じゃけど祓えの力はうちの親族ん中じゃ圧倒的じゃ。そんな三紀人にぃにちょいと視てもらいたいもんがあるんよ」

「一言余計なんだよなぁ……それで、なんなの? その視てもらいたいものって」

「うむ」

 季四菜は厳かに頷くとスーツケースをその場で開いた。巫女装束をそのまま畳んで仕舞っており、その上に化粧道具や神楽鈴、黒髪のカツラなどが雑多に詰め込まれていて汚い。

「そういえば、甲斐さんって巫女さんですよね」

 三雲が思い出したように言う。季四菜は「そうやよー」と何かを探しながら返す。

「ま、もう定年過ぎとるけぇ、フリーの巫女なんじゃけど。我を使いたがるのは壱清にぃくらいじゃ」

 この解答に三雲はキラキラと目を輝かせていた。どこに感銘を受けたのか皆目分からない。

「あの、もしよろしければうちの番組に出てもらえたり……謝礼もいくらか出しますし、どうか」

「ほんまにー? それならマジ助かるっちゅうもんじゃ……あ、あったあった。これじゃ」

 三雲の誘いにあまり興味なさそうに反応する季四菜は、スーツケースの奥深くから長細い茶封筒を引っ張り出した。それをポンと僕に投げつけてくる。

「何これ」

 開いたスーツケースをどうにか力技で閉じようとする彼女の前で僕は無遠慮に封筒を開いた。中には数枚の写真とメモ用紙が入っている。写真には暗がりの中で若い男性と女性が夜の繁華街に繰り出す様子が隠し撮りされていた。男性の方はぼんやりとしていてはっきりと顔が見えないがイケメンだというのはよく見なくても分かる。

「君、探偵もやってたの?」

「ちゃうちゃう。そうじゃなくてなー、そいつは依頼主が興信所から奪った証拠写真じゃ。その男が我の依頼主。どうも相手の女から脅されとるらしい……っし、おらぁ、どうじゃ!」

 季四菜はスーツケースをようやく閉じることに成功し、歓声を上げると再び椅子に座って説明を始めた。

「その男さ、実業家なんじゃ。ベントーだかベンチャーだか。でもほら、こういうのは気持ちの問題がなぁ……いくら金積まれても許さん女だっておるわけじゃよ」

 年齢は僕らと同年代かその下か。もしかすると若作りした中年の可能性もある。仕立てのいいスーツやブランドものを身に付けており、やり手の若社長といった風貌だ。

「じゃが、その男はこの女のことを知らんのじゃ」

「は?」

 食い気味に反応すれば、季四菜はニヤリと笑いながらカプレーゼを指でつまんで食べた。

「男自身はまったく覚えとらんのじゃな。ただ周囲で自分の悪い噂を聞いた。要するに飲み屋のねーちゃんから夜の世界でまことしやかに噂が流れて本人の耳に入ったわけじゃよ。んで調べさせたら、相手の女が証拠写真を集めてとったっちゅうわけ」

「なんだか複雑に込み入ってるけど、ドロドロしてるのは分かった」

 簡単にまとめる三雲に同意する。僕は目を細めて写真の男を見つめた。

「とんでもない男だな……覚えてないってことはそれくらい複数の女性と関係を持ってるってことだろ」

「んにゃ、そうじゃなく」

 すかさず季四菜が眉をひそめて焦れったそうに言う。

「本当に覚えとらんのじゃよ。つまり無意識。夢遊病みたいな。あるいは別人格の仕業か悪霊の可能性」

「はぁ?」

 あまりにも信じられないので非難めいた大声が出てしまった。慌てて口を塞ぐ。

 対して季四菜は頬杖をついて足をぶらつかせて子供のように言葉を続けた。

「いくつかの病院に通って精神状態を確認したそうじゃ。しかし原因不明。五年前くらいから、本人の知らん間に人へ金貸したり女と寝てたり、たびたびあったそうじゃがなぁ。最近はそれがかなり酷くなっとるみたいでねぇ」

 僕は写真の下にあったメモ用紙を見た。そこには彼が診察を受けたらしきクリニックや病院のリストが並んでいた。ざっと確認するだけで二十はある。有名なものから地方のものまで。ここまで聞いても精神疾患という可能性の方が高い気がするけれど、これだけのクリニックで診察しても原因不明なら……こういった怪しげなフリー巫女にすがるのも致し方ないのだろう。そんなことを考えていると季四菜がしんなりとすり寄ってきた。

「なぁ、三紀人にぃ……あんたの力が必要なんよぉー。こういう時、いつもは丈伍を呼ぶやんか? でもあいつ最近は我に対して反抗期なんじゃ。ね、だからお願いしまーす!」

「さっきまで僕をバカにしてたくせに」

「あぁ? ったく、大人げないのう。かわいい従妹の頼みじゃろが。丈伍だってあんたに貸してやっとるんじゃけぇ、そこは親族のよしみでさ」

「言ってることがめちゃくちゃなんだが……」

 無論嫌なのだが、季四菜をほっとくとろくなことはない。彼女は多額の謝礼金を平気で請求するタイプの、僕の嫌いな類の霊能者である。いつかどこかで危険なことに巻き込まれてしまう可能性が高い。だから壱清も「見つけたら気にかけてくれ」というようなことを言っていたし……言ってたっけ? とにかく近くにいたらいたで厄介な親戚だが、いなかったらいなかったで何をしでかすか分からない厄介さも兼ね備えているので実家の神社に閉じ込めておくのが都合良かったというわけだ。関わりたくない気持ちとほっとけない気持ちがせめぎ合う。

「いいじゃないの、三紀人くん! どうせ依頼もないんだしちょっとくらい手伝ってあげたら?」

 迷っていると三雲がしびれを切らしたように割り込んだ。いや待て、こいつはただ単純に面白そうだからという理由で話に乗ろうとしているだけだ。だって目が輝いている。あわよくば季四菜を番組に起用し、さらに僕をバーターにしたいのだ。そうに決まっている。

「三雲さん、マジ心強いわー。ありがとなぁ、ほんまにいい人じゃあ」

 季四菜が三雲の手を取る。

「おいコラ、まだ僕は了承したわけじゃない」

「そしたら我も『天使ちゃん』のこと調べちゃるよ! な、三紀人にぃ、大船に乗った気持ちでおりぃや!」

 ドンと大きく胸を叩く季四菜に、三雲が拍手をして僕の声を遮る。虚しいことに話がまとまってしまった。


 改めて季四菜の話を考えてみると、前回の北崎と似たニオイを感じた。酷い男が女性をたらしこんで呪われるパターン。『天使ちゃん』と関係がある可能性も否めない。

「……君もそう思うだろ」

 僕は目の前に佇むMさんに訊いた。彼女は相変わらず笑顔のままであり、うんともすんとも言わない。目をそらすと消えるが、とうとう家の隅にその姿を現すようになっている。

 僕にかけられた呪いは、このMさんが視界の中に入り込むという些細なもの。いや、もしかしたら些細なことではないのだろう。視えるはずのないものが視えるという現象は尋常じゃない。最初のうちこそ目撃すれば驚いていたが、こうも日常に溶け込まれるといちいち驚くのも面倒になってしまった。

 そもそも、どうして僕はこのMさんに取り憑かれているのか。『天使ちゃん』の話を聞いたからなのか、それとも先に呪われていた三雲に会ったからか。彼女に関わっているから呪われたのか──

 ちなみに三雲にはそういった現象は起きていないらしい。つくづく不思議だ。城戸や北崎のように身体的や精神的な害を及ぼすことはないし、三雲も僕も至って健康そのもの。そもそも城戸は何も取り憑かれていなかったみたいだし。

「あ、そうだ」

 せっかく季四菜が近くにいるので彼女の力を試そう。そう決めて就寝した。


 ***


 季四菜は今、僕が住む地域にある森林公園を住処にしている。公園はジョギングや散歩専用の遊歩道があり、その脇に真っ暗な緑地がある。もっさりとした木々は光を一切通さず、夏の長い日照時間の中でも比較的涼やかではあるようだ。

 夕方、通常勤務が終わった後に季四菜がいるという緑地まで行ってみた。しばらく遊歩道を歩いては緑地の中を覗き込む。公園は一キロほどの遊歩道を外周とし、その中心に利用者が休むベンチや子どもの遊具などがある。そんな公園の敷地内に怪しげなフリー巫女が住んでいるのだが……。

 緑地から這い出して、足を踏み出そうとすると唐突に青白い炎のようなものが僕の視界をよぎった。その炎は僕を誘導するかのように漂う。導かれながら遊歩道を行くと花壇が見えてきた。花壇の背後には鬱蒼とした緑地がある。そこで炎はパッと姿を消した。

「なるほど……」

 花壇には背の高いひまわりが俯いている。

「失礼します……」

 周囲に誰もいないことを確認して花壇の縁に足を乗せ、ひまわりの脇をすり抜けて緑地へ着地する。枝垂れる広葉樹の幹の下を覗くように屈んで奥へ入っていくと青い巣をようやく見つけた。どこから持ってきたのか謎の廃材と汚いブルーシートをテントのように組み合わせた季四菜の居住スペース。入り口がどこなのか分からないのでブルーシートを持ち上げた。うつ伏せに眠る季四菜が静かに寝息を立たていた。

「おい、起きろ」

 指先で季四菜の頬を刺す。やがて彼女は「む」と短い声を出し、もぞもぞと動き出した。

「おはよぉ」

「おはよう。不用心なヤツだな……いつもこんなところにいるのか」

 動き出した季四菜を見下ろしながら言うと、彼女は長い髪の毛を前に垂らした状態で四つん這いになった。貞子さながらな髪の隙間から季四菜が口を開く。

「夏場はえぇぞ。冬はさすがの我も野宿は無理じゃが、夏なら霊もわんさかその場におるし、その霊気のおかげで快適に過ごせる」

 霊気を冷房の代わりにするんじゃない。

「あれ、人魂か……僕をここまで案内してたやつ」

「そうそう。我に纏わりついとる人魂じゃ。祓ってもいいが金にならんから放置しとるけど、なんやうまいこと働きよるな」

 季四菜はケタケタ笑って髪の毛をようやく後ろへ流した。こんな荒れ果てた生活をしているのに肌ツヤはよく、彼女はすっぴんでも美人だった。やっぱり不用心だな。

「季四ちゃん。言っても無駄だとは思うけど言わせてくれ。ちゃんと働いてちゃんと屋根のある家で生活するべきだよ」

「言うだけ無駄な相談じゃな。我が束縛嫌いなことは分かっとろう。丈伍だってそうじゃ。我々はどうも決まった場所に住み着くのが難しいんじゃよ」

 季四菜は大きくあくびをして首を回した。ちなみに彼女の弟はトラック運転手をしており、まだ生活感のある生活をしているがあまり家を必要としておらず、ほとんどをトラックの中で生活し、休日はバイクを飛ばしてあちこちを旅している。そのため丈伍と会うことはほぼない。一緒に副業霊能師をしているのに顔を合わせないというのもなんだか奇妙な関係だなとふと思った。

「さて、なんじゃい。こんなとこまでズカズカ入ってきおって」

「あぁそうだ。ちょっと頼みがあるんだ」

 僕はここへ来るまでに寄った銀行で下ろした一万円を見せながら言った。

「これで僕の呪いを祓ってくれない? あ、でも祓えたらだ。そうしたらこの金は君にあげる」

 季四菜が一万円をもぎ取ろうとするのを間一髪で躱した。彼女は不服そうながらも嫌味な笑みを浮かべた。

「随分と挑発的じゃな……まぁええわ。おっけ。祓っちゃろう。目つむれ」

 そう言うと彼女はスーツケースから神楽鈴を取り出した。先端から三段ある金色の鈴がシャンシャンと鳴る。瞼の向こう側で何かをボソボソ唱える季四菜の声が鈴と風の音に紛れた。

「ほい、終わり」

 やがて気だるそうに言う季四菜。目を開ける。

「どう?」

 季四菜は眉をひそめて僕を見ていた。僕はまばたきをした。背後を振り返ってみる。花壇のひまわりの横にMさんが佇んでいた。

「……君でもダメか」

「そっかぁ。手応えなかったもんなぁ」

 季四菜は残念そうにため息をつき、僕の手から一万円をサッと取り上げる。油断していた。

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