夢遊病
夢遊病1
以前、傘を貸した同僚の女性が最近肩こりが治って体調が抜群に良くなったそうで、ほのぼのと他愛ない話をした。そのあとは子どもたちの相手をしたり保護者からの相談を受けたりと代わり映えのない一日の業務を終えた頃、タイミングを見計らったかのように三雲から連絡が入った。メールだった。
『仕事終わったら駅前で落ち合いましょう』という短い文面で呼び出され、ひとまず自宅最寄りの駅まで向かう。その間、電車の中で二体の幽霊を祓った以外の異変はなく無事に駅のホームから改札を抜けた。
三雲は白地で英文が横切ったようなTシャツとダメージジーンズという格好で腕組みして改札横に立っていた。近づくと彼女は僕の登場に気がついたが腕は組んだままだった。
「なんだよ、急に呼び出して」
挨拶もそこそこに言えば、彼女は無言のまま僕の腕を引っ張って、真ん前にある大衆居酒屋へ入った。帰宅ラッシュのこの時間、まだ店内は閑散としているのに、このあと予約客が来るのか座敷ではなく隅のカウンター席に案内される。
三雲はメガハイボールを二杯頼むと、しばらくは平然とした様子でメニューを見ていた。メガハイボールが届き、三雲が適当なつまみを頼んでジョッキを手に取る。そして店員が去ってすぐ、未だに状況が飲み込めない僕のジョッキに自分のジョッキを軽くぶつけて飲んだ。豪快に喉を鳴らしながら飲む三雲を訝しく見て、のろのろとジョッキに手を伸ばして飲む。渇いた喉に炭酸の刺激が注がれた。その間にお通しの揚げ浸しがくる。ここまでわずか五分足らず。
「ふぅ……『天使ちゃん』が生まれた時代に在校生だった人と連絡が取れた」
ため息のあとすぐ三雲がサラリと言い、割り箸をパキッと割った。僕はジョッキを置いて彼女を見た。ナスの揚げ浸しを一口で頬張る彼女の横顔がさらに言う。
「二十二年前に小学四年生だった人。私たちと同学年ね。その人、お姉さんとお母さんが同じ小学校だったらしくてね、でも姉と母はどちらも『天使ちゃん』のことを知らなかった。姉は流行ってるっていう認識だったけどもうその頃は中学生で『エンジェルさん』と同じものだと思っていたそうよ」
オクラの揚げ浸しをつまんで食べる三雲。ジョッキに手を伸ばしてゴクゴク飲んでいく。大ジョッキのハイボールはすでに半分になっていた。
「しかもその本人も『天使ちゃん』という遊びのことはあまり詳しくないのよね。なんでも当時の二年生が学年全体で遊んでいたらしくて、上級生たちはその世代の妹や弟から聞いて知ってる、くらいの認識だったそう」
「二年生、か……」
僕は施設の子どもたちの顔を脳裏によぎらせた。割り箸を割って油揚げをつまんで口に運ぶ。油揚げの甘みと出汁の旨味がじゅわっと広がるのを感じ、濃い味付けにすんなり馴染んだ。
「あとね、城戸さんがあなたのあとに連絡した拝み屋を突き止めた」
三雲がジョッキを傾けながら言う。ゴクゴクとハイボールが彼女の喉へ注がれていく様子を見ながら僕は「へぇ」と揚げ浸しをつついた。
「よくもまぁそこまで。どうやって突き止めたの」
「ツテよツテ。私の人脈をすべて使いきったよね。いやぁ、しかし彼女を見つけるのは大変だった。何せスマホを持ってないんだもの。あなたみたいにオンラインで心霊相談受けてるわけでもないし住所不定だし、誰も連絡先知らないし。小幡くんと私でどうにか見つけたの。この近所の運動公園に住んでた」
三雲は満足そうに微笑んだ。するとタイミングよくタコのカルパッチョと出汁巻き卵が届いた。さっそく直箸でつまんで出汁巻きを食べる三雲。僕は脇にあった取皿を彼女の前に置いて、ついでに自分の皿にカルパッチョを取った。そしてあることをふと思い当たる。
「城戸さんって丈伍に連絡取って、そこからその拝み屋に繋いでもらったんだよな?」
「え? あぁ、そうね。そうそう」
三雲が面食らったように返す。
「その拝み屋、三雲は連絡先分かるの? 一応アポ取ったんだろ」
「ううん」
すかさず返ってくる答えに僕はため息をつく準備をする。しかし後に続く言葉で飲み込むことになった。
「でもここで落ち合う約束はした」
これになんとも返事ができず、カルパッチョを一口食べた。その拝み屋のことをもう少し自分で調べるべきだったと後悔しながら。おかげで塩とオリーブオイルの味があまり分からなかった。
僕のジョッキがようやくなくなる頃、三雲はすでに二杯目を頼んで半分ほど飲み干していた。二杯目は通常のグラスのカクテル、レッドアイだった。目が覚めるような真っ赤なカクテルをぐびっと飲む三雲だが、僕はそのカクテルがトマトジュースであることを今日初めて知った。そんな感じでいくらかこの場の気まずさも拭え、周囲もガヤガヤとにぎやかになってきたそんな頃になって、唐突に店の引き戸がガラリと開いた。スーツケースをガラガラ引くような音を鳴らして「三雲さーん」と大声を張り上げる女性が現れる。紫色に染めたセミロングの髪の毛をサラリとなびかせるその人は、目の回りを黒く縁取っていて紫の口紅をしていた。相変わらずの出で立ちにむしろ安心感さえ覚える。僕は三雲が手を挙げるより早くカウンターから立ち上がった。
「やっぱり君か」
そう言うと紫女は笑顔を固まらせた。
「んげっ。浅香の……!」
まるで汚物でも見るかのような失礼極まりない言い方をする彼女は
「久しぶり。まさかこっちにいるとはな……っておい、季四ちゃん。待ちなさい」
クルリと踵を返そうとする季四菜の腕を掴む。これにようやく三雲が動いた。
「あ、なるほど……?」
合点したように呟き、僕と一緒に季四菜をぐいぐい引っ張ってカウンターに座らせる。
「うあぁもう! つーか、なんで
季四菜は店員の不審そうな目など構わずわあわあ喚いた。なんとかなだめすかそうと三雲がビールの追加注文をした。そのビールという単語だけで季四菜は少しおとなしくなる。
「浅香の三番目か。クソ、よりによってこいつに見つかるとは。おのれ、今日の射手座、確かに最下位じゃったしな。やっとられんわい」
「ほんと最初に会った時からいい素材、いえ、独特な人だと思ってたけどすごいわ……三紀人くんよりもキャラが立ってて良い」
三雲が感心するように言うが悪態をつかれた僕はちっとも面白くない。その八つ当たりを季四菜にぶつける。
「一番目の浅香でも二番目の浅香でもいいことないだろ」
「それはそうじゃが……あぁん、もうヤダ! こいつほんまに頭固くって昔からイヤなんじゃもん!」
季四菜はカウンターに突っ伏して悔しがった。コロナ前に会った時よりも色んな地域の方言が混ざっていているが、彼女の出身は九州である。
「丈伍が心配してただろ……ん? 待て、季四ちゃんってスマホ持ってないのに、どうして丈伍と連絡が取れるの?」
ビールがおずおずと届き、季四菜は店員に「ありがとさん」と言うとグイッと飲んだ。口の周りに泡をたくさんつけて僕を見やるとニンマリ笑う。
「おん、そりゃあな、あれじゃよ。丈伍と
「もう酔ってるの? じゃなくても気色悪いからやめな。丈伍に言うよ」
「やめいやめい、それだけはマジ勘弁! んなの分かりきっとることやんかー。丈伍は本名でSNSやっとるじゃろ。そいで、我はネカフェでネット使うて連絡しとんのよ」
なるほど。確かに考えればすぐに分かることだ。
感心していると季四菜は、これだから石頭はキライじゃとまたもや悪態をついた。僕もこの癖が強い従妹を相手にするのは御免なので三雲にバトンタッチする。
「あのぅ、甲斐さん」
「つーか、あんたらなんで知り合いなん? 三雲さんも人が悪いわぁー。こいつ、業界じゃ底辺ランクの素人霊能者じゃろが。うちの丈伍くんの足元にも及ばんっちゅうに」
三雲のゴマすり声を遮る季四菜はふてぶてしく頬杖をつく。そんな態度の季四菜に対して三雲は営業スマイルでテンション高く話す。
「元旦那なんですよー。まぁ、中途半端な意思で霊能者やってることは否めませんが」
僕は静かにジョッキを傾けた。すでにビールに切り替えている。
「はー、元夫婦ね? あ? 我、結婚式呼ばれとらんけど……」
「今はもう離婚してるんで。ひとまず例の件について話してもらえます? 季四菜さんが受けた依頼について」
三雲がたっぷりの愛想笑いで押し切ろうとする。ちなみに季四菜を結婚式に呼ばなかった理由は明白。当時も彼女はどこぞに放浪していたから連絡が取れなかったのだ。
「そうねー……城戸さんっていったか。あの人、かなり錯乱しとってさぁ」
季四菜が思案げにゆるゆると言う。
「『天使ちゃんの呪い』のせいって言って、悪霊でもなんでもいいから祓ってほしいって。別になんも憑いとらんけど、祓え言われたら祓うしかねーので儀式したんじゃよ。そしたらめっちゃ安心しよってな。なんや、前に依頼したヤツは役立たずだったと笑っとったよねー」
「悪かったな、役立たずで」
つい口を挟むと季四菜が「お前かよ」とバカにした顔で笑った。すかさず三雲が遮る。
「何も憑いてない……ふむ。それで、城戸さんは他に何か言ってました?」
「ん? あぁ、うーん。なんというか、すぐに彼氏に連絡しよったね。結婚しようって。それ、行方不明になった親友と同じ様子らしくてね。本人がそう言いよったくせに自分も同じようになってアホらしかぁと思って見てたんじゃよ」
季四菜はそう一息に言うと、目の前に置いてある食べかけの唐揚げに箸をつけた。一口で頬張ってもぐもぐ食べる。喉に送る前にキャベツの千切りをつまんで頬張ろうとしたが、ふいに箸を止めた。
「まぁね、幸せそうな顔しとったわい……そんで我を見て言ったんよ。『誰?』って」
季四菜はキャベツの千切りをごっそり掴んで口に押し込んだ。
「異様ですね」
三雲が困惑気味に言い、僕に同意を求める。しかしなんとも返せず眉をひそめるしかできない。一方、季四菜は口の中にあるものをごくんと一気に飲み干してビールを飲むと、小さなゲップを出して言う。
「ありゃもう無理やったね。あそこまでなると戻ってこられんわ。手遅れじゃ」
その口元には引きつった笑みを浮かべていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます