再会4

 店員からの不審感は拭えなかったが、どうにかグラスを割ったのが自分たちではないことを説明し、僕と三雲は店を出た。お互いマイペースな性格ではあるが居心地の悪い空間に居座れるほどの度胸はない。それだけでなく僕は脳裏によぎる不穏を悟り始めていた。

「マッチングアプリ、見えない写真か……そういえば、最近副業の依頼にも似たような話があったな」

「え? 何?」

 デパートの真ん中で僕がふと言い始めたので、聞き取れなかったらしい三雲がやや強めの圧をかけた声で聞き返す。僕を見上げる彼女の目をちらっと見やり、周囲に目を走らせた。そして奇跡的に空いていたベンチを見つけて指す。三雲は素早くベンチへ走って座った。エスカレータに隠れて見えなかったが、どうもその二人がけベンチにはおばあさんが居眠りをしているようなので仕方なく三雲の前に立つ。

「君と同じような現象にあった人がいたんだ。彼女、人に会いたくないからメールでしかやり取りできなかったけど、最近人の顔が認識できなくなったって。三雲、相貌失認症って分かる?」

「うん。人の顔が識別できない疾患でしょ。調べたよ。私もそうなのかもしれないって。でも違う。私はあなたの写真だけが見えないの」

 三雲は素直に話した。

「なるほど……依頼者からはそこまでの話は聞けてなかったから、てっきり相貌失認症だろうと思って知り合いの心療内科を勧めたんだ。そうしたらもう相談がなくてね。依頼料があとで振り込まれていたから彼女もそれで解決したんだろうと思ってたんだけど」

「けど?」

「マッチングアプリを始めてからそうなったらしいんだ」

 しかし彼女はとくに問題なくアプリで彼氏を作ることができた。その直後に症状が現れたそうなので問題はなかったらしい。どうも最近、ネットで「マッチングアプリに出る見てはいけない写真」というものが存在するらしいが、噂程度の話なので彼女も僕も本気にしてはいなかったが。念の為そのアプリを調べているうちに、僕も兄から言われてアプリをインストールする羽目になったのだが。

 そんな回想をしていると三雲は深く考え込むように顎をつまんだ。

「じゃあ、私とおんなじね。私もそんな感じの話を聞いたからインストールしたのよ。登録してしばらくしたら急に相手の写真が分からなくなってね。それを同僚に相談したら『なんかヤバいものが憑いたんじゃないですか~』ってからかわれた」

「本当に憑いてたけどな」

 そう言い、僕はおもむろに彼女を見つめた。まばたきをする。先ほどいた霊はすでにおらず、もう何も憑いてはいない。三雲は怪訝そうに形のいい眉を歪めた。

「何?」

「いや……三雲、アプリの写真、まだ見えないの?」

「うん、だからさっきから言ってるでしょ」

「変だろ。君に憑いてたものを祓ったのに、まだ怪現象が起きている」

 三雲は口をぽかんと開けた。「ほんとだ」そう言って首を傾げる。

「あなた、力が衰えたんじゃないの? 年取ったから?」

 なんて言い草だ。僕は三雲の脳天を小突いた。

「バカ言うなよ。いくら年取って力が衰えたかもしれないからって、僕に限ってそんなことはない」

 しかも僕はまだ三十代前半だ。霊能力がいつなくなるかはわからないけれど、年齢のせいにするには時期尚早だと、思う。そんな強がりは三雲になんの影響も与えず、ただただバカにしたようにあざ笑われるだけだった。

 苛立ちを抑えるため彼女から目をそらす。出入り口には多くの老若男女がごった返しており、目的地を目指して四方八方見回している。その中に、とびきりの笑顔を浮かべた女性が僕の方を見ているのに気がついた。

「ん……?」

 目を凝らしていると三雲が聞く。

「どうしたの」

「あ、うん……なんか、知ってる人がいる」

 答えると三雲が僕の体にぶつかるように立ち上がる。サッと避けてもう一度、出入り口付近に目を向けると女性はいなくなっていた。

「知り合いって誰?」

「えーっと……」

 せっつかれてしまうと名前が思い浮かばない。いや、それよりも名前が分からない。困惑しながら三雲を見ると、口が勝手に動いた。

「Mさん」

「Mさん? 私?」

 三雲が自分を指差して首を傾げる。僕はすぐに首を横に振った。

「そんなわけないだろ」

 そんなわけない。M。だってそれは三雲が勝手にどこかからか引っ張ってきたフリー画像の女性である。存在しない、こともないだろうがこんな場所で偶然出くわすわけがない。

「……三紀人くん、ちょっとまだ時間ある?」

 彼女の神妙な声に僕は従うように頷いた。


 連れられるままに向かったのは電車で十分揺られ、乗り換えてさらに十分ほどの場所にある廃校になった小学校だった。ブロック塀と緑フェンスの向こう側にある真っ白なグラウンドと色が剥げた遊具、丸く出っ張った大きなバルコニーがある特徴的な校舎が見える。

「ここ、三年前に廃校になってね。団地や一軒家があって平成前期までは子供もそれなりにいたんだけど、少子化の影響よねぇ。周辺も全部ビジネスビルやホテルになったもんだからますますファミリー層がいなくなって」

「それで廃校か」

 三雲の言葉を継ぐように言っているうちに小学校の校門までたどり着いた。

「ここが『天使ちゃん』発祥の地……」

 まさか『天使ちゃん』が生まれた場所まで調べがついていたとは恐れ入る。三雲の執念深さに驚きつつ、妙な寒気を覚えて背筋が震えた。季節は夏。寒さなど無縁な気温なのに。

 無言の廃校に見下され、ゴクリとつばを飲む。三雲は閉じられた堅牢な校門にひっつき、何かを指した。僕も同じように校門へひっついて目を凝らす。どこだと問うまでもなく彼女が示す方向には異様な黒い影があった。リサイクル用の紙を回収するコンテナ、その扉に無数の紙が張られている。ここからでは紙に書かれたものは見えない。いや近づいてもわからないだろう。紙の前に黒い影がへばりついているから。

「あれ、視える?」

「影だな……形、なんといったらいいか分からないけど、そうだな……カツラ、みたいな」

「私にはハート型に視える」

 三雲が呆れたように言った。

「ということは、やっぱり三紀人くんも呪いが伝染ってるし私は解呪されていない……紙の前に影。紙もよく分からないけれどあの影は絶対怪異でしょ」

 影は周辺に植わった木や校舎からできたものではない。蜃気楼による科学現象というわけでもない。

「なるほど。あれは呪われた人にしか視えない……」

 そう言いながら僕はスマートフォンを出した。副業のホームページを開き、直近の不審な依頼人を探す。彼女に連絡を取ってみることにした。

「この人も呪いが視えるかどうか検証しよう」

 その人の名前はイニシャルでA・Kと記しているだけであり、本人の希望で本名などの情報は見えないように設定している。三雲が目を細めて呟いた。

「A・K……?」

 何やら記憶の糸を手繰るようだ。一方、僕はスマートフォンを閉じて校門から離れた。真っ黒な影はいまもまだそこに漂っているが、何か危害を加えるような様子はない。

 返信がくるまでどのくらいかかるかは分からないので、ひとまず僕と三雲は廃校から離れた場所にあるコンビニまで移動した。

 ビルに併設されたコンビニに入ると冷たいエアコンを浴びて現実に引き戻されるように感じられる。三雲すぐにドリンクコーナーへ向かい、大きな冷蔵庫の前に仁王立ちした。僕も彼女の横に立ち、ペットボトルのお茶を見る。三雲が隣のコーヒーを取る。僕は最後の一本である緑茶を取る、冷蔵庫の向こう側にあるバックヤードが見える。そこに女性の笑顔があった。不意をつかれたせいか反射的に体を反らした。慌てて緑茶を戻す。

「三紀人くん?」

 三雲から声をかけられ、すぐに振り返る。

「買わないの?」

 そう言いながら彼女は僕が戻した緑茶のペットボトルを取る。あっ、と思わず声を漏らすと彼女は怪訝そうにペットボトルとバックヤードを見やった。

「何?」

「……ううん」

 三雲の不審そうな目つきから逃げるようにペットボトルを受け取る。バックヤードにはまだMさんがいた。ただそこにいるだけであり、何もしてこない。むしろ写真をそのまま空間に貼り付けたかのようで奇妙な存在感だった。目を逸らせば視界からいなくなったのでそのままレジへ向かった。その時、スマートフォンの通知が鳴り、コンビニの中央で立ち止まる。後ろにいた三雲が僕の背中に鼻をぶつけた。

「連絡ついたよ。どうやら今から来てくれるみたい」

 彼女は鼻をさすりながら僕のスマートフォンを睨みつけた。


 しかし、待てど暮らせどA・Kさんは現れない。二時間ばかり待ちぼうけを食らい、僕らはたびたびコンビニに入って涼んだ。近所にカフェがなく、コンビニか弁当屋か定食屋しかないので。

 四度目の来店にコンビニ店員も不審を感じており、あまり目を合わせてくれなくなった頃、唐突に三雲が雑誌コーナーで声を上げた。

「あー! A・K! 思い出した!」

「え、何? 思い出したって何を?」

「A・Kよ! 私、その人知ってる! 三紀人くん、行くよ!」

 そう言い、彼女はすぐさまコンビニから出て走り出した。

「おい、三雲! 知ってるったって彼女はこっちに向かってるんだぞ! 行き違いになったらどうするつもりだ! て言うか、本当に君が知ってる人なのか!?」

 後を追いながら聞くと彼女は振り返らずに一喝した。

「これだけ待っても来ないんだから直接行った方がいい!」

 彼女は廃校をぐるりと回り、歩道のない道を真っ直ぐ走っていった。しばらくして交差点に出て信号待ちする。そこでようやく息を整えることが叶い、僕は脱力気味に腰を曲げて膝に手をついた。三雲はあまり息切れしておらず、いかに自分が運動不足か思い知り謎の敗北感を味わう。

「ここをまだ真っ直ぐ行くと隣町。そこからだんだん住宅があるの」

 確かにビルの向こうにマンションやアパートがひしめいている。

 信号が青になり、まだしっかり休憩ができてないにも関わらず三雲は軽快に走った。僕は彼女を見失わない程度の早足で追いかけることにした。時折、小走りでついていけば細長く聳えるタイル張りのマンションでようやく立ち止まることを許された。

 三雲が腰に手を当ててマンションを見上げている。横に立つと彼女は僕を一瞥してマンションのエントランスに入った。オートロックだ。部屋番号を入力して呼び出すタイプのもので、三雲は迷わず404を押す。

「で、部屋の主はA・Kさんなの?」

城戸きど綾奈あやなさん。A・Kさんよ。あの動画の情報提供者」

 呼び出し音が鳴る中、三雲は素早く説明する。しかし、部屋の主は呼び出し音に応じることはなかった。

「……本当に合ってるのか?」

 訝っていると三雲は真剣な目で404のポストを見た。中を無遠慮に覗く。おいと声をかけて窘めるも、彼女は悪びれることなく首を振って項垂れた。

「ダメね。城戸さん、しばらく家に帰ってない」

「え?」

 なんで分かるんだよ。

「ほら、郵便物が溜まってる。彼女も多分、行方不明になってるのよ」

 その瞬間、僕のスマートフォンにメールが届いた。メールボックスにはA・Kさんからのメッセージがあり、僕はつい、あっと声を漏らして目を見張った。三雲がせっつくように画面を覗き込み、僕は親指をタップしてメールを開く。


【すみません。やっぱり行けませんでした。すみません。すみません。ありがとうございます。行けませんでした。行けませんでした。もうもどれません。すみません。天使ちゃん。天使ちゃん、ありがとうございました】


 依頼者のアドレスを改めて見る。


【ayanakido@xxxxxxxxx】


 不穏な手が忍び寄るような、そんな気配を感じた。

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