再会3

 僕の実家は関東の某県にある山奥の神社だ。父、母、兄二人と僕の五人家族であり、父はわずかに霊感を持っていた。母はとくにそういうものを感じない人で今もそうだ。そして長兄の壱清いっせいも霊感が一切ないが、長男だからという理由で神社を継いだ。両親の強い押しつけではなく彼の強い意思である。その三つ下の次兄、弐支にじは霊感は強いがほとんど霊は視えないそうだ。ただ悪いものを感知する能力が強く、悪い気に取り憑かれやすい。それからさらに二つ下に僕が生まれた。

 僕は生まれつき、霊がはっきりと視えるタイプだった。最近はチャンネルを合わせるようにして霊を視るときにだけ視るようになったが、子供の頃はひっきりなしに霊をあちこちで視ていたので変な子供だったらしい。例えば何もないところで泣き出す、誰にも視えない子供と遊ぶなど。

 しかし、僕は弐支と違って悪い気に取り憑かれることはない。今でも覚えている印象的なことは、小学三年生のときに出会った『こまちちゃん』をうっかり祓ってしまったこと──同い年くらいの女の子で、近所に越してきたと言って僕に近づいてきた幽霊だった。『こまちちゃん』はしばらく僕を連れ回し、山奥へ誘い込んだ。引っ越してきたばかりの子が山道を歩くことに疑問を抱いたものの『こまちちゃん』についていった。しかし何を思ったかその当時、長兄に教えてもらった手刀を『こまちちゃん』に向けてやった。単純な遊びのつもりだったが彼女はあっけなく悲鳴を上げてその場で霧散した。パッと咲いて散る花火のように跡形もなく消えてしまったのだ。

 これを父に言えば、どうも僕には祓いの力があると結論づけていた。原理はよくわかっていない。それ以降、僕は嫌な幽霊をことごとく祓っている。ほとんどは弐支に寄りつく悪い気や霊だったが。

「この女を祓う力があればな……」

「聞こえてるんだけど」

 僕の呟きにすぐさま噛み付く三雲。まずい、口に出ていたようだ。

「本当に無意味だよ。今となってはとくに。迷惑な人を祓う力があるほうが百倍マシ」

「でも最近、その力でいろいろやってるみたいじゃない?」

 そう含むように言って三雲がスマートフォンを操作する。手早く親指でタップし、僕に画面を見せてくる。そこには真っ白で清潔なホームページがあり『心霊相談受け付けます』という明朝体が並んでいる。スクロールしていけば僕の簡単なプロフィールが……

「なんで!?」

 思わず声を荒らげて身を乗り出すと三雲は「おほほほ」と不気味に笑い、スマートフォンをさっと自分の元へ引き寄せた。

「私がその手の番組作ってるの知ってるでしょー? ソッチの業者を調べるに決まってるじゃない。今じゃ芸人からYouTuberまで繋がりがあるし、当然無名の霊能者だっているし、うちの番組からメジャーデビューっていう流れもあってね。あ、なんならあなたもうちの番組どう? お客さん増えるかもよ」

 一息に言う彼女の雄弁な口はとどまることを知らない。

「遠慮しとく……」

 僕は声を押し殺しながら言った。それを見て三雲がニヤニヤと笑う。

「あらら、いいのー? っていうかこれって副業でしょ? 職場はこのこと知ってるの?」

「……言えるわけないだろ」

 別に副業禁止の職場じゃないけど、怪しげな心霊相談をしているだなんて申告できるわけがない。それは三雲も分かっており、ますます楽しそうに笑って言う。

「だよねー。あなた、自分の力を知られるの嫌だもんね。それなのにこんなことしてるの、どういう風の吹き回し? もしかしてこれも弐支兄さんの助言? あなたが無償で悪霊祓いをやっちゃうから? そっかぁ、知らない人でも説教しようと出てきちゃうお節介な性格だもんねー」

 ぐうの音も出なかった。僕の思考が完全に把握されている。そして今度は僕の羞恥心まで掌握しようとしている。

「でも副業といっても収入はほとんどないんだよ。とくに依頼もないし、むしろカウンセリング的な相談が多い」

 情けないことに命乞いをするような言い方になる。ますます三雲が愉快そうに目を細めて笑う。

「ふうん? じゃあ、本物の相談をしようかな」

 手も足も出ない僕に三雲がふんぞりかえって言った。

「実は三紀人くんを探していたのは本当なのよ。まさかマッチングアプリで実験してるときに引っかかるのは想定外だったけど。おかげで探偵を雇う手間が省けた」

 要領を得ない僕は首を傾げる。彼女は浮かべていた笑顔をスッと消して、僕に一枚の名刺を出した。三雲眞純、株式会社トレジャーメディア、ディレクター。三年前にテレビ局を辞めて配信会社に転職した彼女は、離婚前と変わらない肩書のままだった。

「浅香三紀人さん、心霊調査を依頼します」

 やけに畏まった様子で三雲は深々と頭を下げる。僕は数分前にあった無駄な応酬を思い出し、あの時恥を忍んで帰ればよかったと心底思った。

「嫌ならいいのよ。あなたじゃなくて、この人に頼むから」

 僕の歪んだ表情を見てか、三雲がお冷に手を伸ばしながらあっさり言う。スマートフォンの画面をスクロールして出てくるのは、僕のホームページの下にあるもうひとりのスタッフ。このサイトを立ち上げたのはITに強い弐支だが、運営しているのは僕ともうひとりいる。

「この丈伍じょうごくんって、あなたの従弟よね」

「そこまで調べたのか!?」

「何言ってるの。結婚式の時に会ったじゃない」

 三雲が面倒そうに言い、僕は素直に納得した。そう言われればそうだ。確かに僕らの結婚式の時、従弟の丈伍を呼んだのだった。言われるまですっかり忘れていたので三雲も忘れていただろうと思っていたらどうも違ったらしい。恐ろしい記憶力だ。

「丈伍くん、SNSやってるからすぐに見つけたんだよね。本名でSNSやるのは危ないって、今度会ったら言っておきなよ」

「……丈伍の場合、本名のほうが都合がいいらしいよ。よく分かんないけど。それにあいつはこっちに住んでないし、会いに行くのは難しいと思う」

「じゃあやっぱりあなたに頼むしかないよね」

 三雲は女優さながらの完璧なスマイルを浮かべた。僕はため息をつき、声を低めて聞いた。

「それで、調査って何? 相談くらいなら乗るけど調査までは請け負ってないよ」

「大丈夫。難しいことはないから。ちょっと一緒に考えてもらいたいの」

 そう前置きをして彼女は咳払いすると、スマートフォンをタップして動画データを見せてきた。


 夕焼けが机に反射し、交差する光の筋を生み出す。規則正しく並んだ三十の机。グラウンド側、前から三番目の机で八歳の少女たちが三人、真ん中に一人の少女を置いてぐるっと囲むように手を繋いでいる。儀式めいた様子だが重苦しさはない。クスクスと忍び笑う声が開いた窓の向こうへ吸い込まれていく。カーテンがはためく──

 画面が変わり、女性が一人で歩く。幼い頃の記憶を脳内に満たしているのかやけに夢心地な様子でふらふら歩いている。

『いま、あなたは幸せですか?』

 唐突にどこかからか質問が飛ぶ。

『はい』

 女性が答える。

『人生で最高に幸せですか?』

『はい』

 女性はふらふらと歩きながら踏切の前に立つ。手にはスマートフォンが握られていて、何事か不穏を察知したような男性の声が聞こえてくる。それでもなお彼女は幸福な笑みを浮かべていた。

 この先に待つのは幸せな生活か。結婚しようと告げられた瞬間、彼女は嬉し泣きをする。

 テロップのみの画面になる。

 ──あの時、天使ちゃんのお告げを聞いて本当に良かった。

 そして彼女は踏切を越えた。

『天使ちゃん、ありがとうござ──』

 電車が彼女の体を弾く。それから画面が真っ暗になり、そこに白抜きの明朝体が浮かぶ。

 最後に、この再現VTRは体験者の話を元に作成されましたという控えめな文言が流れるとエンディングに差し掛かる。読ませる気のない速さでスタッフロールが浮かび制作会社のロゴで動画は終わる。そして沈黙。周囲の喧騒が耳に入らないほど無情な静寂が訪れ、いつまでも画面から目を逸らさずにいる。

 僕の無表情が画面に反射し、それが目に入った頃、三雲も黙ったままこちらを見ていることに気がついた。なんだか互いに口を開くのを譲り合っているかのような無意味な時間が始まる。

「……心霊動画というわけではないね」

 やがて僕はそれだけ言い、三雲が息をついた。

「動画に何も不審な霊はいないし、ノイズもないし、フォントもテロップのタイミングも色彩も申し分ないし、至ってキレイな動画でした」

「ちーがーう! そういうことじゃなくて! まぁ、編集してくれた子にはそのお褒めのお言葉を言っとくけど!」

 三雲が歯がゆそうにテーブルをテンテン叩くが、僕は腕を組んでソファにもたれるしかなく、彼女が何を訴えたいのか考えもせずにただただ次の言葉を待った。三雲のマッドな薄紅の唇が動く。

「『天使ちゃんの呪い』」

 端的な言葉が紡がれ、僕はそれだけで彼女の言いたいことが容易に分かった。いや、彼女がこの動画を見せてきてからそれが言いたいのだと分かっていたがあえて脳みその外に追いやっていた。

「あぁ……僕の職場でも聞くよ。『天使ちゃん』のこと」

 僕は緩やかに脳みその中にある記憶を手繰り寄せ、それと同時に喉の蓋をこじ開ける。

「……毎年毎年、子供に注意するのもそろそろ飽きてきたところだけど、それが何? 今度は大人の間でも流行ってるの?」

 僕の話に何も横槍を入れずに聞いていた三雲は頬杖をついて僕をじっと見つめていた。息をつき、お冷の氷を口に含む。しゃくしゃくと軽い咀嚼音を立て、彼女は「そう」と深刻そうな相槌を打った。

「でも『天使ちゃん』のやり方じゃなくて、私が追いかけてるのは『天使ちゃんの呪い』なの」

「だからどう違うの? 『天使ちゃん』をやって呪われる、というのとは違うわけ?」

 なんだかはっきりしないな。僕の声音がピリついていたからか、彼女もわずかに目尻を立たせた。

「さっきの動画見たでしょ」

「あぁ。子供の頃に『天使ちゃん』をやって、大人になって自殺した。それが呪い?」

「そう。それが呪い。『天使ちゃん』をやった十数年後に、しかも幸福な瞬間に死んでしまうなんておかしいでしょ。だってルールやタブーにはその記述がないのよ。しかも、しかもよ、この地域だけのローカルなおまじないで他所にはない。この狭い地域で起きているのに、ネットではそこそこ伸びている話題でね。ここ近年増えてきてるんだから」

 三雲は早口に言った。僕は顎をつまんで言葉を返す。

「記述って言っても、あれは子供の流行り遊びだし。ルールもタブーも年々変化していくんじゃないかな。流行りの媒体やトレンドのスイーツが毎年変わるのと同じように」

 とは言いつつ、なんだか引っかかりを覚えている。

「その『天使ちゃんの呪い』って、体験者の話を元に作成したってあるけど……体験者、本当に亡くなってるの?」

「……いいえ」

 三雲が重苦しく答える。僕は大きく息を吸ってソファにもたれ、天を仰いだ。

「多少の脚色は必要よ。エンタメだもの。でも行方不明になってる」

 気まずさと重々しさを合わせた三雲の声に僕は少しだけ身を乗り出し、声を低めて言った。

「『天使ちゃん』の話は分かった。けど、僕はまだ他に引っかかりがあって、それがちょっと分からない」

 彼女の空気に合わせて神妙な声で言ってみれば、三雲は首を傾げた。

「何?」

「君がマッチングアプリで何を実験していたのか」

 今のところ『天使ちゃん』とアプリがどう繋がるのか見当もつかない。すると三雲は「あぁ」と気のない返事をしておもむろにスマートフォンを操作した。アプリのアカウントを見せてくる。

「その詐欺アカウントがどうしたの」

「ちょっとおかしいと思わない? 私にはあなたの写真が見えるはずでしょ。それなのにどうしてか私はあなたの写真を認識できなかったの。顔を見たはずなのに、あなただって分からなかった」

 軽口に乗らない三雲の涼やかな声が鋭く僕の耳を突き刺す。その威力に思わず放心しかけるところだった。彼女の声が続く。

「私、どうも『天使ちゃんの呪い』を受けたかもしれない」

 その時、前触れもなしにお冷のグラスが音を立てて割れた。慌てて視界のチャンネルを切り替えると先ほど僕が祓った手ではない、もう片方の手がグラスを握りつぶして消えるのが視える。巻き付いたロープの跡が痛々しい、そんな手首だった。

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