再会2

 長兄から「次の相手は決まったか?」とデリカシーの欠片もない発言をされ、これを次兄に相談したら同情され、勧められたアプリをインストールしたのが一ヶ月前の話。

 実家に帰るたび長兄が無邪気な笑顔で聞いてくるものだから、面倒だが仕方なく、仕方なく彼女を作ることにする。本当はまだそんな気分になれないのだが、いくら説明してもわかってもらえないので仕方ない。

 マッチングアプリ『Deアイ』は比較的民度が高く、その名の通り出会いの場を提供するために作られたとあり、婚活や恋活に熱心なユーザーが多い。登録者数日本一を誇ると謳っており、ネットでの評価も高い。

 コロナウイルスのパンデミックから早数年、若者たちの出会いの場はネットが主流となった。僕もこの波に乗るように抵抗感なくインストールしたものの、自分には合っていないのではと感じ始めている。とはいえ有料アプリである。

 それを考えればやはり効率よく、出来れば早めに相手を決めたいところ。でも、アプリを開けばすぐに出てくる女性たちの顔写真に辟易する。まるで人間のサブスクだなと思うと気が乗らない。画面を占める女性たちのアイコン画像がスクロールしても延々と続いていくから憂鬱になっていく。とはいえ有料……金を支払ってまで登録したアプリを無駄にするわけにいかない。こういうのは男性からマッチングを希望するのがマナーだとネットには書いてあった。でも……と悩み続けていると、女性の方からアプローチされた。それが二週間前のことだ。

 何度も同じ女性からマッチングの要求をされる。いかにも「婚活してます!」とアピールしたげな満開の笑顔で、真っ白な歯を見せていて、スッキリしたオフィスカジュアルな格好をしている。このためにどこかのスタジオで撮影したのか。自撮りや写真を撮影したような付け焼き刃な写真ではないところが本気度を表している。本人確認が未登録ではあるが洗練された印象を抱き、僕はとりあえず彼女とのマッチングに応じた。名前はMさん。僕は律儀に下の名前である「mikito」と登録していたのだが、彼女を含め他のユーザーはイニシャルで登録しているようだった。

 マッチング成功したら個別でメッセージが送れるらしく、トークアプリのような気軽さのある画面に移った。


mkito:はじめまして。mikitoといいます。よろしくお願いします!

M:マッチありがとうございます!よろしくお願いしますー!


 軽い挨拶をして、プロフィールにある情報から話題を探す。彼女の趣味がアウトドアということで、そこから話を広げてみた。


mkito:キャンプなどされるんですか?

M:キャンプ、はしないですね

mikito:それじゃ、ドライブとか?

M:そうですね!そのようなものです!

mikito:例えばどこに行かれるんですか?

M:神社、とか?


 神社にドライブ……? 近頃は御朱印帳を持って巡る旅行者もいるし、そういう類だろうか? しかし、なぜ疑問形なのか僕には皆目わからない。考えているとメッセージがさらに続く。


M:海とかもいきますよ!山も廃墟も好きですね

mikito:廃墟…ですか。なるほど…

M:mikitoさんは心霊スポット興味ありますか?ホラー映画好きなんですよね?


 確かにプロフィールには趣味にホラー映画鑑賞と書いたが、とくに思いつかなかったからだった。これには深い理由があるからそう書いただけである。

 ただ僕は彼女に一度会ってみようという気になった。この女性に対する興味ではない。忠告をするために。

 そうしてなんとか段取りをし、明日、Mさんに会う運びとなった。その確認をしてなんとか話を切り上げる。ちなみにテレビ通話というものもできるのだが、彼女はあまり通話に乗り気じゃないので結局メッセージでしかやり取りができなかった。

 アプリを閉じ、メガネを外して一息つく。自宅のステンレス机に肘をついて目を揉んだ。瞼が重たい。最近は目が疲れやすくて困る。先月、三十二歳の誕生日を迎えた瞬間からどうにも疲れを感じやすくなった気がするが多分気のせいだろう。

 1LDKの手狭な単身用アパートに引っ越してまだ三ヶ月ほど。テレビ以外の家電は揃っているものの冷蔵庫には何も入れていなかった。洗濯機が終了の音を鳴らしたので、脇に置いていたパソコンを一瞥して椅子から立ち上がる。

 時刻は二十三時を少し過ぎた頃、洗濯物を部屋に干して、そのまま風呂に入って寝る支度をした。


 翌、日曜日。休日。

 昨日の不機嫌そうな天気とは打って変わって、七月の空はからっと晴れている。外に出るだけで汗ばむのは太陽があってもなくても同じだ。

 普段は日曜日にも仕事をしているというMさんが、ちょうど休みがとれたからということで都心のデパート前で待ち合わせ。思えば、誰かと待ち合わせして出かけるというシチュエーションが随分と久しぶりだ。

 腕時計を見ながら待ち合わせの場所まで向かう。行き交う人々の間をすり抜けて、大きなビルの窓ガラスに映る自分をちらっと見た。ベージュの大きめシャツとネイビーのジーンズでシンプルにまとめ、髪型は少しだけワックスを使ってふわりと軽くしてみた。

 休日の人通りの多い交差点。どこで誰に見られているか分からないから普段とは違う格好をしている。普段の僕といえば、白シャツとベストとチノパン、髪型はペタッとしたストレートでメガネなので、誰にもバレないだろう。万が一、子供やその保護者がいてもバッチリ人混みに紛れ込むことができるはず。そんなことを考えていると背後に女性が立った。反射的に振り返る。スニーカーにくたびれたジーンズ、シャツ、と順々に下から目線が動き、顔へ向く。

 このとき、僕はとびきりの笑顔を浮かべていた。しかし、その顔を見て固まった。

「mikitoさんですか?」

 そう聞く彼女も僕の顔を見るなり、笑顔から段々顔を強張らせる。

「はい……Mさん、ですね」

 僕は口の端を引きつらせながら言った。確かに紛れもなく彼女は「Mさん」である。ただ、僕が知っているアイコンの彼女ではない。

「何してるんだよ」

 呆れた声で言うと、目の前の女性──三雲みくも眞純ますみは気まずそうに後ろ手を組んだ。彼女は大学時代の同期であり、同サークル仲間であり、元彼女であり、元妻である。


「まさか君だとはね……あの写真、詐欺じゃないか。本人じゃないし」

 都内某所のデパート内にある喫茶チェーン店に入り、コーヒーが運ばれたと同時に僕はぶっきらぼうに切り出した。焙煎された豆のコク深い香りを嗅いでいると、三雲はアイスカフェラテをストローでキュッと吸い上げる。

「私だってまさかmikitoさんが、三紀人みきとくんだとは思わなかったのよ。いやぁ、こんなことがあるものなのね」

 僕はコーヒーカップを置いて腕を組んだ。真っ黒なコーヒーに僕の不機嫌そうな顔が映る。

「もう僕らは他人だ。いつまでもその呼び方はやめてくれ。馴れ馴れしい」

「はぁ? なんでよ。別に離婚したからって呼び方まであなたに指定される筋合いはないでしょ! それに今さら私が『浅香くん』なんて呼んだら気味悪くない?」

 三雲が笑い飛ばしながら言う。それもそうか。いや、同い年とはいえ、大人なんだし弁えることは当然だろう。そう言おうとすれば先に彼女が軽口を叩いた。

「大体、私はあなたと別れなくても良かったんだから。いっそヨリ戻す?」

「バカ言うな。僕は君のいない世界線に今すぐ飛んでいきたいよ」

「そんなに嫌わなくてもいいじゃない!」

 三雲はドンとテーブルを叩いた。ここが静かな店内じゃなくて良かったと思った。周囲の客はイヤホンをつけて勉強する学生とおしゃべりに夢中な中年女性たちしかいない。店員はレジで会計をしている。

 しかし、彼女は多少気まずくなったのか叩いた手をテーブルの下に隠した。

「離婚して一年か……まさかまさかの再会ね。早すぎるわ」

 そう言う三雲の声はどこか後ろめたい。僕はため息をつき、彼女を見つめた。

 あの明朗快活な女性の写真とは違い、パッチリとした両目がどこか愛らしく童顔な彼女は大学時代となんら変わりない。初めて会ったのが十二年前。結婚したのが五年前。そして離婚したのが去年。

 出会いは大学の演劇サークル。僕は裏方の小道具、彼女は女優をしていた。サークル内でもダントツで芝居がうまく、先輩たちに引けを取らない。僕は友人に誘われたからサークルに入ったようなもので遊び半分だったが、彼女はとにかくストイックに芝居に向き合っていた。

 だが、大学を卒業したと同時に彼女はなぜかテレビ局に就職し、裏方として働き始める。そしてなんだかんだあり、僕をうまく丸め込んで結婚して、僕に離婚届を突きつけられて今、こうして向き合ってひどく拗ねた様子で唇を尖らせている。

「浮気もしてないし、あなた一筋で生きてきたっていうのに、そこまで嫌わなくてもいいじゃない」

「よく言うよ。仕事でろくに家に帰ってこなかったくせに。それと理由については君も同意したはずだよね。だから離婚したんだよ」

「そうだけど……まぁ、いいわ。その話を蒸し返すと、三紀人くんの人格がどんどん歪んでいっちゃうし」

 三雲は鼻で笑い、気を取り直して言った。

「それで? あなた、しばらくはもう恋愛しないんじゃなかったの? それなのに、あっさりとアプリ始めちゃって」

 痛いところを突いてきたな。今度は僕が目をそらし、歯切れの悪い口調で言った。

「……壱清いっせい兄さんがうるさいからさ」

「あぁ、神主のお兄さんね」

 三雲が相槌を打つ。僕は目をそらし、素っ気なく続けた。

「あの人、いろんなことに疎いからデリカシーのない発言も平気でするんだ。そしたら、弐支にじ兄さんがアプリを勧めてきて」

「二番目のネガティブ兄さんね。覚えてる」

「むしろ忘れてたらツッコミ入れるところだよ。いっときとはいえ、僕らは身内だったんだから」

 あっけらかんとする三雲にピシャリと言えば、彼女は楽しそうに口元を覆ってクスクスと笑った。

「しかもそのネガティブ兄さんって言い方は良くない。間違ってないけど」

「だったらいいじゃない。それに、そうやって無理に悪態つこうとしなくていいから」

 彼女はケラケラ笑った。確かに無理に不機嫌を装うのは疲れる。肩の力を抜いてソファにもたれると、ゆるやかに本題へ入った。

「アプリのことはともかく。僕がMさんに会おうとしたことを話そう。本当なら彼女を作るために始めたことだけど、Mさんの言動に引っかかってね」

「あら、何か変なことあった?」

 三雲があっけらかんと言う。一呼吸置き、真っ直ぐ見つめて、まばたきをしたら彼女はウンザリとした様子で目を明後日の方向へ動かした。それが僕の癖であることを彼女は嫌というほど学んでいる。

「……三雲、もうやめろと言ってるだろ」

 僕の言葉に彼女は動揺することはなく、ただ面倒そうに返した。

「だって」

「だってじゃない」

 三雲の肩にあるを睨みつけながら僕は深いため息をついた。

「あのさ、いくら仕事だからって危険なことはやめろよ。君には分からないだろうけど心霊スポットの中には本当に厄介なものがいるんだから」

 そう言って、僕は三雲の肩に手を伸ばした。彼女がスッと後ろに仰け反る。

「おい、コラ」

「せっかくならこのままでいいよ」

「よくない。僕が嫌だ」

 僕は仕方なく立ち上がり、三雲の横に座って霊に向かって軽く手刀を入れる。バチンと大きな音が立ち、彼女に憑いていた手はあっさりと消えた。

「はい、応急処置しはらった。あとこれ、念の為に清めの塩を持ってて。じゃ、それだけだから。君じゃなかったらもう少し説教するところだったけど」

 僕はポケットから小さな三角折りにした清めの塩を出し、さらに財布から千円札を出して彼女に押し付けた。

「え? 嘘、せっかく会ったのにこれで終わり? もう少し話でも……」

 三雲が丸い目を大きく見開かせて焦る。それを一瞥し、その場から去ろうとする──が、三雲に腕を掴まれてしまった。

「ダメよ。せっかくこうして再会したチャンス、逃さないんだからぁ!」

 三雲が必死な形相で言う。これが五年前だったらとくに問題なかっただろうが、今となっては迷惑千万。しばらく無意味な応酬をすると店員が不審そうに通り過ぎた。周囲を見ればイヤホンをした学生もおしゃべりな女性たちも僕を不審そうに見る。気まずくなった僕は大人しく席に戻った。

「ふふっ」

 三雲は満足そうに千円札を返して笑う。僕の呆れ顔がコーヒーに映っていた。

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