再会

再会1

浅香あさかせんせー、天使ちゃんって知ってますかー?」

 そう聞いてきたのは小学二年生の女の子、つむぎさんだった。町中にある小さな一軒家のような施設、放課後デイサービスつくしハウスでは学校を終えた子供たちが各々思い思いに遊んだり勉強をする。その中で低学年の子供たちが集まって何かをしていた。その様子を見ていたら、紬さんからおずおずと尋ねられたのだ。

「あぁ、『天使ちゃん』……」

 僕は困惑した。別に知らない話ではなく、ただなんと説明したら良いか迷っていた。しかし誤魔化すのはかえって良くない。オブラートに優しく包み込んだ言葉を返すことにする。

「知ってますよ。毎年、君たちくらいの年代の子たちが聞いてくるから……上級生たちはもしかしたら遊び半分でやったことがあるかもしれないですね」

「そっか、知ってるんですね!」

 紬さんは生え変わり中の前歯をのぞかせて安心したように笑った。それを見て僕は片眉を上げて少し脅すように言った。

「あれね、怖い遊びなんですよ」

「えっ」

 彼女の顔がすかさずこわばる。

「『天使ちゃん』は恋のおまじない……だけど、実は幽霊が君たちの体を乗っ取ってからかっているんです」

「えー!? そうなの!?」

「そうですよ。だから遊んじゃダメです。絶対に。約束、守れますか?」

 少しかがんで言うと、紬さんはこくこくと首を縦に振った。そして柔らかな木目の廊下に駆け出すと、ホールに向かって叫んだ。

「みんなー、天使ちゃんやったら呪われちゃうってー! 絶対やらないで!」

 そんな大声を聞きながら僕はやれやれと苦笑した。この仕事を始めて四年目の今『天使ちゃん』の話はもはや風物詩として感じている。

 この地域ではこの時期になると、小学校に慣れた二年生の子供たちがその話題を放つ。高学年の子たちは冷めた様子だが、中学年から低学年は飽きもせず天使ちゃんの話で毎年盛り上がれる。

『天使ちゃん』というのはつまり『こっくりさん』と同じ降霊術の一種だ。地域によっては名を変えて広まっているが『キューピッドさん』『エンジェルさん』とほぼ同じ手順で行われるので、この地域特有の呼び名だろう。十円玉に指を置いて『こっくりさん』を呼び寄せる方法では、十円玉が勝手に動くという現象が起きるが、それはたいてい誰かが動かしているか全員の指の震え動いているだけであり、身体の運動と思い込みの集団心理が起こすだ。

 しかし『キューピッドさん』をはじめとする恋のおまじないは降霊術の手法に近い。ただ『キューピッドさん』ならば十円玉の代わりにペンが使われるため、これもまた同様の怪異となるが──ホンモノを呼び寄せる力が、ないこともない。『天使ちゃん』は手をつなぐ。真ん中に生贄を作るという降霊術の方法に最も近いルールがある。なんて悪趣味な遊びだろうか。これを思いついた人間は遊び半分だったのだろうか、偶然思いついたにしては霊を降ろす儀式を兼ね備えていると言っても過言じゃない。まぁ、それをやって霊を呼び寄せたという事例は今のところ僕の周囲には存在しないが。

「浅香さん、平林ひらばやしさんがいらっしゃいました。その、またお願いしたいと」

 同僚が入り口付近で声をかけてくる。廊下の先にある玄関先で、ふくよかな同僚の裏に隠れてぺこりとお辞儀する児童の母親が見えた。湿気のせいか髪の毛がわずかに膨らんでおり、頼りなげに疲れた顔を見せている。僕はにこやかに笑みを浮かべ、母親の元へ駆け寄った。

 放デイを利用する子供は軽度の障害からグレーな子まで様々。普段は大人しく聞き分けがいい子でも一度不機嫌になれば癇癪を起こすこともある。学校の授業中などじっとしていられない子や精神疾患を抱えた子など、そうした子供たちへの療育、そして居場所機能を備えている福祉施設だ。ここで働く人たちは業界未経験者から福祉施設で働いていたベテラン、保育士、臨床心理士など様々。子供の相談はもちろん保護者にも対応する。

「平林さん、今日はどうしました?」

 四十代に差し掛かる頃の彼女は小学四年生の児童、雅言まことくんの母親であり、会社が早く終わったらたびたびここへ足を運んで相談事をしてくる。家で息子が──全然言うことをきかなくて──みなさんにご迷惑をかけてないか──最近はお友達の話をしてくれるようになったんですが──お友達にひどいことをしてないか心配で──などかなり思いつめた様子の話を訥々と始め、僕はそのすべてに頷く。

「心配ありませんよ。僕から見ても雅言くんは低学年の頃に比べたら随分と落ち着きましたし、元気なのはいいことです。宿題については再度注意しておきますからどうかご安心ください」

 柔らかく穏やかに言えば安心したように息をつく。いつものパターン。それから彼女は時計を見て我に返る。家に帰って夕飯の準備をしなくてはならず、バタバタと雅言くんを回収し、家路へ向かった。

「せんせー、さよーならー」

 母親の心配もつゆ知らずのほほんとした雅言くんの声が僕たちに届く。

 時刻はすでに十八時。そろそろ送迎組の子供たちが指導員たちの車で帰る時間帯。僕も一緒に子供たちを送迎するため、社用車を準備する。送迎希望の子供たちを二人乗せて自宅まで運んでいく。

愛莉あいりたちがうるせえんだよな。いつもいつもおまじないやってて気持ちわりぃ」

「わかるー。あれって、恋のおまじないらしいよ。きっしょ」

「そんな言葉使わない。遼太りょうたくんたちは『天使ちゃん』のこと興味ないんですか?」

 後部座席で話す三年生男子たちをたしなめつつ、ふと訊いてみた。すると遼太くんが「うん!」と何やら威張るように答えた。

「だって恋のおまじないでしょ。おれ、女子と付き合うとか嫌だもん」

「おれもおれも!」

 そう手を挙げる滋春しげはるくんはただ遼太くんに便乗しているだけだと思う。僕は苦笑した。

「そうですか……まぁ、あれはあんまり良くないことだから、それが正解ですよ」

「先生はさ、独身ってやつだろ? 先生も一緒だな!」

「え……うん。そうですね……」

 どこでそんな言葉を覚えてくるんだ。ていうか、どこでそんな話を聞いたんだろう。色々と各所を問い詰めたいところだが、もう遼太くんの自宅付近に辿り着いたので、ぐっと飲み込むことにした。

 それから遼太くんが帰った後は車内が静かになり、手指をいじるだけの滋春くんにこの間観た特撮戦隊モノ番組の話をして自宅まで送り届けた。施設に戻り、車を戻して鍵を返した後は身支度を整える。

「それじゃ、お疲れさまです。お先に失礼します」

「お疲れさまですー」

 施設の玄関を開けると一雨きそうな重たい雨雲があった。子供たちが帰るまでに降られなくて良かったが、こんな時間に雨というのはどうにも気落ちしてしまう。折りたたみ傘を鞄から出そうとすると、背後から同僚の女性に声をかけられた。

「浅香さん、傘持ってます? わたし、傘忘れちゃってー」

 彼女は最近入ったばかりの二十三歳。スマートフォンを見ながら困ったように眉間にシワを寄せている。そう言えば彼女は今朝、肩こりが酷いと愚痴を漏らしていた。こころなしか顔色も悪い。僕はまばたきをして言った。

「……低気圧に弱いタイプですか?」

「え? いえ、全然。そんなんじゃないんですけどねー。まぁ、変な頭痛はありますかね。肩こりからくるやつってネットにはあるんですけどー」

「そうですか」

 彼女は僕の言葉に釈然としない様子で曖昧に笑った。そんな彼女に、持っていた折りたたみ傘を差し出す。

「使いますか?」

「えー? いいですよー! 悪いです! 蒸し暑いし濡れて帰ったほうが涼しくていいですしー」

「風邪引いたら大変ですよ。まだこのご時世、油断できませんから。はい」

 黒い折りたたみ傘を押し付けるようにして彼女に渡し、僕は返事も待たずに駅の方面へ向かった。その際、背後で「浅香さんってたまに会話が変だよね」と他の同僚に話しかけているのがチラッと聞こえたが聞かなかったことにする。

 早足で歩くも、ポツポツと脳天に冷たい雫が落ちるのを感じた。その雨音に紛れるようにして先ほどの女性の声が「浅香先生」と呼ぶ。

「はぁ……まったく、変なものをくっつけてるんだもんな」

 そうひとりごちながら僕は早足で駅に向かった。

「せんセい?」

 声にノイズが混じる。

 改札付近ではあの同僚と同じく傘がなくて困った顔をするビジネスマンたちでひしめいていた。僕は素早くポケットから定期券を出して改札を抜けた。振り返る。

「まいたか……」

 まばたきをしてみるも、あの声の主はいないようだった。少し息をつき、ノイズキャンセルのワイヤレスイヤホンをつけた。スマートフォンを出し、電車を待つ間にアプリを起動させる。楽曲のサブスクリプション。お気に入り登録したものをタップすれば、子供たちから「絶対見て!」と促された流行りのアニメ、そのテーマソングが流れる。

 電車はもうすぐ着くようだ。スムーズに帰れそう。あくびをする。家に帰って夕食を簡単に済ませて、それから……

「センセイ」

 ノイズキャンセルのはずなのに、はっきりと声がイヤホンを介して聞こえた。

「アサカさん」

 いる。背後に真っ黒な塊がいる、だろう。

 先程、同僚に巻き付くようにしていたそいつは僕が折りたたみ傘を貸したとこから、ターゲットを僕に移した。それは別にいいんだけど、というか。人混みに紛れれば逃げられるかと思ったが侮っていた。

 僕は振り返らず、イヤホンを外してポケットに仕舞った。電車がやってくる。乗り込む。ぎゅむぎゅむと押し込まれるように、小さな箱の真ん中に立つ。

「センセイ」

 弱々しい女の声が冷気を帯び、耳の中に入り込む。首筋がヒヤリとしたが、僕は平静を保って無視した。しかし電車を降りても女はついてくる。人がまばらな下町の商店街を早足で行き、自宅アパートまで向かう。

「ココ、センセイノ オウチ?」

「あぁ、うん」

 気のない返事をすると女は声を引きつらせて笑った。

「ヤッパリ聞コエテタァ」

 僕は鍵を開けて部屋に入った。それも中へ入ろうとする。しかし、すぐにギャッと猫のような悲鳴を上げた。僕は振り返ってまばたきをした。玄関から一歩も入れずに黒い影が霧散していくのを捉え、ドアを閉めた。ああいうものは追い祓うより強制的に消滅させたほうがいい。


 家についてスマートフォンを出すと、トークの返信がきていたので着替えもそこそこに椅子に座ってアプリを開いて返信した。送信ボタンを押した瞬間、くしゃみがひとつ部屋に響き渡る。もちろん僕のものだ。

「ちょっと冷えたかな」と独り言ち、土砂降りにふられなかっただけまだマシかと思い直しながらシャツとズボンを脱いでソファに投げ、脱ぎっぱなしのスウェットに着替える。冷蔵庫に入れた缶ビールを出してプルタブを開け、ステンレスのデスクと椅子に戻ってパソコンを開く。するとトークの返信がきていたのでまたそっちに目を向ける。

 ビールをぐいっと一口飲み、返信。その繰り返しが、どうにもじれったく感じる。

「はぁ……何やってんだか。別にハマってるわけじゃないのに」

 ここ数日、僕はとある女性とメッセージのやり取りを始めた。それについては少しばかり時を遡る必要がある。

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