再会5

 マンションから出て小学校に戻る。リサイクル倉庫前の影は暗がりに隠れてしまい目視することが難しい。僕と三雲は揃って目をそらした。なんだかずっと視ているのは気分が悪い。それは彼女も同じなのか、早く行こうと急かすように僕の腕を掴んだ。


「城戸綾奈さん、あなたに相談した跡、あなたの助手の丈伍くんにSNSで相談を持ちかけたみたいでね。そこでお祓いしてもらったそうなの。でもあまり効果がなくて、片っ端からお寺や神社に行ったんですって。どうしてもこれは怪現象だ、なんとかしてほしいって」

 帰り際、すっかり沈んだ空の下を歩きながら三雲が訥々と話す。

「それを僕には教えてくれなかったけど」

「あなたのことが信じられなかったんでしょ」

 気分のいい話ではない最中でも僕をけなすことにかけては余念がない三雲である。

 いくつかのビルを見送り、いつの間にか最寄りの駅に近づく。風のざわめきとともに車が数台僕らの脇をすり抜けた。

「まぁ、三紀人くんって霊能者っぽくないもんね」

「悪かったね」

「彼女はもっとこう、霊能者っぽいオーラや演出力高めの人を求めてたんでしょ。一見インチキそうに見えてもその方がホンモノっぽいからさ。で、話を戻すけど。彼女はひどく怯えていた。それもこれも親友の女性が失踪をしたから」

「失踪、ね……例の動画か」

 例の動画──三雲曰く、ラストの演出は失踪した女性の彼氏からの証言を元に脚色したというが、失踪した女性が彼氏との電話中、別の何と会話をして音信不通になったのは本当らしい。そんな彼女が最後に残した言葉が『天使ちゃん、ありがとうございました』。

「その後、親友が失踪して『天使ちゃん』という不穏な言葉が頭によぎるなか、城戸さんも彼氏からプロポーズを受けた。マッチングアプリで知り合った人ね。その時にはまだ普通に写真が見えていたんだけど、プロポーズを受けてから写真の判別ができなくなる、見知らぬ誰かの声が聞こえるようになるという現象が起きた」

「声……答えてはいけない声に答えてしまった……だから親友は失踪した。あるいはその『天使ちゃん』に連れて行かれた、みたいな?」

 逡巡しながら言うと三雲は「そう」と素早く肯定し、訊いてきた。

「『天使ちゃん』って降霊術の一種でしょ。『こっくりさん』と同じの」

「あぁ。同じ、だと思う。やり方はかなり違うけど」

「私、『天使ちゃん』はやったことないけど『こっくりさん』と『キューピッドさん』は小学生のときにやったなぁ。でもなんにも起きなかった。狐狗狸さん、つまり狐の霊とか言われてるけどそもそもは当て字だし、諸説あるけど遡れば明治時代に渡来した降霊術を日本人が勝手にアレンジしたもの。どうもお座敷で遊ぶものだったみたいよ」

 最後の部分はなぜか小声でささやく。あの廃校から離れ、時間も空けば三雲も軽口を叩けるほど顔色が良くなっていた。

「そんな飲み屋の遊びが子供の遊びに転じ、あらゆるバリエーションを生み出してきたと。いろいろ話を集めれば『こっくりさん』をして怪異に遭った人もいるだろうけど、マイナーな『天使ちゃん』をやって十数年後に呪われて失踪するって、ちょっと考えにくいのよね」

「つまり『天使ちゃんの呪い』は単純な失踪事件の可能性もあるわけだ。たまたま『天使ちゃん』をやったことがある人だけが集中したんだろう」

 僕は肩をすくめて言った。

「ていうか、この近辺に住む子供はおそらく小学二年生になったら絶対に『天使ちゃん』の話を通るんだ。だから遊んだことがある人ならこの近辺に住む大半の人が対象になるよ。つまり誰にでも当てはまるわけ」

「うーん……まぁその可能性もあるだろうけど、だったら謎の声は何?」

「幻聴じゃないか?」

 僕の簡単な言葉に三雲は噴き出した。

「霊能者にあるまじき見解ね」

「この世の心霊現象や怪異はそうそう起きないし、大半は気のせい。生きてる人間の方がよっぽど怖いよ」

 例えば君みたいな何も恐れずになんでもネタにできるような人間とか。そこまでは言えなかったが、僕の視線に彼女は心外だと言わんばかりに目を細めてきた。

「でも、さっきからあなたも変なことが起きてるんじゃないの?」

「だから、なんでもかんでも一つのことに結びつけるなよ。君はもし今つまずいて転んで足を擦りむいたとしても呪いのせいにするのか?」

 少しムキになって言うと彼女は実にタイミングよくつまずいた。慌てて腕を引っ張りあげてことなきを得たが、しばらく互いに無言となる。

「……何かに押された?」

 口を開いたのは三雲だった。

「そんな気がしたの?」

 聞くと彼女は首を横に振った。ちなみに僕には彼女に何か憑いているか確認できない。これには三雲も即座に気づいたようで、息を一つ落とすとドヤ顔を見せた。

「あなたが言いたいことは分かった。なんでもかんでも『呪い』に結びつけると見えるものも見えなくなっちゃう。そういうことだね」

 ちょっと違うので訂正する。

「あまり心配するなってことだよ。こういうのは気の持ちようなんだ」

「あら、私が幽霊や呪いごときに怯えるとでも? 冗談でしょ。何年この仕事やってると思ってんのよ」

 力強い言葉が彼女の勝ち気な笑みとともに放たれる。その顔にため息を落とした。

「……百歩譲って『天使ちゃんの呪い』があるとして。関連する情報は掴んで……るのか。君のことだからな」

 彼女の睨む目を見て、すぐさま言葉の軌道修正をする。三雲は、まぁねとあくび混じりに返した。

「もう少しで分かりそうだったのよ……城戸さんが『天使ちゃん』のことを知ってそうだった。けれど彼女、それを話したがらない様子でねー。そうしたらいなくなっちゃった」

「本当に失踪なのか……単純に彼女がズボラな性格で郵便物を溜めてる可能性だってある」

 僕はどうしても『呪い』のせいにすることができない。可能性を一つずつ潰していき、現象の実態に迫る。それが霊能力だけに頼らずに生きていく術であるのだ。すべての事象には必ず理由があるはずだから。

「あなたって本当に面倒な性格よ」

 三雲は肩をすくめた。駅に着く。改札はがらんとしていて、どうにも居心地が悪い。まだ落ちきっていない陽の光が眩しく、逆光の彼女の表情がよく分からない。背後ではファストフード店に入って何がそんなに面白いのか分からないほど大げさに笑う中高生がおり、重く湿り気のある熱気と淀んだ空気を払拭した。

「城戸さんのこと、もう少し詳しく調べてみる。これが失踪だったらあなたは私を手伝う。失踪じゃなくただのズボラだったらあなたの勝ち、私の気のせいってことで」

 三雲がさっぱりとした口調で締めようとする。

「城戸さんの無事を祈りたいね」

 断じて三雲と顔を合わせたくないからというわけでは決してない。そんな僕の言い訳を見透かすかのように彼女は呆れたため息をついた。

「じゃ、ここでいいわ」

 そう言って彼女は小さなホームに入った。

「お互い、住んでる場所は知らないほうがいいでしょ」

 彼女なりの気遣いだろう。そういうところも相変わらずだなぁと、心の奥がわずかにくしゃりとシワが寄るような気持ちになってくる。なぜか。

 ただ残念なことに彼女と僕は同じ電車に乗り、方向が同じらしかった。気まずいながらも無言で同じ箱に入って空いた席に座る。途中で親子連れが乗車してきたので僕と三雲が同時に席を立った。僕が彼女より先に立ち上がったことで三雲は浮かせた腰を戻して苦笑した。その顔を離婚するまでの一年間で何回見たのだろうかとふと思った。思い出せなかった。


 ***


 数日後、平日ど真ん中の昼間。【やっぱり城戸さん、失踪してる】という短い文面と添付された画像がメールに届いた。画像はそのままメール文書に貼り付けられており、すぐさまスクロールして確認する。


 あやなちゃんへ

 しあわせになりましたね

 むかえにきたよ


 A4サイズのコピー用紙に赤い文字でそう書かれてあった。まるで子供が描いたような字だ。

 僕は項垂れるより先に三雲に連絡を入れた。

「僕、呪いに関しては完全に素人だけど、それでもいいんだな!?」

『やにわに何よ……』

 彼女からきたメールを見てすぐの電話。彼女はかなり憔悴した声を出す。聞けばどうも城戸綾奈失踪の件をあらゆる手を使って調べたそうで、それも本職の映像編集作業の合間に行っていたので徹夜明けなのだった。だが知ったことじゃない。認めたくないが認めざるを得ない。

 あれからどうにもMさんが僕の周囲に現れる。祓っても消えない。こんなことは生まれて初めてだった。

「……どうも呪いは祓えないみたいなんだ」

 薄い壁の向こうで誰に聞き耳を立てられているか分からないので小声で言えば電話口の彼女の声がやけに大きく弾んだ。

『っしゃー! そうこなくっちゃ! よしよし、んじゃあまたどこかで落ち合いましょ。あなた、今日も夜時間あるよね? オーケーオーケー、面白くなってきたぁ!』

 徹夜明けのハイテンションだろう。そう思いたい。支離滅裂な彼女の声を遠ざけ、僕は前髪をかきあげた。努めて冷静な声音で返す。

「あの、三雲……」

『あぁダメだ、今すぐ話を聞きたい! ねぇ今からちょっと抜けられない?』

「いや、三雲……」

『それとも私が取材っていう体でそっちに行こうか?』

 こうなった彼女を止める術はない。額を抑えて彼女の興奮が冷めるのを待つ。もしくは彼女の側に誰かいてくれないか。そしてこの猪突猛進を止めてくれ。

『あ? 待った待った。もうなーにー!? 今取り込み中よ、後にして、え? あぁ、もうはいはい。分かった!』

 僕の祈りが通じたのか、同僚から呼び止められているようなやり取りが聞こえてくる。

『三紀人くん。ごめん、また連絡する』

 返事も聞かずにブツリと一方的に通話が切れる。スマートフォンを閉じ、椅子の背にもたれて一息つき、メガネを外した。目をつむる。そうでもしないと、またあのMさんの顔を見てしまうかも。

 窓の外ならまだしも鏡の向こうにいたりテレビや動画の中にいたり……今朝、家を出る前にニュースを観ていたら天気予報のアナウンサーがMさんになっていた。確実にその女性アナウンサーが話しているはずなのにMさんの静止画がそこにあるような、アナウンサーの顔だけ切り貼りしたようなそんな違和感がある。その違和感に気がついた時、何かとてつもない嫌な気分になってくるのだ。この家には悪霊が簡単に入ってこられないよう十分な守りをしている。清めの塩だって毎日取り替えている。それにも関わらず、呪いは僕の生活に易々と侵入してきた。

 呪いなのか。この世に呪いなんて存在するのか。まったくその分野に詳しくないものだから、不意打ちを狙われると今度は声を上げて驚くかもしれない。

「それだけは嫌だ……」

 周囲に白い目を向けられるのは明らかだが、どんなお化け屋敷でもホラー映画でも耐性のある僕がそんな呪いごときに振り回されるのは──おそらくこれは精神的な問題だが──端的に言えばプライドが許さなかった。

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