第三十四話 勇者対勇者

☆ニーナ


 一睡もできない、何も食べたくない、何も飲みたくない。

 ユーティも同じなんだから、私だけが楽する事なんて絶対にしたくない。


 拮抗した戦いは、三日目に急に変化をもたらした。

 翼を傷つかせたジルバに、それに付き添うように逃げてきたカダスとゾレント。

 ガウ君も魔獣の屍を運んでくるのを中断して、じっとせり上がった水の足場を見つめている。

   

 あそこで何かが起きたんだ。

 ユーティなら大丈夫だと信じたい、信じたいけど。


「もう……三日目だよ」


 彼が天才なのは、子供の頃から見てきたから分かってるつもり。

 だけど彼は一人なんだ。たった一人で、あの場所に立って戦っている。

 どんな超人だって、無理だよ。

 飲まず食わずで一睡もしないで、ずっと戦ってるなんて。


 泣く事しか出来ない、ずっと泣いてる。

 ユーティがいつか死んじゃう、そんな怖い妄想が頭にこびりついて離れないよ。


 ドンッ、ドンドンッって、凄い音が聞こえてくる。

 かつてない強敵があそこにいるんだ。


 ユーティ、凄いな、どんなのが相手でも一歩も引かずに戦える。

 ……昔から、ずっとそうだったっけ。

 誰が相手でも、何が相手でも、ユーティは決して逃げたりしない。

 そして当然のように勝って帰ってくるんだ。

 

 頭が良くて、勇気もあって、実力もある。 

 私達の王子様、私の王子様。

 

 両手を握り締めて、必死に祈る。

 願いの鎖っていう名前なら、この願いを届けてよ。

 私のたった一つの願いを、ユーティにだけに。


「ユーティ……死なないで」

「誰が死ぬって?」


 急に耳元に響いてきた声に、思わず目を見開いた。

 途端、手首に埋め込まれていた鎖がシャラシャラと音を立てて抜け去っていく。

 願いの鎖が……抜けた。


「語る必要はねぇよな、トリニス」


 眩しいぐらいの朝日を背にした彼は、私には神様に見えた。 

 丸い虹を背にして、たった一人で何十万という魔物の群れを制す。

 そんなおとぎ話みたいな事が出来るなんて、まるで物語に出て来る勇者様だ。


「お前のスタンピード、全部終わったぜ」


 感情が、誰よりも先に身体を突き動かした。

 だけど、疲れ果てていた身体は、上手く走る事が出来なくて。

 もたれた足が、蹴っていたはずの地面から外れ、そのまま地面に。


「よっと……大丈夫か、ニーナ」

「ユーティ……」

「待たせちまったな、まさかこんなに時間が掛かるとは思わなかったぜ」


 大好きが止まらない。

 触れあえる事が嬉しくて、感情が壊れちゃって。


「ユーティ……ユーティ、ユーティ!」

「よしよし、怖かったよな」

「うああああああぁ……ユーティ、私、ユーティ死んじゃうって、何回も、何回も!」

「大丈夫だって、俺を誰だと思ってるんだ?」

「ユーティ、ユーティ!」


 一体、何回彼の名前を呼ぶんだろうって、自分でも笑っちゃうくらいだった。

 でも嬉しくて、彼が側にいる事が嬉しすぎて。

 それは、その場所の空気とか、状況とか、そういうのを無視して、行動に出てしまっていた。


「ニーナ」

 

 好き、大好き、誰よりも好き、心の底から貴方を愛してる。

 そんな感情が爆発したら、誰だってキスをするんだ。

 どんな状況だって、誰が見ていたって、構いはしない。

 

「ユーティ」

「ニーナ、お前」

「ごめん、こんな事してる場合じゃないのにね」

「まぁ……いいぜ、悪い気はしねぇ」


 そして、こんなおバカな私の頭をぽんぽんって叩いて、笑って許してくれるんだ。

 一生側にいたい、ずっと側にいたい、私は、この人の側にいる為に努力してきたんだから。



☆ユーティ


 よっぽどだったんだろうな。

 迎えに来た途端に抱き着かれてキスされちまったよ。

 熱烈歓迎って感じ、言葉通り悪い気はしねぇけどな。


 だが、ニーナの顔に泥が付いてやがる。

 しかも足跡もだ。

 アイツ、俺のニーナの顔を踏みやがったな。


「……また、失敗か」

「あん?」

「どうしてだろうな、俺は人間の女と恋愛がしたいだけなのに」


 なに言ってやがるんだ? ついに頭がおかしくなっちまったのか?

 トリニスの野郎、どこでもない地面を見ながらブツブツ呟いてやがる。


「恋愛がしたいんなら、素直に告白でもすりゃあいいだろうが」

「俺が魔族であったとしても、人間の女は俺に惚れると思うのか?」

「相手によるんじゃねぇの?」

「そんな奇特な人間、この世に存在しない」


 すっくと立ちあがると、トリニスは俺とニーナを見る。

 羨望と嫉妬にまみれたその瞳が、奴の語る内容が本気だと語っていた。


「昔、一冊の本を読んだんだ。そこにはこう記されていた。勇者はお姫様を助け出し、宿屋で一泊してからお城へと帰りました……とな。次のページには、お姫様と『仲良し♡』をした絵と、幸せそうな二人の絵が描かれていたんだ」


 聞き覚えのある絵本ですね。

 

「俺も、女の子と仲良し♡がしたい。本に描いてある男女のように、互いに頬を赤らめながら一緒に居たいと思ってたんだ。だから、俺は人間に化ける魔法を生み出し、人間として生活出来る術を学んでいった」


 目的の為に学ぶ、良い事じゃねぇか。

 

「勇者になる為に、勇英育成所という所にも入所した。毎日頑張った、誰よりも優秀な成績を収め、誰よりも早く俺は勇者への階段を駆け上がったんだ。そうして認められた俺は、俺と仲良くしてくれる人間の女を探した。お姫様じゃなくても良かった、人間の女なら誰でも良かったんだ……だが、人間の女はすぐ壊れちまう」


 壊れちまうって、多分そのままの意味だろうな。

 魔族と人間じゃあ基本的能力が違う、違い過ぎる。

 

「何人も俺のことを好きだと言ってくれた、勇者と言ってくれた。だが、全部失敗した」

「……その子たちはどうしたんだよ」

「全部グルーニィが食べたよ、お陰でアイツはすっかり女好きになっちまった」


 だから証拠も残らずに、勇者様をやってこれちまったんだな。


「竜騎士の女の子が、勇者と一緒に旅に出たいって情報を得てね。そういう子なら、俺の力にも耐えられるんじゃないかって、期待したんだ。何としても仲間にしたかった、恋愛の仕方はこれまでの女の子で理解してたから。時間をかけて、良い勇者を見せつけて、俺に惚れるまで何時間でも待つつもりだった。…………だけど、失敗した」


 ずんっ……って、場の空気が変わる。

 アホみたいな話に油断しそうになっちまったぜ。

 気を抜くな、コイツはあのグルーニィが命令に従ってた魔族だ。

 魔族は純粋な力の差でしか優劣を決めない、つまりコイツはグルーニィよりも格上。


「スタンピードまで用意したんだ、竜騎士って聞いてたからね。努めて良い人を演じ、努めて危機的状況を作り出し、努めて絶望させたんだよ。そのために武具店を二個も潰す計画も立てた。全部ニーナという女の子を、俺に惚れさせる為に用意した事なんだ」


 ……。


「最後の最後、ニーナは俺の願いを聞き入れてくれた、願いの鎖も自ら付けてくれたんだ。これで後は時間が解決してくれると思った。カッティスとグルーニィには手出しさせず、俺がひたすらにニーナを愛そうと思ったんだ。いつかは俺とニーナは『仲良し♡』をして、幸せな家庭を築くはずだったんだ……あの瞬間、お前が来なければ」


 トリニスの肉体が青黒いものに変化していく。

 額から一本の太い角が生え、瞳は赤黒い血走ったものに変わり、四肢は筋肉に包まれていく。

 

「お前が来なければ、全ての計画は上手くいくはずだったんだ。あの時、お前が降ってきた時から、全ての計画が狂ってしまった。ニーナは反抗的になり、スタンピードは収まり、願いの鎖は外れてしまった。……そういえば、お前がここにいるという事は、グルーニィはどうした?」


「……死んだよ」


「そうか、カッティスに続き、グルーニィまでお前に殺されたのか。じゃあ、俺には仲間の仇を打つ理由がある。計画を破綻させられ、愛する人も奪われ、仲間も殺された、たった一人の勇者様だ。きっと世界の誰かは俺の事を憐み、愛してくれるに違いない」

「勝手な御託を並べやがって」

「だってそうだろう? 人間とは、そういう生き物だと学んだぞ?」

「じゃあその間違いを正してやるよ、ただし、死ぬほどイテェけどな」


 トリニス、お前の戦う理由なんざ、どうだっていいんだよ。

 グルーニィに何百人も殺すよう命じ、お前に惚れた何人もの女の子を殺した。

 さらに、お前は俺の幼馴染を二人も泣かせたんだ。

 

「最初っから飛ばしていくぜ」

「俺も、そうさせてもらう」


 ラスボスだ、惜しみなく行くぜ。


☆★☆★☆


次話『限界を超えろ』

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