第三十話 最後の防壁
☆ニーナ……ユーティが来る一日前
勇者トリニスの申し出は、村の人たちを安心させるには充分だったのだろう。
誰も逃げる準備をしていないし、部屋の窓から見る景色はいつもと変わらない。
私一人が旅に出ればいい。
別に結婚しろとか、身体を要求された訳じゃないから。
勇者と一緒に旅に出る、それは本来光栄なことのはず。
村の人は全員知ってるんだ。
私が子供の頃から、勇者と一緒に旅に出たいと言っていた事を。
「お姉ちゃん」
「ユナ」
「ごめんなさい、私、自分の事みたいに嬉しくて、それで」
「……いいよ、おいで」
妹は悪くない、トリニスが一緒にスタンピードを見に行く行かないに関わらず、彼はこういう手段を取るつもりだったのだろうから。卑怯って自分で言ってたけど、本当に卑怯だと思う。人としてどうなの? 私がそんなにその旅には必要なの? 私だって馬鹿じゃない、ちゃんと事情を説明してくれれば、それなりに考えて返事するのに。
でももう、そんな事を言った所で、詳細を教える義務は彼にはない。
ただ単に戦力が欲しい、その可能性だってあるし、他の可能性だってある。
あーあ……私にとっての勇者はユーティ一人だったのにな。
勇者と旅に出たいんじゃない、私はユーティと旅に出たかったんだ。
『世界各国の王から勇者と認められる必要がある』
トリニスに聞いた旅の目的、勇英育成所が示した目標、それが旅の終着点。
そんなの、何年かかるか分からないよ。
それに何の意味があるの?
トリニスが勇者と認められて、何が変わるの?
言いたい事は山のようにある、ユーティだったら笑顔で「そうなんだ」で済む話なのに。
ユナが居なくなったあとも、私は部屋で自分の体を小さくしながら、子供の頃の、お化けに怯えていた時みたいに時間を過ごした。
この村で過ごす最後の時間なのに。
やらなきゃいけない事は沢山あるはずなのに。
ダメだな、スタンピードの防衛、失敗しちゃえばいいって考えてる私がいる。そんなの、私じゃないよ。これまで何のために村を守ってきたの? 誰でもない、私がこの村を好きだから守ってきたはずなのに。
「ニーナ」
お母さんの声がして、三角座りしていた私は、思わず膝の中に顔を埋めてしまった。
二十四時間、ずっと飛行してから帰ってきたのに、本当なら疲れ果てて寝なくちゃいけないのに、眠れない。きっと酷い顔してる、見せたくない。心配、かけさせたくない。
「ニーナ、貴女にはちゃんと伝えようと思って」
「……」
「お母さんとお父さん、それにロカ村皆の意見なんだけど」
「……」
「ニーナ。勇者さんの申し出、断っていいからね」
……え、断る?
予想もしなかった言葉に、下げていた顔を思わず上げた。
「貴女一人を犠牲にしてまで、私たちは生きたいと思わない。皆知ってるのよ? ニーナはユーティ君と旅に出たかったんでしょ?」
「そ、それは」
「ニーナは昔から隠し事が下手っぴだから。お母さんだけじゃないの、皆知ってる。ユーティ君帰ってきた時の貴女は、私たちが知る子供のニーナじゃなかった。ユーティくんの隣にいるべき、素敵な女性だった。……子供の恋路くらい素直に導けないと、親じゃないから」
柔らかな笑顔、大好きなお母さん。
気づかなかったのは、私だけだった。
窓から見える景色がいつもと変わらないのは、最後の時をいつもと同じように過ごしたいという、みんなの願いの姿なんだ。
ダメだよ。
私だって、みんなが大好きなんだ。
最後になんてしたくない。
お母さんの胸の中で泣いて、いっぱい泣いて、それでも泣いて。
泣き疲れた時には、いつの間にか寝てしまっていた。
目が覚めた時には、もう朝日が昇りかけてて。
なんだか、頭の中がとてもスッキリしてて。
頭空っぽにしながら、んー! って思いっきり伸びをした。
体の中からぽきぽきって音が聞こえてきて、ちょっと身震い。
「うん、最後に、ドラゴンのお世話していこうかな」
ドラゴン厩舎ができたばかりの頃、ユーティがうるさいって言いながら文句言いにきたっけ。でも、文句はすぐに言わなくなって、無言のまま一緒にお世話をして、二人で汚れて、一緒にお風呂に入って。
この村には楽しい思い出が沢山ある。
大事な人との思い出も沢山ある。
無くす訳にはいかない。
「ジルバ、カダス、ゾレント」
名を呼ぶと、三人とも首を持ち上げて、頬を擦り寄せ甘えてくる。この子達と次会うのも、一体いつになるのかな。一緒に連れていくとしたら、ジルバなんだろうけど……この子だけ特別って訳にはいかないよね。
「リンリン……どうしたの?」
若い飛龍と違い、年老いたグレートドラゴンのリンリンとスカイドラゴンのミミは、スタンピードの気配を感じ取っているのか、じっと西の方角を睨みつける。
この街を守りたいという気持ちは、この子達も同じなんだ。
それはつまり、このドラゴン厩舎をこの子達が家と認めたという証拠。
「……えへへ、やった」
一人前のドラゴン育成師、その証だ。
最後にプレゼントを貰った気分だよ。
ちょっとだけ、前に進むことが出来る。
いつもの事を、いつもの様に。
ご飯を用意して、寝床を綺麗にして。
「ニーナさん」
それも、もうおしまいだ。
日はすっかり上がり、スタンピードの音が聞こえてくる。
まるで地割れのような音が、まだ遥か遠くにあるのに聞こえてくる。
私の名を呼ぶトリニスが、厩舎の入口に立っていた。
この村に来た時のように、簡単な鎧を身に着けて、シンボルが刻まれたマントを羽織って。
「返事を、頂けませんか」
「……」
まだ……まだ、心のどこかで、拒否してる自分がいる。
女々しいな、だって女の子だもん、女々しいよ。
自分の力だけじゃどうにもならない、ロカ村を守る。
この人は、それが出来る人、
「…………分かり、ました」
だって、守りたいから。
私には守り切れないから。
この人に託すしか、ないから。
降り積もる雪みたいな言葉の数々で、自分自身を納得させる。
本音を言いたい自分は、雪に埋もれてしまえばいい。
「ニーナ」
「お母さん」
「ニーナ……バカな子だね」
「……」
顔を見た瞬間に、お母さんには私が何を決断したのか、分かってしまったのだろう。
手を取り、私がこれまで着たこともない様な、可愛らしい服を用意してくれていた。
肩に大きなピンク色花が付けられた、可愛らしい真っ白なドレス。
腰回りに縛る為の紐もあったり、それに合わせた靴もあったり。
「せめて、娘の晴れ舞台くらいはね」
「……あり、がとう」
「いいのよ、泣かない。でも、ありがとう……皆、感謝してる」
「…………」
集会所に連れていかれると、そこにはトリニスが、村の皆が待っていた。
まるで結婚式みたいな出で立ちなのに、雰囲気はお葬式だ。
皆が自分の力の無さに悲しみ、私の選択を憐れんでくれる。
……やっぱり、私はこの村が好きだな。
「ニーナさん、これを」
「……鎖、ですか?」
「はい、これは願いの鎖と呼ばれるアイテムになります。この鎖で繋がれた男女は、願いを交わす事でとても強い力を得る事が出来ます。そしてその願いを果たした時に、僕達の絆という形になって、永遠に結ばれる特殊なアイテムです」
「……」
「今回の願いは、スタンピードからロカ村を守り切る。これが果たされた時に、僕達の中にこの鎖は埋め込まれ、そして姿を消します。ですが、見えない鎖で結ばれた僕達には、その力が未来永劫与えられ続けるのです。まるで、勇英育成所のシンボルの男女のように」
寒気がした。
鎖が醜悪な何かにしか見えない。
一生消えない傷、これを身に付けたら、私は。
「……さ、ニーナさん」
「……い、」
口から出そうになった拒否の言葉を、飲み込む。
それはもう出来ないから、どんな形であれ、受け入れるしかないから。
だって、もう、地震みたいに地面が揺れてる。
牛たちも豚たちも、動物たちが騒ぎ始めているから。
「僕が付けてもいいんだが、それだと願いの力が発動しない」
「……」
「ニーナさん」
返事はしたくない。
精一杯の抵抗。
言葉にしたら、きっと罵ってしまうから。
無言のままにトリニスから鎖を奪い、腕に巻き付ける。
「ひっ」
途端、鎖の先端が手首の中に沈む。
これが、願いの鎖。
「……ありがとう」
「約束、ですよ」
「ああ、大丈夫、この村は僕がま――――」
――うあああああああああああああああああああああああああああああぁ!!!!!!!
なんか、空から悲鳴が聞こえてきた。
そして物凄い破壊音と共に、何かが集会所の屋根を突き破る。
「アイテテテ……」
「ユ、ユーティ?」
突然のこと過ぎて一瞬何もかも忘れてしまった。
スタンピードの事とか、トリニスとの事とか。
でも、それは直ぐに感情の波と共に戻ってきて、涙となって溢れる。
「ユーティ…………」
もう、遅いよ。
鎖、繋がっちゃったよ。
バカぁ……。
ユーティは立ち上がって身体についた埃を軽く払うと、私を見た後に、トリニスを睨んだ。
「おい、そこのクソ野郎」
「……ん? 私の事かな?」
「私とか言ってんじゃねぇよ、お前なんか童貞クソ野郎で十分だ」
「いきなり現れて、君は随分と失礼だな」
「は? この村にスタンピードを仕掛けておいて、どの口が言ってやがる」
スタンピードを、仕掛ける?
トリニスがあれを?
集会所の全員がトリニスを見るも、彼は平然とした顔のまま。
「随分な言いがかりだな」
「お前の所のカッティスは、俺が殺したぜ?」
「……ほぅ」
「あと、それ、願いの鎖だな。大方、スタンピードを僕ちゃんが片付けるから、ニーナを永遠に性奴隷にさせて下さいとか、腐った願いを叶えてんだろ? あーあ、童貞の考えそうなこったな。本当、どこが勇者だよ、遊者って字を変えろってんだ、マジでよ」
ユーティ、ふざけた喋り方してるけど、目が本気で怒ってる。
「願いの鎖の事も知っているとはね」
「ああ、最低最悪の悪魔の道具って事で、魔術学校の使用禁止リストに上がってるな」
「……なら、邪魔をしないでくれないかな? 私はこの鎖の力でスタンピードを――」
「ロカ村は俺が守る、お前は手出しするんじゃねぇ」
背中から頭の先まで震えが走った、ユーティの怒りがここまで届く。
「ニーナ」
「……ユーティ」
「安心しろ。そいつの願いが叶わなかった時、その鎖はお前の中から消える」
「……うん」
「だから、ソイツの横とか死ぬほど嫌だろうけど、ちょっとだけ我慢してくれな」
「……うん、うん……」
ユーティがこう言ってくれるだけで、心の底から安心しちゃう。
私の幼馴染、側にいるだけで安心して、全部委ねる事が出来ちゃう凄い人。
お人よしで、かっこつけで、それなのに間抜けで、ちょっとエッチで。
そんなユーティが、私は心の底から大好きなんだ。
「また俺の幼馴染を泣かせやがって……」
「……君に出来るのかな?」
「テメェはもう喋るんじゃねぇ。黙ってそこで震えてろ」
「……」
「スタンピードを片付けたら、次はお前だからな」
☆★☆★☆
次話『一対数十万』
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