第6話
「今日は、いつもより元気じゃん」
「え」
部屋に差し込む月明りが、唯一の光だった。行為中に顔が見えると、「別人を相手にしている」と認識してしまうからだ。同じ理由で、会う時間を夜に決めている。そのせいで、部屋はいつも暗い。月にも限界があるのだと知らされる。
暗いせいで、守がどんな表情をしているのか分からない。しかし、自分の顔は分かる。とんでもなく、マヌケ面を晒している。だっていつもは、「一時になったから、帰る」しか言わない。たったそれだけを残して、さっさと部屋から出ていってしまう。会話を振られることも、楽しむこともない。そんな守が、時間になってもベッドの上にいて、隣に転がっている。これは、俗に言うピロートークなのではないか? 動揺するなって方が無理だ。
単なる気まぐれなのか、本物の「あざみ」と何か進展があったのか。気になるところではあるけど、聞くことはできない。契約違反になる。それ故、彼女も疑問形では話しかけてこない。「元気じゃん」と感想を伝えただけ。私達は、お互いのことを話さない。知る必要もない。失恋トークをして、辛さを分かち合うこともしない。ただ、好きな人の代わりを務めて、相手に満たしてもらうだけ。後腐れも、罪悪感も無に等しい。この時間だけ、金曜の十一時から一時の二時間だけは、幸福を得られる。
本当に守は、自分の感想を述べただけらしい。それは、テレビや動画を観ている時の独り言と同じ。自分の言いたいことだけを話すと、掛布団を退けて、ベッドから起き上がろうとした。彼女がいつもと違う行動を取ったせいで、私まで変になったのかもしれない。気づいたら、守の腕を掴んでいた。
「ちょ、ちょっと何。やめてよ」
「前の日曜日、『守』に会ってきたの。それも、振られてから半年ぶりに」
予想外の告白に、クールな守もさすがに驚いていた。眉間の皺はなくなり、口を少し開けている。彼女の仏頂面を崩せたことに、多少の優越感を得た。でも、それだけ。
私は掴んでいた守の腕を離し、その手を布団に入れる。運動した後で暑かったけど、冬だからすぐに冷える。
「それを話して、アタシにどうしろって言うわけ。あんたのしょうもない恋愛相談に乗る気はないよ。契約を忘れたの」
「そ、そんなことはないけど……」
守は、すぐに強気で威圧的な態度に戻る。蛇に睨まれた蛙さながら、私は体を縮こませる。前言撤回だ。いつも守に威圧され、言いたいことを言えなかった。だから、一瞬でも彼女の表情を崩せたことで、調子に乗ってしまったのだ。
自分から話を振ったくせに、もう言葉が出てこない。元々、あまり自分の意見を言うタイプではなかった。振られてからは、特に言葉を押し込めるようになった。次の言葉は何もない。ただ、黙って布団を見つめるだけ。十秒たりとも待つ気がない守は、いつも通りにベッドから飛び降りる。反動で、私の体がぐらりと揺れた。凹んで盛り上がるベッドの半分が、虚しさと寂しさを助長させる。
私がもぞもぞしている間に、守はどんどん服を着ていく。相変わらず、上下ともが真っ黒で、ダメージ加工が施されている。寒がりな割には、いつも薄着でいる。長い金髪を鬱陶しそうに払う姿は、「切るか結ぶかすれば良いのに」と思わせる。
全ての服を着終えた守は、鞄から財布を取り出す。子どもがお小遣いを入れるような、小さな小銭入れ。色はやっぱり黒。何枚折りかにされているお札と数枚の小銭を出すと、それをサイドテーブルに置いた。私が何よりも嫌いな、守の律儀な行動。
「じゃあ、どうして喋りかけたのよ」
気づいたら、守の背中に吐き出していた。自分でも驚くくらいの声量に、はっとさせられる。布団の中で拳をぎゅっと握り、数秒目を閉じる。やってしまった。焦る一方で、ラブホは防音設備があって助かったなどと、場違いなことを考える。
恐る恐る目を開け、顔を上げる。顔だけを振り向かせた守は、さっきのような驚いた様子を一切見せない。逆に、彼女の言葉に私が驚かされた。
「言いたいこと、言えるじゃん。次からはそうしな」
それだけを言い残し、守は部屋から消えていった。今日は機嫌が良いだけなのか、気まぐれなのか。それを知る由はもうない。本人が帰ってしまったのだから。去り際、守は背中を向けたまま、右手だけを数回振った。
一人部屋に取り残された状況は、いつもと変わらない。しばらく呆然としていたが、このままでいるわけにもいかない。そろそろ出ないといけない時間だ。魂が抜けた気分のまま、機械的に手を動かして服を着る。
料金を払って外に出ると、肌寒さがいっきに増す。急いでコートのボタンを閉じ、マフラーで首を覆う。当たり前のことだけど、今日も月や星は輝いている。冬の大三角が目に入り、守との時間が恋しくなった。もっと星について勉強しよう。次会う時には、他の星も説明できるようにしたい。それから、プラネタリウムの場所も調べよう。今度は私がチケットの予約をして、二人で「流宮」を名乗りたい。
月が、だいぶ三日月の形になってきた。来週辺りには新月になりそうだ。月が欠ければ、私と守の関係が修復できる。そんな馬鹿なことを考えながら、スキップさながらに駅へ向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます