第5話

「守~、おはようっ! お待たせ」

「お、……おはよう? あ、あの……さ―」

「ささ、早く移動しよう! 予約の時間になっちゃう!」

「う、うん。……そう、だね。……よ、よ~し、行こう行こう!!」

 守の言葉を強引に遮り、体の方向を彼女から進行方向に向けた。最初は戸惑いつつも、すぐに私の調子に合わせてくれる。きっと、気づいているのだ。私が何を考えているのか。気を遣ったつもりが、逆に気を遣わせてしまった。こういう機転の速さや気遣いのできるところが、好き。「これ以上好きにならないように」と覚悟を決めてきたのに、早速意思が折れそうになる。やっぱり、誘いを断った方が良かったかもしれない。

 守からメッセージが来た時は、飛び跳ねて喜んだ。私が振られてからは一度も会っていないし、メッセージを送り合ってもいない。それもそうだ。振られた私から声をかけるのは図々しいし、振った守が声をかけるのは気まずいだろうし。

〈久しぶり! 元気してる? 突然メッセージ送っちゃってごめんね。今年ももう終わりだし、年内に一度会いたいなって思ったの。もちろん、そっちが良ければだけど〉

 私に気を遣って、告白のことは話題に出さないでくれた。いつもと同じ文章と誘い方に、胸が熱くなる。

 懐かしさと驚きで、最初は信じられなかった。完全に嫌われたとも思っていたし。メッセージアプリやSNSをブロックされなかったのは、彼女の優しさとお情けだと決めつけていた。でも、違った。守は、今でも親友として接してくれる。半年間連絡が無かったのは、誘うきっかけを探していたからだ。優しい守のことだから、「告白は受けられないけど、親友でいようね」という言葉を覚えくれている。そして、「年内に会いたい」と理由を見つけて、わざわざ連絡をくれた。その事実に、胸が締め付けられる。

 あまりの嬉しさと久しぶりに会いたい気持ちが勝り、迷わず返事をした。ずっと、会いたかった。顔が見たかった。声が聞きたかった。自分が悪いと分かっていながら、連絡できないことがもどかしかった。何度、メッセージアプリを開き、文字を書き込み、消すことを繰り返してきたか。でも、守から連絡をもらえた今となっては関係ない。これで、「告白しても嫌われなかった」と思い込める。一度でも向こうから連絡してくれれば、私からも送ることができる。これからは、今までみたいに会える。その事実が大事なのだ。

 とりあえず、焦らない。今はまだ、告白以前のように、同じ時間を純粋に楽しめるようになりたい。そのために、あえて告白や振られたことを話題に出さなかった。守が気まずくならないように、いつも通りに声をかけた。一言目で詰まってしまうと、それっきり話せなくなる。守は私の意図に気づいて、同じように返してくれた。何だかちょっと、熟年夫婦みたいじゃない?

 変な思考が頭をよぎり、顔が熱くなる。恥ずかしくなって、マフラーを口の辺りまで押し上げた。

「ね、ねえ、守。今日は星も月もはっきり見えるよ。雲が厚くないからかな」

「ホントだ。周辺に建物があるけど、割と見えるよね~。星座は冬の大三角くらいしか知らないけど、楽しめる! 綺麗だなぁ」

「それ、一番有名なやつじゃん! 小中学校で習うし、誰でも知ってるよ」

「だって、詳しくないんだもん。プラネタリウムは速攻寝ちゃうタイプだし」

 悪戯っぽい笑顔を浮かべ、守は面白おかしく笑い出す。つられて私も笑ってしまった。この感覚が懐かしい。たった半年前なのに、とても昔のことのように感じられる。

 駅の外には、暗すぎず、明るすぎない空間が広がっていた。街頭のお陰で安全と言えるけど、空の輝きが軽減されたとも言える。しかし、そんなことはどうでもいい。久しぶりに守と並んで歩く夜は、いつにも増して輝いて見えた。寒空の中で輝く星は、まるで私達のムードを盛り上げているようだった。これから徐々に欠けていくであろう月は、向かって右側三分の一ほどがなかった。何だか、私と守の関係を修復するために、一部をくれたみたい。月が欠ければ欠けるほど、私達は元通りになれる。月が満ちない代わりに、私達の関係は満たされる。そしたら、もしかしたら、守は告白の返事を考え直してくれるかもしれない。ずっと望んでいた「好き」を、言ってくれるかもしれない。偽の守には悪いけど、体だけを満たし合う関係は終わっちゃうかも。

 嬉しさと偽の守へのアドバンテージから、変に顔がニヤつく。こんなことを考えているなんて知られたら、気持ち悪いと思われる。手櫛で髪を整えるフリをして、顔を隠す。よし、自然な笑顔に戻れたはずだ。

 夜空を見渡し、目的の星を見つける。赤く輝く一等星。

「ほら、見て。あそこに赤い星があるでしょ」

「え、どこどこ??」

 私が指差した方向を、守は必死で探す。マフラーに巻き込まれた長髪の、肩から下がさらりと揺れた。顔と顔の距離が近づき、肩が触れないかドキドキさせられた。緊張からか、体に力が入る。

 少し茶色がかっている、癖のないストレートヘア。シンプルだけど、スラッとした体型に合う綺麗めな服。明るくて、楽しげな声。私のツッコミを待つための言葉。どれをとっても、半年前と何一つ変わらない。それが、無性に嬉しい。私の知らない守は存在しないと、自分を勇気づけられる。

 また変なことを考え出し、慌てて頭を振った。別のことで思考を上書きするため、指先の星に全神経を集中させる。

「その赤い星が、ベテルギウス。オリオン座だね」

「わっ、やっぱり詳しいね。……あっ、赤い星見つけたよ。じゃあ、その周辺の、三角形に見える位置にあるのが残りの二つ?」

「そうだよ。向かって左下にあるのが、プロキオン。右下の一番明るい星が、シリウス。この二つが何座だったかは……忘れちゃった」

「いやいや、よく覚えてる方だよね!? 中学の授業の内容なんて、ほぼほぼ覚えてないよ。やっぱり、かざりは凄いなぁ。高校でも大学でも、真面目で成績良かったもんね」

「……え、あ、そう? だったかな」

「? どうしたの、急に」

「ううん。何でもない! 間違ったこと言ってないよなぁって、焦っただけ」

 苦笑いで誤魔化し、サッとそっぽを向く。私の挙動を特に怪しむこともなく、守は夜空を見上げていた。そのことに安堵し、小さく息を吐いた。真っ白な靄が、空気に生まれる。

 家と会社、週一でラブホを往復するせいで、自分の名前を呼ばれる機会がめっきり減った。会社では、「流宮さん」と苗字で呼ばれる。ラブホでは、偽の守の好きな人「あざみ」の名前で呼ばれる。自分の名前が「かざり」だってこと、忘れかけていた。

 自分の代わりを演じる女性と週一で寝ているだなんて、守は知る由もない。だから、無邪気な笑顔に罪悪感を植えつけられる。

「あはは~。ちょっと抜けてるところ、変わってないね。いやぁ、元気そうで良かったよ。お互い仕事も忙しいし、会える回数ぐんと減ったもんね。会いたかったよ」

「ふふ。ありがとう」

 真正面から「会いたかった」と言われ、いっきに顔が赤くなる。サッと横を向いてしまったけど、怪しまれなかっただろうか。まだ守を好きでいる、と知られたくない。知られたら、きっと会ってはくれなくなる。気持ちを隠して、もう好きではないと思わせてでも、一緒にいたい。会えない時間を半年も経験してしまえば、そういう考えにもなる。守が彼氏さえつくらなければ、大丈夫。もし一緒にいて辛くなれば、もう一人の守に満たしてもらえば良い。

 守の思わせぶりな態度が突き刺さる反面、純粋に喜べてしまう自分がいる。相反する感情がぐちゃぐちゃになって、彼女への反応に困る。正解を教えて欲しい。

 とりあえず、今はデートを楽しもう。守が見つけてくるレストランは、いつも美味しい。美味しいご飯を食べれば、悩みは吹き飛ぶ。

 レストランの扉を開け、室内に入る。予約は守が入れてくれたから、名乗る苗字は彼女のものだ。片方の苗字だけを名乗ると、結婚した気分になれから好き。

床を踏む足取りが、半年ぶりに軽くなった。

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