第7話 追放聖女の幸せ(最終話)

 ――――――――――――――――


 それから数週間後。


 わたくしは、セーネ王国の国境の村に立っていました。魔物を弾く結界を再構築するためです。


「やっぱり結界が弱くなっているわ」


 わたくしの代わりに聖女になったクラーラ様が発動させた結界の効力はごく弱いものです。


 わたくしがセーネ王国を出て行って数ヶ月になるでしょうか。わたくしの力の名残ははまだありますが、こんなふうに王都から遠い場所では影響が出はじめているようです。


「国外追放だから、内側から結界を張るわけにはいかないわ」


 どうしましょうかと考えた末、わたくしは聖女の力を込めた石を置き、小さな聖跡をつくることにしました。いわゆる石碑のようなものです。


 それがあれば、この周囲は浄化され瘴気も魔物も発生しなくなります。


 ということで、早速作業に取り掛かったわたくしは適当な大きさの石を見つけはしました。しかし運べません。わたくしと同じぐらいあるこの石は、あまりにも重すぎるのです。


「どうしたらいいの……」


「ぷっ」


 笑い声が聞こえたので振り返ると、そこには美しいブロンドを風になびかせた女性がいました。あいかわらず、旅装束が似合っているのに似合っていません。


「ユリアーナ……様」

「久しぶりね、ディー。この石を運ぶの? そんなに細いあなたじゃどう考えても無理に決まっているじゃない。手伝いを呼んでくるから待っていて」

「いえ、あの」


 止めようとしたわたくしの言葉を聞き入れることはなく、ユリアーナは後ろに向かって手を振りました。すると、旅人に思える一団が近づいてきます。


 けれど、わたくしにはその一団を率いているのが誰なのかすぐにわかりました。


 彼はわたくしの前まで来ると馬から降りました。そして頭に巻かれていた布を外して顔を見せ、微笑みます。


「この石を聖跡に代用するのか?」

「はい……」

「今運ぶから待ってて。どこに置く?」

「えっと、この村の目立たない場所がいいかと」

「目立たない場所? まさか。せっかく聖女が聖跡を作るんだ。村の真ん中がいいだろう」

「あのでも、」


 テオはわたくしの言葉を聞くことなく、護衛の人たちと一緒に村の中央へ石を運びました。


 仕方なく、わたくしはその石に力を注いで聖跡に変えます。これで、この周辺は結界がなくても平和が続くでしょう。


「よかった……」


 額に滲む汗を拭いて座り込むと、わたくしの手を撫でる小さな手が見えました。


「おねーさん、聖女なの?」

「……」


 それは、赤いセーターを着たかわいらしい女の子でした。この村の子でしょう。答えられないでいるわたくしの手を引いて言います。


「ねえ聖女のおねーさん、わたしのうちの食堂でごはんたべよう? パパが作るごはんはとってもおいしいんだよ!」

「……」


 聖跡が完成したらすぐにセーネ王国から立ち去る予定だったわたくしは、戸惑いやっぱり言葉が出ませんでした。代わりに答えてくださったのは、テオでした。


「それは楽しみだな。どこだ? 行こう」

「あっち! わーい!」


 テオは女の子を肩車すると、案内されるままに進んでいきます。ユリアーナが『しかたないね』というふうにわたくしの腕を掴むので、それについていくことになりました。


 案内された先は、村のレストランでした。歴史を感じさせる建物なのに、「いらっしゃい」と出迎えてくれたのは二十代の店主でした。きっとここは古くから家族経営で続いているレストランなのでしょう。


 奥の個室に案内され、席につきます。沈黙を続けるわたくしをおいて、テオとユリアーナが楽しげに会話を続けます。


「メニューがたくさんある。何がおいしいんだろうな」

「牛肉の赤ワイン煮込みがある。おいしそうだわ。エスカルゴも頼んでいい?」

「我が妹ながら、よく食べるよな……」

「いいの。女の子はたくさん食べる方がかわいいんだもん。ねっ、ディー?」

「!?」


 突然話を振られたわたくしはびくりと震えました。それを見たテオは悪戯っぽい笑みを浮かべます。


「また怖がられちゃったな。まるではじめて会ったときのようだ」

「あの日、陰でお兄様凹んでたわよね。何も言わなくてもわかっちゃったもん。背中が、こう……こんな感じで。ついでに、ディーを置いて国に帰ってきた後もずっと元気なかったな。来ない手紙をずっと待ち続けてて」


「……ユリアーナ? 余計なことは言わなくていい」

「ふふふ。ごめんなさい」


 なるべく見ないようにしているのに、大袈裟に背中を丸めるユリアーナと顔を赤くしているテオが視界に入って笑いそうになってしまいました。


 こうしていると、まるであの楽しかった二週間に戻ったようです。二人の会話を聞きながら、わたくしはだんだん視界が滲んでくるのを堪えます。


 注文を終えたところで、テオが本題を切り出してきました。


「考えたんだけど」

「……はい」

「ディーにはやっぱり幸せになってほしい」

「……この前も申し上げましたが、わたくしにはその資格はありません」

「それを決めたのはディーだ」

「…………」


 口を閉ざすと、テオが怒りを滲ませた口調で教えてくれました。


「セーネ王国から、聖女・ディアナを返してほしいと書簡が送られてきた。あんな言い草で送り出した聖女を返せと言うなんて、今頃になってやっとディーのありがたみを感じたらしい」


 セーネ王国の王宮には絶対に戻りたくなかったわたくしは、思わず顔を上げました。


「いやです。絶対に国には戻りません」

「わかってるよ。こっちだって帰す気はない」

「でも……わたくしは」


 あなたとは一緒にいられない、そう続けようとしたところで、テオはわたくしの手を取りました。


「俺は……ディーが聖女だから連れて帰りたいわけじゃないんだ。この三年間、ずっとディーは俺の心の中にいた」


 テオがわたくしを一人の人間として見てくれていることは、ずっと前に知っていました。聖女でないただのぼろぼろの令嬢だったわたくしを国に誘ってくれたのですから。


「ディーのことが気になってずいぶん探した。セーネ王国の王都にあるディーが家だと書いた場所のことも調べた。でも手がかりはなかった。今思えば当たり前だ、王宮に隠された存在だったのだから」

「…………」


 その言葉だけで、テオがわたくしをどれだけ探してくださったかがわかります。でも、聖女なのにたくさんの人間を不幸にしたわたくしは、幸せになるわけにはいかないのです。

 

 この手を握り返したい気持ちと、拒絶しなければという気持ちの狭間で、わたくしは揺れていました。


 すると、赤いセーターの女の子が個室に走り込んできました。


「ねえねえ。うちにも聖女様がいるんだよ! みて!」

「こら、リリ! お客さんの部屋に入るんじゃない! すみません」


 店主がわたくしたちに謝りましたが、女の子は頬を膨らませて不満そうです。


「だってパパいつもいってるのに! ここは『聖女ディアナ様の分身』にまもられてるって! だからみんな幸せなんだって」

「……?」


 思わずわたくしは顔をあげます。それは、遠い昔の懐かしい記憶の彼方にある言葉でした。


 わたくしが興味を示したことに気をよくしたらしい女の子は、店の奥から透明なケースを持ってきて見せてくれました。


「これ、聖女様のパパがみんなにくばったお守りなんだって」


 そこにあったのは、わたくしが五歳で聖女になった日にお父様が作らせて国民に配ったあのガラス玉でした。


 わたくしは思い出しました。このガラス玉に力を込めた日、お父様がこれまでに見たことがないほどにうれしそうな顔をしていたことを。


 ◆


『――クローディア。このガラス玉は聖女を輩出したセジヴィック公爵家の力を誇示するものではない。国民みんなのお守りなんだよ』


『このお守りはほんとうに効果があるのですか?』


『もちろん。だがそれ以上に、このお守りはいつか重要な意味を持つと思うんだ。私はディアナよりも長く生きられない。クローディアが大人になって私が守ってあげられないときに、このガラス玉が代わりに頑張ってくれるはずだ、絶対に。――おまえは聖女だが、その前に私の大切な娘だからな』


『はい、おとうさま……?』


 幼いわたくしはお父様が言っている言葉の意味を正しく理解できませんでした。けれど、今ならわかります。


 お父様は、わたくしが聖女として疲れたときに愛し労ってくれた家族の温かさを思い出せるように、このガラス玉を作ってくださったのでしょう。


 そして、わたくしに聖女として至らない点があっても、国民が聖女の功績を身近に感じ続けてくれるように先回りしてくださったのです。


 お父様らしい激励でした。


『――だから幸せになるんだよ、クローディア』


 ◆


 あの日、わたくしの頭を撫でてくださったお父様の優しい手が、テオの手に重なったように思えました。大好きだったお父様と家族からの想いに、涙が溢れます。


 自分が死んだ後もずっとずっと幸せを祈っているというお父様からのメッセージは、テオの言葉に揺らぎかけていたわたくしの決意を決壊させるのに十分でした。


「わたくしは」

「ディー」

「わ、わたくしは……幸せになっても……よいのでしょうか」

「もちろん」

「ほ……本当に……?」


 嗚咽を堪えきれないわたくしを抱きしめたのはテオでした。


 温もりに驚くのよりも早く、ユリアーナが泣き出す声が聞こえます。さっきまで明るく振る舞っていたユリアーナも、心の奥ではわたくしを心配してくれていたのでしょう。


 けれど、わたくしの視線は碧い瞳に遮られました。


「――絶対に幸せにする」


 そうして耳元で囁かれたその言葉は、かつて聖女だったわたくしの心の荷をほんの少し軽くしてくれる、魔法に思えたのでした。




 わたくしのひとりごとはここで終わります。


 わたくしは、もうひとりではないからです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

追放聖女の独りごと 一分咲🌸生贄悪女、元落ち⑤6月発売 @ichibusaki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ