第6話 隣国での再会
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いくつもの涙の粒が落ち、すっかり濡れた大理石の床が見えます。隣国の謁見の間で、わたくしはいつのまにか子どものように泣いていました。
「これまでつらい想いをしてきたんだ。これからはこの国で幸せに暮らすといい」
いつの間にか皇帝になられたテオバルド様の優しい言葉に、わたしの心は震えます。けれど頷くことはできません。
「ありがたいお言葉ですが、わたくしはとんでもない過ちを犯しました」
「過ちではない。俺が調べたセーネ王国の聖女に対する仕打ちが本当ならば、たとえどんな私的制裁であってもあいつらには当然の報いのはずだ」
「いいえ。わたくしはあの国がどんなことになるのかをわかっていて加護を解き、聖女の力を引き上げました。聖女の力を悪用もしました。生まれる前の赤子に大きな責任を負わせました。それらはどれも間違いなくわたくしの過ちです。それは聖女として生まれ生きてきたわたくしの心を蝕み、幸せに生きていく気力を奪うほどに大きな罪でございます」
「あいつらがディーにどんな扱いをしてきたのか、俺は知っている」
「わたくしも、自分が罪のない人をどれだけ不幸にしたのかをよく知っています」
わたくしが復讐をしたのは、セジヴィック公爵家を破滅に追い込んだ人々だけです。
ですが、その陰で影響を受けた人は大勢います。魔物に襲われて怪我をしなくても、家を失ったり人生が変わったりした人もいるでしょう。
そう告げると、皇帝陛下は悔しそうに唇を噛まれました。あなたがそんなに悲しむことはないのに。慰めの言葉をかけたくても、聖女どころか人間として失格のわたくしには、その資格はありません。
感謝を込めて最後の気力を振り絞り、わたくしは微笑みました。あなたのなかで、ディーという復讐に狂った聖女の最後の姿がこうあるように祈りながら。
「最後に一目お会いできてよかったです」
「ディー……」
「路地裏でわたくしを救ってくださったあの日から、あなたはずっとわたくしの生きる希望でした」
わたくしは立ち上がり、謁見の間をあとにしました。
三年前、幸せな二週間の終わりの前日。
丘の上でわたくしを褒めてくださったテオの優しい瞳の碧、夕日の赤、風を含んだ匂い。決して忘れることがなかった大事な時間が、確かに終わっていくのを感じます。
ずっとわたくしの心の支えでいつづけてくださった方が、何度もわたくしの名前を呼ぶ声が聞こえます。けれど、わたくしは振り返ることはできません。
優しいこの方が、一刻も早くわたくしのことを忘れてくださいますように。
わたくしのような業の深い聖女ではなく、温かく清廉な心の持ち主が彼の方を支えてくださいますように。
不思議と寂しさは感じません。この隣国のお庭ははじめて歩くはずなのに、懐かしい花がたくさん咲いています。
幼い頃、お姉さまと一緒に花冠にしたのと同じ花々を見るうちに、いつの間にか頬を流れた涙は乾いていました。
わたくしは、ただ大好きな人の幸せを祈るばかりでした。
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