第2話 仕込み魔導杖『呪腕の牙』
透き通るような白だったはずだ、彼女の肌は母親譲りに。
もはや白い部分が無い、呪腕と呼ばれた魔導師の肌は。
脚に腕に、背に腹に。掌に指に、喉に頬に。額に耳たぶ、まぶたさえにも。青黒く
彼女自身の意思ではない。同じく魔導師たる父親の意思だ。彼の妻は、つまり呪腕の母は殺されていた。故郷を襲った魔王の手によって、戯れのように。
その仇を討つべく、絶大な魔力を欲した父は。その魔力を得るべく、様々な魔導の紋を体に刻んだ。まずは、娘の体に。その中で効果の高かったもの、魔力による肉体への負担が少なかったものだけを選んで、己の身に刻んだ。
そうして生まれた、高い魔力を持つ魔導師と。それをも越える魔力を持ちながら、破裂しそうなその力に身を苛まれ、爪と目玉と歯の他は、体の全てを刺青に埋めた娘が。
あるとき父は、さらなる紋を彼女に刻んだ。いつものように薄暗い納屋で。すでに紋で埋まった、右腕の上からさらに。だがそのとき、新たに加えられた紋がすでに刻まれた紋を潰し、魔力の走る回路を断った。
結果、電撃のように魔力が弾け、それが止まらず噴き上がり。彼女の肉を、骨すら内から膨れ上がらせ。
爆ぜた、彼女の右腕が。そこに刺青を施していた最中の、父の指も。
悲鳴を上げて自らの両手を見る父はしかし、彼女の方は見向きもしなかった。痛みへの悪態、魔王への恨み言、こんなざまで仇を討てるのかといった、憂い言は悲鳴の合間に漏らしていたが。娘へかける言葉はなかった。
それで彼女は、ため息を一つついて。歩み寄り、左手で父の喉をつかみ。ぐぇ、と舌を突き出した口へと突き込んだ。彼女の右腕のつけ根から、血と共に未だ吹き出し続けるものを。電撃のような魔力の塊を、おぼろげに腕のような輪郭を取るそれを。
そうして、喉までそれを突っ込んだ後。再び、爆ぜさせた。
断末魔の声はなかった。代わりに引き裂くような音がした。湿った音、ぶづり、と千切れたような音。飛び散る肉と臓物、霧雨のように赤く撒かれた、血とはらわたの中身のにおい。骨の破片が硬い音を立てて、納屋の壁を床を打つ。
宙を電光のように走り、消え去る魔力の残滓。壁に散った血と肉と、髪の毛のついた皮膚の破片。鋭く突き刺さった、灰色をした骨の欠片。脳髄であったろう、ほの白く柔らかいものの欠片。
彼女はそれらに眼をやることもなく、残った左手に魔導の炎を宿した。それを右腕のつけ根に押し当てる。肉を焦がす音が響き、やがて傷口は無理やりにも焼き塞がった。熱いだの冷たいだの、痛いだのという感覚は、彼女の内にはとっくになかった。それらは父に魔導の紋を刻まれていく過程で、取りこぼしてしまったものだった。
彼女に何も表情はなかった。ため息すらももうつかなかった。口を開けて足下を見ていた。
父を殺したのだと頭では分かった。解放されたのだと理屈では分かった。けれどこれからどうすべきか、頭の内に浮かぶのは。父に従って新たな紋を刻まなければ、ということと。いつか父を殺さなければ、ということだけだった。
すでに終わった事の他、彼女には何も無かった――ただ、口を開けていた。
そのとき。納屋の隅、積み上げられた木箱の陰から、見知らぬ青年が姿を見せた。ぱち、ぱち、ぱちと場違いに、ゆっくりと拍手をしながら。
微笑む彼はこう言った、見上げるような目をして。まぶしげな眼差しで。
「素晴らしい……! 実の父を殺して表情一つ変えない、か。心が無い。実に実に、心が無い」
侵入者に対し、彼女が身構えるよりも早く。
青年は彼女の左手、掌さえも歪んだ紋に覆われた手を取った。使い古された、薄汚れた手袋に覆われた両手で。
ひざまずいて彼は言った。
「探していた、君を。まさに君のような人を。心なぞどこにも無く、ただ力ある人間を。――俺と来てくれ。魔王を倒しに」
いっそう笑みを浮かべて、彼女を見上げる青年の腰には。剣があった。鞘に納まってさえ、白く光るもやのような神気を放つ、英雄の剣が。
手を取られ、口を開けたまま。ただ、青年を見ていた、彼女は。父親の肉片張りつく、納屋の天井の下で。
――左様でございます、彼の腰にある剣こそが『神誓英雄剣』。魔導師たる彼女こそが『呪腕の牙』の持ち主。
さてさて、彼らが如何に関わるのか――と、お客様。失礼ながら、商品にもたれかかるのはご遠慮いただきたいですな。
柱に寄りかかって何が悪い、と? はは、ようくご覧下さいませ。柱にあらず、それは――刀掛けに立て掛けられた、武器。そう、貴方が見上げるほどにも大きな、身の丈を越えて長い、刀。
身の丈近くもある刀身、腕の長さほどもある柄。妖刀大太刀『風斬り野太刀』にございます。
そう、丁度ようございました。英雄剣と呪腕の牙を語るには、どうしてもかの大太刀を語らねばなりませぬ。
――ただ、一つだけ。その太刀、決して抜かないで下さいませ。抜かば貴方様は、人間ではいられませぬ故――。
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