第62話
ネオンを無心で眺めていると着信音で我に返る。もう零時を過ぎていた。電話の相手は洋平君だ。
「もしもし」
「ごめん、大丈夫? メール返信無かったからさ。様子見てたんだけど心配で」
「ごめん、考え事しちゃって」
「マスターは?」
「話せたよ。沢山話した」
「そうか。落ち着いたら聞かせてくれよな」
「分かった。ありがとう」
「なあ」
携帯から熱を感じる。そんなはず無いのに。熱くなってるのは多分、あたしの耳だ。
「しおり。好きだ。付き合って」
ネオンが滲む。最近のあたしの涙腺はどうかしてる。
「別にすぐじゃなくていいんだ。マスターの事もあるしな。でもさ、覚えておいて欲しいんだ。俺が言った事、考えといてくれる?」
喋れば涙がばれてしまう。
「しおり?」
「ごめん、あたしは、」
「うん」
喉を開いて息を吸った。
「代表が好きなの」
声が震えたかもしれない。
「別にいいって。俺が嫌いな訳じゃないんだろ? 代表といれるときはそっちといればいいよ。でもそうじゃないときは俺と過ごしてよ。限られた時間でもお前の事喜ばせてやるよ。そうやって俺の事も好きにさせるよ」
「やめて」
「しおり、俺と付き合おう。俺も沖縄で考えたんだ。仕事好きなら続けたっていいよ。お前のやりたい仕事なら干渉しないって約束するよ。そんなもんに拘ってお前を手放したら一生後悔する。一生代表に勝てねえよ」
「洋平君は明るいよ」
「はあ? お前の方が明るいよ。あ、うるさいって事?」
泣きながら吹きだしてしまう。感情がごちゃごちゃだ。
「代表、洋平君の事気に入ってた」
「なんで敵に気に入られなきゃいけないんだ。お前が俺の事気に入ってくれよ」
「あたし、代表に振られたの。帰りの飛行機で。でもそんなに辛くなかったの」
「なんで?」
「多分、どんな形でも一緒にいられると思ったの」
「ほほう。なるほどね。分かった。しおり、付き合わなくて良いから一緒に暮らそう」
「洋平君には似合わないよ」
「俺も夜職すればいいのか? ナンバーワンホストになっちゃうぞ。そしたらお前、後悔するぞ」
ついに涙より笑いが勝ってしまった。声に出して笑うと洋平君は安心したように息をついた。
「まあ、冗談は置いといてさ。伝えた事は本気だから。勝ち目が無いって思ってる訳じゃないんだ。だから俺の事、嫌いにならないでくれよ。折に触れて口説きます。では」
あたしは洋平君と付き合ったら幸せになれるかもしれない。洋平君を愛せたらと思うと、せっかくとめてくれた涙が滲んできて、慌てて毛布を引き寄せ顔を埋めた。
出会いから今日までの事がいっぺんに押し寄せてきて嗚咽となって溢れ出た。あたしは洋平君ほど誠実な人に出会った事がない。
洋平君の言葉を反芻していると、夢を見ているようにひとつのシーンが頭に浮かんできた。殴られても声さえ出さずうずくまり、じっと嵐が過ぎるのを待つだけの、昔の自分の姿だ。あのときだって、あたしは泣きたかった。やめてと叫んで逃げ出したかった。過去の自分を成仏させるように泣いた。泣けなかった自分の分まで泣いた。本当は辛かったと声に出して泣いた。
手の中でぼやける携帯の真っ黒な画面を見た。そこにアユの顔が浮かぶ。アユに会いたい。会って相談したいと思った。ちょっぴり悪い顔で根掘り葉掘り聞いてくれるだろう。
ひとつひとつ答えて、ああじゃないこうじゃないと言われてみたい。そして最後にはそんなに泣かなくてもいいじゃないと抱き締めてくれるような気がした。そこに熱いコーヒーがあれば、もう友達と呼んでも許されるような気がした。
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