第63話


 翌朝病院に行く前にベルスに寄った。バックルームから出て来た奏多君は眠そうだ。


「いらっしゃい」

「寝てないの?」

「マスター会ったかな。僕が行くと店開けろって怒るんだ。すぐ追い出される」

「大丈夫。話せたよ」

「そっか。阿久津さんファイル受け取ってくれそう?」

「分からない。でも、昨日話し合ってたよ」


 同時にキャスターを取り出した。火を付けると灰皿をカウンターに滑らせてくれる。咥え煙草でオレンジジュースを出してくれた。


「この店どうなっちゃうかな」

「どうにかなるはずだよ。その為に代表戻って来たんだし」

「そうだよね」

「でも初めてここに来たときはこんな事になるなんて思わなかったな」

「僕は君には何かあるって感じたよ」

「そんな事言って」


 本当だよ、と急に真面目な顔になる。


「阿久津さんがここに連れてくる子はすごく限られてる。最初の夜、僕が店にいたのはたまたまじゃない。阿久津さんに頼まれたからなんだ」


 煙草を吸う手が止まる。


「孤独な若者に居場所を与える為、かな。僕は君と一緒だったから」

「どういう事」

「何て言うのかな、早い話ぐれた。誰の世話にもなりたくなくて、身体を売って囲ってくれる大人の家を転々としてた時期がある。顔が広いマスターに毎度も連れ戻されたけど、母がいてくれたらと言えばあの人は何も言えない。そんな事繰り返してたら警察沙汰になった。その時に迎えにきてくれたのは阿久津さんで、憔悴したマスターを見せられるまで自分の愚かさに気付けなかった」


 奏多君は痛みに耐えるような顔で目を伏せた。


「君の名前も年齢も最初から知ってたよ。仲良くしてやってくれって言われてたからね。でも、言葉通りの意味じゃない。阿久津さんは僕に友達を作ってくれようとしたんだ。母を失い、学校も行かず、子供の頃から夜に生きる生活をしていたからね。優しい人だよ」

「お母さんの事、怒ってないの?」

「身代わりで刺されたから? そんなのちっとも怒ってないね。気まずさも葛藤も無くて気を遣われてたのが逆に申し訳ないくらいだよ。何でかって、母は生粋の夜職だからね。そりゃあもちろん大人になるまでは色々思ったよ。でも今じゃ綺麗なまま大好きな店で死ねた母は幸せだったんじゃないかって思ってる」


 奏多君は切なそうに目を細める。


「ただ、二度も母を失うのは耐えられないかな。ここは母の分身だ」


 すずえさんと、マスターと代表が守ってきた瞳。


「一緒に病院に行く?」


「いや。僕は店を開ける。君が阿久津さんを見付けてくれた。後の事は、大人に任せるよ。マスターに店を頼むって言われてるしね」


 顔つきがいつもの奏多君に戻った。

 お礼を言って席を立つ。カウンターから出てきてドアを支えてくれた。いつか誰かがしてくれたように。


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