第60話
「治療を受ける気になったか」
「いいえ。ベルスとファイルを受け取って下さい。さもなくば奏多さんに告白します」
「鈴江さんを殺したのは実際俺だ。俺を狙った襲撃のとばっちりだ」
「この話は百回目ですね」
「告白するとまで言い出したのは初めてだ。入院ついでに頭も見てもらえ」
「鈴江に、会いたい。私はもう、疲れてしまった」
「ベルスはお前の店だろうが。疲れたと言ったな。そんなもんは手術してから言え。話はそれからだ」
あたしはドアの外側に立ち、会話を聞いていた。近付いてくる足音に顔を上げると店長がいた。
「お前が見付けたのか」
「うん」
「雇うんじゃなかったぜ」
町田で代表の車を見たとの噂があり、飛んできたと言う。病室から聞こえる店とファイルを押し付け合う声にため息をついた。
「吉岡さん元気じゃねえか。あれが死ぬなんて信じらんねえよな。ここまで来たら阿久津も受け取ってやりゃいいのに」
「店長は代表の味方なのかと思ってた」
「味方もクソもあるか。こういうのに拘ってんのは当事者だけなんだよ。阿久津は上司だから与えられた仕事をこなしてただけだ。多摩センが動き出したから元凶を叩けりゃ御の字だと思ってたけどな。どうせ高木だろ」
店長は首を回す。
「あいつら見てみろよ。死人との口約束引き合いに出して片方は倒産の危機だしもう片方なんか死にかけだぞ。考えらんねえよ。俺には理解不能だ」
店長が無意識な様子で内ポケットに手を入れたとき、病室のドアが勢いよく開き代表が出て来た。
「誰か呼べ、苦しみだした」
廊下を走る店長の後ろ姿が遠ざかる。代表は病室に戻りマスターの肩に手を当てて擦る。怖かった。怖いと思ってしまった。立ち尽くすあたしを押し退け医者と看護師が入ってきた。代表に押され病室を出る。
待合室のベンチに座ると店長に缶コーヒーを渡された。あたしを置いて代表と外に出て行ってしまう。
しばらくぼうっとしていた。煙草の匂いを感じて顔を上げると代表が隣に座った。店長は戻ってこなかった。
「俺が間違ってると思うか」
代表には似合わないぽつりとした言葉。でも向き合わなきゃ。
「思わないよ」
「店と奏多を守り続ける事があの人の最後の願いだった」
「すずえさんの為だったのね」
「人間の寿命がどこまでかは知らないが手術して伸ばせる可能性があるなら受けて約束を果たすべきだ」
「亡くなった人との約束は大事だけど――」
言ったらどう思われるかな。
「――今生きてる人は、もっと大事じゃないかな」
代表は立ち上がると病院を出て行ってしまった。手の中のコーヒーは、すっかり冷めてしまった。
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