最終章

第59話


 ジープは持ち主を忠実に待っていた。


 飛行機を降りた後代表について行くと屋外駐車場に着き、そこで再会した。相変わらず大きな動物のように佇んでいる。

 なぜか洋平君が助手席に乗り込んだので、あたしは荷物と共に後部座席に収まった。


「シーサーどこですか」


 代表が答えずに車を動かしたので身を乗り出して教えてあげる。ダッシュボードの端。ウエハースのおまけのようなシール。


「うわまじだ。そのまんまじゃん」

「最初に見た時はライオンかと思ったの。その後はずっと忘れてた」

「ガキ。町田でいいのか」

「矢野洋平です。相模大野までお願いします。シートベルトしてください」


 古い車の懐かしい振動。洋平君がサイドミラーの鏡面を動かしてしまったらどうなるだろうと想像しながらつまらない景色を眺めた。




「じゃあな。夜にでも電話してくれよ」

「分かった。本当にありがとう」


 もっと伝えたい事があったのにそれだけ言うと代表は車を出してしまった。気温差を感じてウィンドウを閉めた。


「すぐマスターに会いに行く?」

「嫌なら来なくていい」

「そんな事言ってないでしょ」



 代表は入院先の病院を知っていた。花も持たずノックもせず病室のドアを開けると、マスターは上半分を斜めに起こしたベッドに乗って祈るように指を組み、目を閉じていた。奏多君はいなかった。


「吉岡」


 ゆっくり目を開く。


「阿久津君。久しぶりです」

「他に何か言うことがあるんじゃないのか」

「そうですね。まずは二人にしてもらいましょう」


 代表が小さく舌打ちをして出て行くと、マスターに手招きされベッドの足元に腰掛けた。


「お帰りなさい」

「マスター、顔色はいいみたい」

「すぐ退院しますよ」


 カマーベストを着ていないマスターは別人のように見える。それでも変わらない目の温かさはあたしを安心させた。

 前置きは無かった。西日が花瓶に反射してシーツに暖色の虹を描く。




「私は暴力団員でした。そして高木は私の、立場的に言うと義理の兄弟分です。ヤクザというのは大袈裟な家族ごっこですから。


 私は生まれながらのならず者でした。同じ土地に長く留まっていただけですが親の威光も手伝いいつしか夜職相手に相談役の真似事をするようになりました。現役だった頃の繁華街の不祥事は何でも知ってます。様々な不都合を持ち込まれ、金次第で何もかも握りつぶしました。そして保身の為に記録しました。


 ベルスの一階には私の店がありました。窓口と言い換えてもいいでしょう。表向きには小料理屋でしたが、主に相談者との個人的なやりとりに使っていました。が、ここでよからぬ計画を企てたり密会に使う者が現れた。高木です。兄弟分である為、私は決して裏切らないと様々な悪事に利用されました。情報が漏れない恰好の隠れ蓑です。当然全て記録しましたが。


 店に来る高木に関して私の記憶にあるのは泣いて謝る鈴江の姿だけです。私が留守にしてる間に忍び込んで何度も乱暴していた。鈴江は内縁の妻で、奏多さんとビルの二階に住まわせ店のママをやらせていました。私が内腿の痣に気付き問い詰めるまで黙って耐えていました。


 記録は保身と習慣でしたがこの瞬間から目的を持ちました。いつか破滅させてやると。邪魔する者も許さない。町の弱味もまとめてファイルを作り店の権利証と一緒に銀行に預けました。そして高木を社会的に殺すタイミングを待っていると別の相手が現れた。あなたの代表です。


 一目見て何か悪いものが来たと感じました。高木を突くよそ者の存在は知っていましたが、これは放っておいてはいけない感じました。牽制し、大人しくしていろと望む物を与え、協力しました。


 アンクが完成するとひとまず丸く収まったと思い油断してしまった。オープンのタイミングについて店で話し合っているとき、襲撃がありました。


 多摩センとのごたごたは阿久津君から聞いていたので彼を狙って来た事はすぐに分かりました。相手が振り上げた刃物の前にとっさに飛び出したとき、私の前にも飛び出した人がいた。鈴江です。


 まさかの事態に怯んだ相手の頭を阿久津君がボトルで割りました。鈴江を刺した男は両脇を仲間に支えられ逃げて行きました。追いかけようとする阿久津君を引き止め鈴江は私達にこう言った。


 命より大切な奏多と店を、どうか死ぬまでまもってちょうだい。


 その後その場を処理したのは阿久津君です。私は硝子と血だまりの中で泣いていた記憶がありますが、腕の中の鈴江はいつの間にか奏多さんと入れ替わっていました。


 高木と多摩センが結託したのは想像に難しくありません。翌日飄飄と現れた高木にファイルの存在を明かしました。それから今日まで滑稽な兄弟喧嘩です。


 鈴江の死後、ベルスビル以外を組織に譲り、私は足を洗いました。過去阿久津君が鈴江に与えた金が丸々残っていましたので、その金で二階にベルスを作りました。実は一階には当時の小料理屋の姿が残っています。まだ入るには辛過ぎますが。


 奏多さんは母親は阿久津君を庇って死んだと思っています。彼がそう吹き込んでしまった。しかし彼の面倒を見る為に訂正しませんでした。子供を母を殺した男と一緒に住まわせる訳にはいきません。


 鈴江の遺言を守る、阿久津君はそれだけで動いています。奏多さんに鈴江を殺したのは私だと告白すると言って阿久津君を呼び戻しました。私も出来ればそれは避けたい。鈴江の遺言を守る事とは正反対の事ですから。


 余命宣告を受けたときは嬉しかった。私の身代わりとして死なせてしまった鈴江に会いたかった。奏多さんの、母親譲りのえくぼは毎晩私の胸を辛くさせました。


 これでやっと楽になれる。身体が弱り、高木に奪われる前にベルスとファイルを阿久津君に譲ろう。そして自分の事は自然に任せよう。私の望みはそれだけでした。しかし阿久津君の思想と食い違った。


 私は命をかけてベルスを守ってきました。しかしそれは阿久津君も同じ事。権利証とファイルを銀行から出して押し付けてしまおうとした矢先、阿久津君は消えてしまった。私の命と駆け引きする為に」


 シーツの虹は消えてしまった。


「しおりさん、阿久津君を捜し出してくれて本当に有り難う。終わらせましょう。彼をここへ呼んで下さい」


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