第56話
「マスターの意識が戻ったよ」
奏多君の優しい声。朝一の電話はあたしの眠気を吹っ飛ばした。
「よかった。もう大丈夫なの?」
「とりあえずね。心労もあっただろうって。それで、阿久津さんどうかな」
「もう少し待ってて」
「あの、昨日はごめん。君に辛く当たる理由なんてなかったのに」
「いいの。あたしもすぐ電話しなくてごめん。マスターと話せるかな」
「今点滴してるんだ。また後でかけ直すよ。話せそうなら代わるから」
電話を切って携帯を置くと洋平君がバスルームから出てきた。
「何だって?」
「意識戻ったって。後で電話出来るかも」
「そっか」
シーサーと目が合う。
「色、落ち着いたね」
「これくらいが維持出来たらいいよな」
威嚇されてるとしか思えなかった表情が、頑張れと叫んでいるように見える。
「そんな見んな。減るだろうが」
「ばかじゃないの」
洋平君はあたしのキャスターを掴むと箱の底を叩いて一本抜き出した。口の端に咥えて一瞬で火を付ける。
「吸う人だったんだ」
「昔な。キャスターうまいよな」
「何吸ってたの?」
「ラーク」
「やめてよ」
「は?」
もういらねえと吸いかけを口に押し込まれた。ホテルのチェックアウトは十時だ。それまでにこの後の事を考えなくてはいけない。ひとくち吸って煙を吐き出すと、強く捻り消して洋平君と向かい合った。
「これからどうしよう」
「ヴィラに戻って代表見張りながら電話待った方がいいだろ。お前に見付かったんだからトンズラされてもおかしくないぞ」
「確かに。どうしよう、もういなくなってるような気がしてきた」
「急がなくても大丈夫だよ。あの大人がお前相手にこそこそ夜逃げするとは思えない」
「そうかな。でも早く行こう。ここで見失ったら今度こそ捜し出せないよ」
「向こうの駐車場で二度寝させてくれよ」
ホテルからは二十分弱で着いた。代表の車が見えてほっとしていると洋平君は迷わずヴィラの真隣に駐車した。
「ちょっと露骨過ぎないかな」
「いいんだよ。あいつ昨日俺の存在シカトしやがって。戻ってきたら思い出してむかついてきた。クラクション鳴らしてやろうかな」
「ごめんて。ねえ、奏多君に電話してみようかな」
「やめとけよ。向こうからかけるって言われたんだろ? 相手病人だぞ。大人しく待ってろよ」
「そっか。分かった」
車を降りてポーチに上がる。カーテンは閉まっていて中の様子は分からない。テーブルにはカバーの無い本置いてあり、ページをめくると煙草の匂いがして中に代表が居ると確信する。
ヴィラを背にして海に向かって歩く。
車のドアが閉まる音がして振り向くと洋平君だった。ポーチに上がると本に気付き、手に取ると階段に座って読み始めた。あたしはもう少し海に近付く。
波打ち際に座り込み、水平線を眺め続けた。
代表はこの素晴らし景色を見て何を感じただろう。何か感じただろうか。
この小さな島で守っているものが知りたいと思った。もしそれが辛い事なら分け合えたらと思った。
手の中の携帯が鳴った。
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